巨大なテントなど張力構造のパイオニアであり第一人者。これまでの常識を覆した超軽量・高性能の建築思想は、20世紀の建築界に大きな変革をもたらした。
彫刻家の家庭に生まれ、ベルリン工科大学に進学。第二次大戦中にフランスで捕虜となり、収容所建設の水利工事などを担当、建築の基礎をたたきこまれた。
1950年、米国で出会ったケーブルネット構造のプロジェクトに強い感銘を受け、軽量構造の研究を始める。54年、博士論文「吊り屋根」を執筆。重厚長大な建築がもてはやされていた時代に軽量へ進む姿勢は、建築界に衝撃を与えた。「軽量構造がドイツで軽視されていたので、それに対抗する意識はありました。ただ、私は純粋にテントを美しいと思っていました」
1964年にドイツ・シュトゥットガルト大学教授に就任。軽量構造研究所を設立し、物理学者、数学者、エンジニア、生物学者、歴史学者、哲学者などからなる学際的な研究グループで自然界の構造の研究を本格化し、その成果は建築に生かされた。
1967年のモントリオール万博西ドイツ館や1972年のミュンヘン・オリンピック競技場の屋根など、ケーブルネット構造や膜構造を駆使した大空間は、模型実験で最適な曲面が計算され、自然と建築が融合したと高く評価された。1975年のドイツ・マンハイム連邦庭園博覧会多目的ホールは、木造の格子シェルでうねるような屋根全てを覆った独創的な構造。その他、サウジアラビアのメッカ巡礼者のためのテント・シティ、ロックバンド「ピンク・フロイド」コンサート・ツアーのための「アンブレラ」(ステージルーフ)など活動範囲は広い。
2000年のハノーヴァー万博では、坂茂設計の素材に紙管を使った日本館の構造設計コンサルタントとして参画、エコロジカルな建築が話題を呼んだ。
「建築は地震や水害など自然の暴力に対抗しているが、問題はその必要性がない所でも、自然と対抗していることだ。建築家は、周囲の自然や人類全体の発展に対して、最大限の注意を払わなければならない」と語り、自然との融和、共生を唱える。
81歳の現在も、北ドイツ・ノイスの住宅用移動建築プロジェクトなどに参加し、ライフワークの都市計画に関する本も執筆中と、創作意欲は依然旺盛である。