Norman Foster
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ノーマン・フォスター

Norman Foster

プロフィール

 「建築は芸術と科学の融合」を持論とする建築家。銀行、美術館、空港から地下鉄に至るまで世界中で多様なプロジェクトを手がけてきた。洗練されたハイテク美と環境配慮は世界的な称賛を浴びている。最近ではベルリンのドイツ連邦議会新議事堂やロンドンの大英博物館グレートコートの改修のように、ハイテク技術を駆使して歴史的建造物を再生する手法が高く評価されている。マンチェスターで生まれ育ちロンドン在住。東京にはセンチュリー・タワーがある。

詳しく

「建築は芸術と科学の融合」を持論とする建築家、ノーマン・フォスターは、香港上海銀行、独コメルツバンク両本社ビルをはじめ、美術館、学校、居住施設、巨大空港から地下鉄に至るまで、世界中で100を超える多様なプロジェクトを手がけてきた。その洗練された“ハイテク美”と環境への配慮は世界的な称賛を浴びている。  最近では、ベルリンのドイツ連邦議会新議事堂やロンドンの大英博物館グレートコートの改修プロジェクトに見られるように、ハイテク技術を駆使して、歴史的な建造物を再生する手法が高く評価されている。  新世紀を祝って、ロンドン・テムズ川に完成したミレニアム・ブリッジは、世界文化賞受賞者の彫刻家、アンソニー・カロとの共同設計だった。  「構造技術、土木、環境、経済、芸術など多分野の専門家の垣根を越えた融合こそ、建築には重要なのです」  今年7月には、すべてコンピューター設計による、ガラス張りで変則球形のロンドン新市庁舎がテムズ河畔にオープンした。ロンドン名所トラファルガー広場の再開発も今年中に完成。ロンドン郊外の“サッカーの聖地”、ウエンブリー・スタジアムも来年には完成予定だ。  「創造的な高層構築」で定評があるが、昨年9月に起きた米中枢同時多発テロのニューヨークの現場を検証し、高層建築についての新たな研究も始めている。  産業革命という技術革新の軌跡を残す街並み、建築家を育む土地柄のマンチェスターで生まれ育った。43歳の時、工場を連想させるデザインのセインズベリー美術センター(英国ノレッジ)で一躍、脚光を浴び、48歳の時、伝統ある英王立建築家協会から史上最年少で金賞を受けた。  東京には、日本の寺院の屋根をモチーフにしたというセンチュリー・タワーがある。

略歴

  1935 英国マンチェスターに生まれる
  1956-61 マンチェスター大学建築・都市計画学部で学ぶ
  1962 イェール大学建築学科修士課程に進む。リチャード・ロジャースと出会う
  1967 フォスター・アソシエイツ(現フォスター・アンド・パートナーズ)設立
  1978-91 セインズベリー美術センター(英国ノレッジ)
  1979-86 香港上海銀行本社ビル
  1981-91 スタンステッド・ロンドン第3空港ターミナルビル
  1983 王立英国建築家協会よりロイヤル・ゴールド・メダル
  1984-93 ニーム現代美術センター(フランス・ニーム)
  1987-91 センチュリー・タワー(東京)
  1988 テレコミニュケーションズ・タワー(スペイン・バルセロナ)
  1991-97 コメルツバンク本社ビル(ドイツ・フランクフルト)
  1991 フランス建築家協会よりゴールド・メダル
  1992-98 香港新国際空港
  1994 アメリカ建築家協会よりゴールド・メダル
  1999 ドイツ連邦議会新議事堂(ベルリン)
プリツカー賞受賞
英国ロードの称号を受ける
  2000 大英博物館グレートコート、ミレニアム・ブリッジ(ロンドン)
  2002 新ロンドン市庁舎
高松宮殿下記念世界文化賞・建築部門受賞
現在、ロンドンを本拠に活動

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ノーマン・フォスター 建築を語る

 

--高松宮殿下記念世界文化賞 受賞記念講演会--2002年10月25日 15:00~16:30 於:鹿島KIビル

 

まず日本美術協会に対し、この講演会、また、この一週間色々な催しをしてくださったことについてお礼を申し上げます。今ここにいることを非常に名誉に思っています。

私たちの挑戦
現在、いくつか私や同僚が関心を持っていること、そして少し学生時代を振り返っての考察を述べたいと思います。まず、私たちが建築家であるなしに関わらず、挑戦すべき課題と考えるべきことから話を始めます。地球は限りある惑星であり、人口は増加して土地は狭くなっていく、という現実です。密度を高くし、同時に都市生活の質を向上させることが課題ですが、なかなか難しい挑戦です。この問題は新しい世界都市、例えば、新たに興りつつある環太平洋地域のメガシティであれ、また欧州の伝統的な都市であれ同じように言えると思います。古い建築物が新しい生命を与えられ、都市が再生していくということにも魅きつけられます。
私はインフラストラクチャーにもまた魅かれます。道路網、公共空間、その連絡網など都市のインフラは、個々の建物の質以上に都市生活の質に大きな影響を与えます。それは都市の住民にとっても、街を訪れた人たちにとっても同じことです。そして、汚染やいろいろなエネルギー資源の枯渇という現実を前に、環境問題はずっと以前から人々の関心をひきつけてきましたが、いまやそれがファッションになっています。いえ、ファッションというよりも生延びるために避けては通れない現実になりました。エネルギー問題についていえば、建物は、多分今日、世界のエネルギーの半分を消費しています。

私の建築家としての若いころを振り返り、集めたスナップショットを見ますと、テーマが浮かび上がってきます。ウイーンのようなヨーロッパの街、新世界の都市、ニューヨークのツインタワーなどの写真です。名前のない建物、建築家も分からない建物です。初期のパイオニア的な作品、ガラスの建築、椰子の家、日よけの工夫などにも魅かれました。日本の木造建築にも心魅かれました。人を心地よくさせる自然光への情熱、光と景色、あるいは半透明の要素が、人間的、詩的空間を創り挙げていることに魅かれるのです。それに飛行。面白いことに、太陽エネルギーで発生する動力で飛行するという点でセイルプレーンは恐らく究極のソーラーマシーンでしょう。

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ドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク(ベルリン)
公共空間、インフラストラクチャーの問題、街と個々のビルの関わり様などこれらのテーマは、ずいぶん早くから魅かれるものでした。こういったテーマはプロジェクトの内と外とが一緒になって作り上げます。ライヒスタークを例にあげますと、公共空間についての重要な決定は、入札時の説明にはなく、公共空間の重要性や大衆と政治家との間に新しい関係について政治団体に説く過程にありました。
文字通り、ライヒスタークのビルは多くの人をひきつけています。年に350万もの人が何時間も並んで屋上の公共スペースへと上っていきます。キューポラと呼ばせていただきますが、これは単なるシンボルではなく、建物のエネルギーや環境にしっかりと組み込まれています。驚くべきことにベルリンで多分一番人気のあるレストランは屋上にあります。人々は上から下の階にある議場を直接見ることができるのです。自然光が反射鏡から議場に燦燦と射し込みます。陽光は、冬は非常にうれしいものですが、夏は熱の源です。だから、コンピュター制御の太陽をさえぎる日よけをつくりました。物理的な明るさのことではありませんが、別の光を当てました。ビルにもっと透明性を加えることに挑んだのです。このいかめしい建物をそのイメージと歴史を脱ぎ捨てさせ、文字通り東から西まで見渡せるよう、オープンなものにしたのです。屋上などあちらこちらに人が集まります。プレスロビーでは、政治家と市民との間に新しい関係が生れました。民主主義が機能している徴、それが中空に見えるのです。
エネルギーがどうなっているかも興味深いものです。全体が小さな発電所になっています。電力が非常にクリーンに生産されています。野菜油、植物、ひまわり、菜種、ナツメヤシなど植物油を燃やしています。消費された熱は冷房にまわされます。二酸化炭素の排出は94パーセント削減されました。屋根にはソーラーパネルがあり、夏の余分な熱は温水として地下300mの帯水層に貯められ、寒い冬にはそれが暖房源になります。
同様に大変重要なことですが、壁には戦争の傷痕が残されています。この建物の歴史、それは覆い隠されていないのです。ロシア軍による占拠の記憶、落書き、また、19世紀の彫り物、いくつかは石工が彫ったそのものです。こういったものすべてが建物の歴史です。中空のキューポラは、ドイツ、ベルリンを象徴するものとなって、道路網の中に聳えています。

ロンドン新市庁舎
もう一つ、少し小さい、ロンドンの新しい市庁舎も、ビルの一階から行政の仕事場を通り抜けて公共空間につながる道を造るという考え方を採り入れました。

 

ドイツ連邦議会新議事堂 ドイツ連邦議会新議事堂内部 新ロンドン市庁舎
ドイツ連邦議会新議事堂、
ライヒスターク
(ベルリン、1992-99)
© Foster and Partners
ドイツ連邦議会新議事堂内部
(ベルリン、1992-99)
© Foster and Partners
新ロンドン市庁舎(ロンドン、1998-2002)
© The Sankei Shimbun 2002

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ニーム現代美術センター、カレ・ダール(フランス ニーム)
公共のインフラと個々の建物の関係、そのアプローチをニームのプロジェクトでご紹介します。新しく建てられるカレ・ダールの敷地は、大変保存状態の良い美しいローマ時代の神殿に面しています。ですからその敷地にとってカレ・ダールは特別なものといえます。どこか違う場所に建てようと歩き廻ったり、新しい建物と同時に神殿も蘇るようにと、地元の協力者と一緒に考えたりもしました。それは興味深いことでした。建物は単に物理的な構造物というだけなく、その場所の精神も合わせもって建っているのです。
何度も何度もここを訪れて、スケッチをして、プロジェクトについて色々と質問をしました。最終的に建物だけではなく、敷地そのものを熟知するということが大切なのです。それがコンペのテーマでした。そして私はこれがクライアントの思いでもあると思い、この場所に決めたのですが、どのようなプロジェクトにおいても、クライアントが創造の過程に活発に参加することが推進力になります。政治面も重要です。最終的に、市長のジャン・ブスケが政治的努力をして、都市全体を再活性化、再開発するというプロジェクトために国から資金援助を取りました。その意味で、単なる一つのビルという以上の再開発になったのです。

現在と過去とを比較しますと、角にある200年くらい経つ樹木は変わりませんが、神殿を取り巻くメタルの柵と駐車場は取り除かれています。ローマ時代の舗道を蘇えらせ、カフェがつくられました。荒廃した敷地が新しい都市生活の場に生まれ変わり、新しい建築物と古い神殿と間に常に対話が見られるようになりました。都市の、そして催しもののリビングルームともいうべき公共空間が創られました。そしてこの建物の中にパフォーミング芸術、情報、ギャラリーなど都市のいろいろな異なった文化が持ち込まれました。ガラスの階段が地下にまで光を採り込んでいます。

 

香港上海銀行本社ビル(香港)
高い密度といえば、人口の集中する都市の場合、必然的に建物は上へ伸びていきます。高層ビルを面白く人間味のあるビルにするにはどうすれば良いか探求してきましたし、これからも探求し続けます。また、壊す時にはどうすれば良いのか、私たちは常に研究を続けています。伝統的なオフィスビルは、中央部がコアになっていて、階段やエレベーターがあり、機械設備、トイレがあり周辺に狭い帯状のスペースがある、これと同じような階が続いています。
私たちの作品の高層ビルのうち例えば香港上海銀行を見てみますと、中空にガーデンがあり、レセプション・ポイントがあります。高速のエレベーターを使って、カフェテリアや、ミーティングのフロアに行き、そしてエスカレーターで降りてくる。がっしりしたコアを、中心部に置かないで外に出しました。それによってスペースをより柔軟なものにしました。
この香港上海銀行のルーツは、60年代のはじめにエール大学のマスタークラスで私がやったプロジェクトにあると大学の同僚が指摘しています。高層ビルの構造、サービス、スペースの統合ということでは自然光が深い空間に引き込まれている。反射板を使って下部の空間を生かし、ビルを公共の領域としています。
以前の取り壊された古いビルは、開かれた新しいビルと対照的に、典型的な銀行で非常にしっかりした容相でした。その意味で、この新しいビルは公共スペースが少ないこの都市の、人が大勢集まる空間にかかる橋のようなものになったのです。

 

foster_lecimage05 香港上海銀行本社ビル
ニーム現代美術センター
(フランス、1984-93)
© Foster and Partners
香港上海銀行本社ビル
(香港、1979-86)

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スタンフォード大学(アメリカ カルフォルニア)
南フランスから、同じ地中海的な風土のアメリカ西海岸、スタンフォード大学へ移りましょう。伝統的な形式の医学部のビルは閉鎖型のボックスタイプでした。そこでボックスにメインの動線を通して切り離し、社交の中心となるスペースをつくりました。大変大切なことですが、そのスペースは特殊な共同体という閉鎖された世界にいる人たちに交流をもたらします。たとえば、病気との闘い、医学研究をするノーベル賞の受賞者に話をすれば、皆同じ感じを持っています。医学の画期的な進歩は伝統的な研究室でなされるのでなく、異なる学部の人たちが集まって、コーヒーを飲んでいる時、あるいはバーで、また昼食中に生れるものです。

 

コメルツバンク本社ビル(フランクフルト)

フランクフルトにあるコメルツバンクの本社ビルです。この三角のコーナーにコアとガーデンがあります。ガーデンは螺旋状なっています。最初、ヨーロッパで最も高いビルにする計画では無かったのですが、結果はそうなりました。重要なことは、気温もコントロールしていることです。温度調節された、はじめて環境を重視した高層ビルです。新鮮な空気を取り込み、一年の50パーセントは自然換気という、普通のエアコンビル半分以下のエネルギー使用量です。しかもユーザーの満足度はより大きいのです。
ガーデンは会合場所、コーヒー・エリアになっています。朝やランチタイムには銀行の人だけでなく、都市のコミュニティの場になります。夜は、ビルが閉まったあともダイニングやバーのスペースになります。さらに、反対側の銀行の正面玄関に加えて、街へ続くエントランスがあり、街の一方から他方へ近道することが出来る非常に面白い街とオフィスビルの関係を持っています。

セインズベリー美術センター(英国ノレッジ)
イースト・アングリア大学のセインズベリー美術センターです。一つの屋根の下にテンポラリー・ギャラリー、パーマネント・ギャラリー、大学のスタッフや教授陣、学部、美術学科の会合室があります。下からランプで行くことが出来るそのビルは、柔軟な空間、調節可能な屋根からの自然光もあり、それはある意味で、同じコンセプトで伝統的な空港を改修する挑戦への踏み台にもなりました。

 

コメルツバンク本社ビル セインズベリー美術センター foster_lecimage13
コメルツバンク本社ビル
(フランクフルト,1991-97)
© Foster and Partners
セインズベリー美術センター(ノレッジ、1974-78)
© Foster and Partners
セインズベリー美術センター(ノレッジ、1974-78)
© Foster and Partners

 

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スタンステッド・ロンドン第3空港
今度はスタンステッド・ロンドン第3空港です。空港では始めてのことですが、屋根をオープンにして自然光を取り込みました。コンコースの地下に広いスペースをとって、冷暖房や動力などの機能を収容しました。前は通常の国際線のターミナルで、屋根を歩くと機械だらけでした。たとえば、ヒースロー空港の第4ターミナルは、1980年代の典型的なターミナルで、自然光を取り込む可能性は全く閉ざされていました。スタンスッテッド空港は、それをまったく逆にして、機械部分を全部地下に収めてしまい、屋根からはたっぷりと自然光が降り注いでいます。画期的な省エネができ、その上に素晴らしい光があってなんとも美しい景観です。上層部にあった重たい機械類は全部ほんとうに合理的なところに収まっています。取り替える必要が出てくると、その場所に行かなければなりません。屋根はとても理想的な場所どころではないのです。
統合という点では、主要な鉄道駅は別のビルではなく、すぐ下にあります。内部道路があって、トラックが機材を運べるようになっています。安全性も確保でき、手荷物の輸送はこの地下で行われています。当然そうあるべきです。

香港新国際空港
スタンステッド空港が国際空港のモデルになって、香港の空港も、18ヘクタールという素晴らしいオープンスペースで、同じ構想で建築されました。非常に大きなビルですが、ある意味ではコンパクトにまとまっています。ターミナルはヒースローと同じ4つ、最終的に5つになりますが、移動は簡単にできます。ショッピングセンターも中にありますし、非常にスケールの大きい複雑なビルです。街と空港をつなぐ鉄道がうまくリンクしていて、小都市です。レンタル料は香港で最高ですが、空き率は最低です。バゲッジホールはショッピングセンターの下で、大雑把に言ってヤンキースタジアムやウエンブリースタジアムと同じくらいの広さがあります。
問題はこのような大きな空港をどのようにしてなじみ易く親しみやすくするかです。ある意味でこれはデジタルビルにおける試みといえます。時計を見ると直ちに時間の感覚がわかります。数字やゾーン、色などを置き換える必要はありません。私は理想的な空港を考えて、一方を見れば山、反対側をみると海が見えるようにしました。窓からは飛行機が見えます。その意味で、時間と場所の感覚がわかるのです。

 

ミレニアム・ブリッジ(ロンドン)
私の活動の根拠地であるロンドンでの仕事をいくつか紹介して終わりにしましょう。私たちがプロジェクトを実行する時はいつでも、場所がどこであれプロジェクトと一緒にチームが動きます。マレーシアのジャングルであれ、アメリカの西海岸であれ、私たち少人数のチームでそこに移動して、そこでそのプロジェクトと一緒に完成まで生活をします。
ミレニアム・ブリッジは、インフラがいかに重要な役割を果たすかという好例です。この橋は伝統的に非常に豊かな地域、セントポール大聖堂のある歴史的な地域と、対岸の貧しい地域、最近、テイト・モダン・ギャラリーができましたが、そこを結んでいます。橋がない時にはここにギャップがありました。しかし橋が架かると波及効果が出はじめました。一本の橋が広い地域を活性化する力を持っているのです。非常にドラマティックな展開をみせて、大きなインパクトがありました。
もちろん視覚的には珍しい橋ですが、吊り橋に掛かる張力は非常に低いものです。物理的には最低限の張力しか掛かりません。吊り橋の性格というものを再評価しています。プロジェクトは全て、色々な分野の専門家、エンジニアたち、そしてこの橋の場合は彫刻家やアーティストとも共同作業を行い成果を挙げているのです。

 

香港新国際空港 foster_lecimage15
香港新国際空港
(香港、1992-98)
© Foster and Partners
香港新国際空港
(香港、1992-98)
© Foster and Partners
ミレニアム・ブリッジ  
ミレニアム・ブリッジ
(ロンドン、1996-2000)
© Foster and Partner
 


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ワールド・スクエア・プロジェクト(ロンドン)
もうひとつ、私たちが検討したのはロンドンのワールド・スクエアと呼んでいるプロジェクトです。一方にテムズ河があり、反対側にはセントジェームス・パークがあり、ホースガード・パレード広場があります。北の方にはナショナルギャラリーやトラファルガー広場があり、南の端に議事堂があります。その検討の目的はアクセス、都会生活の質、多くの歴史的建物の背景、そして公共交通機関などを改善することでした。それには一本の細いロープを渡るような、競合する力のバランスを取っていかねばなりません。アクセスを改善する必要性、しかし安全は大事にする。個人の自動車も認めるが、公共交通機関を良くする、旅行者のニーズを尊重しながらもロンドン市民のことを考えるなどでした。都市は常に調整してバランスをとる、そのプロセスの中にあると言えます。ですから、ここでの目的は、少し手を入れることによって都市生活の質的向上を図るということでした。
これは膨大なリサーチに根ざすものでした。面白いことにみんなの想定に反するものでした。書かれたものでもこの地域では、60%がビジターですが、実際は60%がロンドン子で、40%がビジターでした。2万7千人のドライバーに質問をしました。9つの調査地点と169の観察地点で調査しました。また展覧会をし、アンケートもとりました。調査した人の80パーセントあまりがこの地区の変革を積極的に支持しました。大変な数の人々の反応です。
トラファルファルガー広場の北側の舗道は混んでいます。驚くことに南端の舗道はほとんど人通りがありません。このようなことは例えば、人々が道路を横断するときなどの状況によって起こります。これらの空間のバランスを取り直すために、広場を横切って斜めの動きを改善することにしました。結論として、歩行者のために交通を封鎖しました。現在建設はずいぶん進んできて、すでに風景は改善され、広場が生き生きとしてきています。ちょっと手を加えただけですが、都市にとってみれば相当な効果があり、快適になります。
同様に、議会広場でも、またまたバスが風景を遮断していました。広場が人々と噴水のものになれば、劇的な改善ができます。これは次の段階です。コンペで勝利してプロジェクトがスタートする時、マスコミと協力することによって、ホースガード・パレードの驚くような混雑に人々の関心をひくことに成功し、世論がそろって「この場所から車を追い出そう」と言うことになりました。面白いことに当時は大変な議論をかもし、興奮、論議、ディベートを巻き起こしました。もちろんすぐに、そんなことは忘れてしまうものです。もし誰かにそこが駐車場だったときのことを覚えているか聞いても、恐らく覚えていないでしょう。

大英博物館グレートコート
ロンドンの一連のプロジェクトの最後は、大英博物館です。この博物館は19世紀の中ごろに200人とか300人のためにデザインされたものですが、現在ではルーブル美術館やニューヨークのメトロポリタン美術館と同じように、年間600から650万人の人が訪れます。それだけの人がいると、一つのギャラリーから次のギャラリーに移動するのはまさに戦いで、トラファルガー広場を移動するのとちょっと似ています。
中心にある丸い建物が図書室、読書室です。ここに全ての本が所蔵されています。建築された当時の大英博物館には中庭がありましたが、博物館を建築したスマーク兄弟が、7年後に庭園の中央に丸い読書室を建てたのです。博物館の中央部分を中庭にするというアイディアは、事実、歴史はあるのですが、短い歴史といえましょう。それで、私たちが提案したのは、このビルを取り除いて、非常に繊細なガラスの傘を天井に設けることしたでした。考え方としては、都市の一部として機能させることです。つまり博物館が閉館したあともこの中にやってきて、ここで会ったり、パフォーマンスを楽しんだり、ちょっとした展示を楽しんだり、本屋やレストランやカフェなどで時間を過ごしたり、このブロックを通り抜けて近道が出来るようにしたということです。開館中は、個々のギャラリーに簡単にアクセスできます。大勢の来訪者にとっても文化的な建物としても、公共の場があった方がその目的に適うだろうと考えたわけです。

そして最後に、現在、他のプロジェクトにも関わることでもありますが、ニューヨークの世界貿易センタービル跡地の問題です。私たちの新しいアイディアは最終プロセスまで来ていて、来月末までに完了すると思います。異なった色々なチームが一緒になって、様々な課題に対応し、様々なファミリーグループから学んだり、聞いたりして努力をしています。そこでのチャレンジは、ビルを刷新すること、高密度のビルにすること、そしてその場所の文化的な次元、またメモリアル的な次元でも再評価することです。
最終的には、全ての相反するファンクターを融合してバランスを取り、非常に質の高いものに統合していく、それが実現されると信じています。ありがとうございました。

 

大英博物館グレートコートの内部      
大英博物館グレートコートの内部
(ロンドン、1994-2000)
© Foster and Partners