ジェームス・スターリング

James Stirling

プロフィール

  戦後イギリスを代表する世界的な建築家。ひとつのスタイルに固執せず、モダニズムやポストモダニズムの枠を越えて、つねに時代の先端を切る活動により、20世紀建築に大きな足跡を残した。
1926年、グラスゴーに生まれ、リヴァプール大学に学んだ。国際的なデビューは63年の「レスター大学工学部棟」。さらに「ケンブリッジ大学歴史学部棟」(1967)、「セント・アンドリュース大学学生寮」(1968)など多くの大学施設を設計して世界の建築家たちの注目の的となった。
70年代からは美術館を手がけ、「シュトゥットガルト国立美術館」(1984)、ロンドン・テート・ギャラリーの「クロー・ギャラリー」(1986)などに見られる大胆な色使いも特徴のひとつ。建築の機能性に確固とした信念をもちつつ、幅広い対象に関心を寄せ、自らを「折衷的な傾向を持つデザイナー」と呼んだスターリングのスタイルは時代とともに変化をつづけた。その予断を許さない展開が1992年の急逝によって断たれたことは建築界の大きな損失であった。

詳しく

  歴史性と現代性、地域性と国際性、抽象性と具象性といった相対する概念を融合させた建築で知られるジェームス・スターリングは、戦後イギリスを代表する世界的な建築家である。

1926年、グラスゴーに生まれ、1950年、リヴァプール大学建築学部を卒業した。学生時代はル・コルビュジエに影響を受けたが、モダニズムとは一線を画していた。
「私はいつも統一のない建築をつくろうと思っている。私は幅広い対象に関心を寄せてきた。おそらく折衷的な傾向をもつデザイナーといえる」。そう自ら言うように、作品は時代とともに変化した。
『ハム・コモン集合住宅』(1958)などレンガ建築の1950年代、ガラスの皮膜とタイルの1960年代前半。1960年代以降はプレキャスト・コンクリートやプレハブのプラスチック・パネルを用いたハイテクの一連の作品をつくり、そして1970年代には盛んに石を用い、色を用いた。直線と曲線、正方形と円形など豊富な形態のモティーフや過去の引用、暗示、そして青や赤といった色彩の多用など、常にスタイルが変貌した。
彼の建築家としての出発は、モダニズムの箱型の建築から抜け出した1960年代からだった。国際的なデビュー作となった『レスター大学工学部棟』(1963)は世界中の建築家に大きな衝撃を与えた。鋸歯状のガラス屋根や高い塔、赤いレンガとガラスの対比が鮮やかだ。以後、『ケンブリッジ大学歴史学部棟』(1967)、『セント・アンドリュース大学学生寮』(1968)など多くの大学施設を設計して建築家たちの注目の的となった。
1970年代からは美術館を多く手がけた。コンペで獲得したドイツの『シュトゥットガルト国立美術館』(1984)はその代表作。新古典主義の手法を大胆に取り入れながら、現代的なデザインを随所にちりばめた秀作である。既存の国立美術館の増築と、劇場、図書館、音楽学校からなる複合施設がその内容である。シンケル設計の『アルテス・ムゼウム』(1823-30)を参考にした、中心に円形の中庭を配したプランである。「エジプト、ロマネスク、構成主義など時空を超えたコラージュ」とスターリングが言うこの建築は曲面を描いたガラスの壁や変化に富んだ勾配、縫うように進む通路、そして動線の役割を果たす赤や青の太い手摺りが人目を引きつける。広いパブリック・スペースとして構想されたモニュメンタルな建築といえる。
また、ロンドンの『クロー・ギャラリー』(1986)も優れた美術館建築のひとつ。これはテート・ギャラリーにあるイギリスを代表する画家、ターナーの作品を展示するための増築である。エントランスや出窓の桟の緑など外観に黄色や緑を使用している。エントランス・ホールの変化に富んだパースペクティヴ、派手なアーチの開口部。が、いったん展示室に導かれると雰囲気が一変する。展示室は自然光が採り入れられるとともに、壁面の色も抑えられ、落ち着いた雰囲気を醸し出し、静かに芸術作品を鑑賞できる空間となっている。
「私の建築に突飛なアイディアはない。ミニマリズムやポストモダニズムの恣意性を避けて、すべて機能的に設計している」と言うように、たしかに美術館は機能的に設計されている。
父親は船舶技師だった。子供のころの遊び場は船着き場で、船への憧れをいつも抱いていたという。そのためか『レスター大学工学部棟』の煙突、『ケンブリッジ大学歴史学部棟』の窓清掃用のクレーン、『ランコーンの集合住宅』(1976)の円窓は船を連想させるし、ヴェネツィア・ビエンナーレ用の切妻屋根の『ブックショップ』(1991)はまさに小舟そのものといえる。
1977年、アルヴァ・アアルト賞、1981年、プリツカー賞、そして1990年、世界文化賞を受賞し、新たな展開をみせはじめたおり、1992年6月25日、65歳で死去。早過ぎる死が惜しまれている。

渋沢和彦

略歴


1926
4月22日、イギリス、グラスゴーに生まれる

1942 リバプール美術学校入学

1945 リバプール大学建築学科でコリン・ロウに師事

1949-50 大学在学中に交換留学生として米国へ渡る。ニューヨークのオコナー&キラム事務所で5ヶ月間働く

1950-52 フランス旅行。ロンドンのタウン・プランニング・地域調査専門学校に所属

1956 建築設計事務所設立。(1963年まではジェームス・ゴーワンと、1971年以降はマイケル・ウィルフォードとパートナーを組む)

1957 ロンドン建築協会(AA)客員講師

1958 リージェント・ストリートポリテクニク(ロンドン)講師(-60)

1960-62 エール大学建築学科客員講師(アメリカ)。1967年以降は同大学のチャールズ・ダヴェンポート客員教授となる

1961 ケンブリッジ大学建築学科講師

1965 ロイヤル・イスティテュート・オブ・ブリティッシュ・アークテクツで教鞭をとる(-68)。リージェント・ストリートポリテクニク建築教育RIBA派遣監督に就任(-71)。スターリングの3つのビルディング展(ニューヨーク近代美術館)。

1969 ロンドン大学建築教育RIBA派遣監督

1973 BBC/アート・カウンシル・フィルムが「ジェームス・スターリングの建築」を制作

1976 米国ブルンナー賞受賞。アメリカン・インスティテュート・オブ・アーキテクツ名誉特別会員

1977 アルヴァ・アアルト賞(フィンランド)受賞

1980 王立建築学会(RIBA)ゴールド・メダル

1981 プリツカー賞受賞

1986 「英国の建築家/フォスター、ロジャース、スターリング」展(英国王室アカデミー)

1990 高松宮殿下記念世界文化賞・建築部門受賞。アメリカ芸術協会名誉会員

1992 6月25日、ロンドンで死去

主な作品 1963  レスター大学工学部棟(米国レイノルズ賞)
1967  ケンブリッジ大学歴史学図書館
1968  セント・アンドリュース大学学生寮(スコットランド)
1972  オリベッティ・トレーニング・センター(サリー州ヘイズルメア)
1976  ランコーン・ニュータウン集合住宅
リマの集合住宅(ペルー)
1981  ライス大学建築学部新館(ヒューストン)
1984  シュットゥットガルト国立美術館
ハーバード大学美術館
1986  テイト・ギャラリーのクロー画廊(ロンドン)
1987  サイエンス・センター(ベルリン)
1988  コーネル大学パフォーミング・アート・センター
テイト・ギャラリーのアルバート・ドック・リバプール