第8回
1996年
演劇・映像部門
Andrzei Wajda
アンジェイ・ワイダ
ナチス占領とスターリン時代下のポーランドの運命を見据えつつ、人間の尊厳と自由精神の高揚を力強く訴える優れた作品群を生みだし、映画芸術の発展に大きな役割を果たす。
1926年、ポーランドのスヴァウキで生まれる。16歳で対独レジスタンス運動に参加。戦後、クラクフで見た浮世絵に触発されて絵画を学ぶが、ウッチの国立映画大学演出科に入学、演出を学ぶ。レジスタンス体験を基にした「世代」(1954)で映画監督デビュー。「地下水道」(1956)ではワルシャワ蜂起に敗れて死に行く若者達を、「灰とダイヤモンド」(1958)では戦争で生き残った若きテロリストの末路を鮮烈な映像で描く。これらは“抵抗3部作”と呼ばれ、カンヌ映画祭、ヴェネツィア映画祭などで数多くの国際賞に輝いた。さらに映画を通して政治的発言を続け、「大理石の男」(1977)、「鉄の男」(1981)を手がけた。
81年、戒厳令が発せられると、映画人協会会長の職を追われたが、国外の友人の協力を得て制作を続け、86年「愛の記録」で復帰、「コルチャック先生」(1990)、「鷲の指輪」(1992)、「聖週間」(1995)などで祖国の運命を語り続ける。演劇面でも、ドストエフスキーの「悪霊」、ポーランドの民族的な作品、「婚礼」などの他、90年には板東玉三郎主演の「ナスターシャ」を演出している。
94年には、長年の夢だったクラクフ日本美術・技術センター(設計・磯崎新)を創設した。
略歴
ひたすらポーランド民族の魂を映像で表現する巨匠は、神に選ばれた語り部のように人間の尊厳と自由を力強く歌い上げる。それはポーランド一国にとどまらず、地球規模の勇気を我々に与えてくれた。
アンジェイ・ワイダは1926年、ポーランド北東部のスヴァウキで生まれた。父は軍人、母は教師だった。13歳でドイツ軍の侵略を経験したことから民族の運命を実感し、16歳で反ナチス抵抗運動に身を投じた。終戦後はクラクフの美術大学で絵を学ぶ美術青年だったが、孤独な制作が性格に合わず、ウッチの国立映画大学で演出を学び、映画監督を目指すようになる。
少年時代のレジスタンス体験をもとにした『世代』(1954)で監督デビュー。続く『地下水道』(1956)、『灰とダイヤモンド』(1957)の、いわゆる抵抗3部作を30歳までに発表し、彗星のようにデビューを飾った。『地下水道』はドイツ軍に追われて死にゆく若者を描き、『灰とダイヤモンド』は非共産主義レジスタンス組織「AK」の兵士が戦後の体制変化のなかで、テロリストとして最期を遂げる。いずれも第二次大戦前後に、ポーランドの若者たちが巻き込まれた苦難の歴史を告発する問題作だった。画期的な名作としてカンヌ、ヴェネツィア国際映画祭で受賞。その名を世界中に知られるようになった。
その後も巨匠は手をゆるめず、ポーランドが背負った歴史の重み、苦難の歴史を追い続ける。当局の検閲と闘いながら、労働者の悲劇的運命をテーマにした『大理石の男』(1977)は東ヨーロッパで初めてスターリン主義下の時代を描いたと絶賛された。また、グダニスク造船所のストに取材した『鉄の男』(1981)はポーランドの自主管理労組「連帯」の勝利の原動力になった。それがポーランドの社会体制を変革して民主化へのステップになり、やがてベルリンの壁崩壊へとつながっていく。
だが、1981年末の戒厳令で自身の製作集団が解散させられ、映画製作者同盟の議長職も追われた。やがて自由に製作できるようになったが、娯楽作品に走ることなく、検閲によって書くこと、話すことができなかった歴史的事実の検証に向かった。ユダヤの子供たちとガス室に消えた『コルチャック先生』(1990)、『灰とダイヤモンド』のテーマをさらに深く掘り下げた『鷲の指輪』(1992)などの作品を生んだ。
ポーランドという限られた世界を舞台に、大国のエゴに弄ばれた民族の魂、苦難、その歴史を執拗に追求し続けた監督は映画史上に例がない。それゆえに貴重であり、描かれた悲劇は人間の尊厳、自由の重さを強く訴えてやまない。
親日家としても知られ、1989年に受賞した「京都賞」の賞金をもとに、日本でも資金を募って、クラクフの美術館に眠っていた北斎、歌麿、広重などの浮世絵などを展示した「クラクフ日本美術・技術センター」を開館した。その理由について、「私は自分自身にないものを日本の芸術に見出した。長い伝統から生まれてきた、ある種の完璧さを感じる」と語っている。
そして、ワイダはまた優れた舞台演出家でもある。1990年春、東京の隅田川左岸にある小劇場ベニサン・ピットで、『ナスターシャ』が上演された。ドストエフスキーの『白痴』を翻案した作品で、美女ナスターシャを愛した純朴なムイシュキン公爵と商人ラゴージンの三様の生き方が描かれた。ナスターシャとムイシュキン公爵の二役が坂東玉三郎、ラゴージンが辻萬長。玉三郎の公爵が突然、死んだはずのナスターシャに変身。現実と幻想のはざまから、男女の愛憎を浮き上がらせるみごとな演出だった。
玉三郎に、ワイダ自身にないもの、日本の伝統美を見出したのだろう。若いころクラクフで見た浮世絵に、ヨーロッパ絵画の伝統とは異なるものを感じて強い印象を受けたように。
小田孝治
略歴 年表
「帽子一杯の雨」で舞台演出家としてデビュー
「ナスターシャ」を演出
神戸映画祭で講演
主な作品と受賞
主な演出舞台作品
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©Andrzej Wajda
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灰とダイヤモンド(1957)
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Everything for Sale(1969)
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大理石の男(1977)
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鉄の男(1981)
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コルチャック先生(1990)
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クラクフ日本美術技術センターにて