第8回
1996年
絵画部門
Cy Twombly
サイ・トゥオンブリー
絵画は“子供のいたずら書き”のようなと形容される反面、画家自身はギリシャ・ローマの古代世界に遊ぶ「孤高の詩人」とも呼ばれる。
1928年、アメリカ・ヴァージニア州のレキシントンに生まれ、ボストン美術館付属美術学校とニューヨークの美術学生連盟で学ぶ。1950年代ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズ等とともに活動を始めた。アメリカの抽象表現主義の第二世代と目されたが、次第に独自の道を歩んでいく。「地中海に共鳴する人間」と自称し、57年以来、主にイタリアで活動してきたが、近年はレキシントンと半々に滞在している。その画面に一見とりとめもなく投げ込まれたかに見える絵の具の飛沫、シェリーやキーツ、ギリシャ・ローマ神話などの言葉の断片、落書き風の筆の走りなどが互いに触発し合い、否定し合い、戯れあってさまざまなイメージを呼び起こす。
95年、ヒューストンに完成したレンゾ・ピアノ設計によるトゥオンブリー作品のギャラリーのため「憂愁の分析」「怠惰の翼」など超大作を制作している。
略歴
サイ・トゥオンブリーの絵画は常に「子供の落書き」のような、と形容される反面、画家自身は、ギリシャ・ローマの古代世界に遊ぶ「孤高の詩人」などと呼ばれる。その画家が野球選手の息子というのが、またいかにもアメリカ的である。「サイ」という名は、大投手サイ・ヤングにちなんだニック・ネームだという。この地中海文化に魅せられたアメリカの画家は、フォルムや言葉や数字を画面の中で浮遊、飛翔させる。絵具の飛沫、落書き風の筆の走りが戯れあって、ひそかやな絵日記を読み見る楽しさが横溢する。一見とりとめもないようで、光のフィールドとしてとらえられたカンヴァスは鉛筆やチョークによる線描と油彩の技法が駆使されていて、地中海を思わせる晴朗な詩的空間を響かせる。トゥオンブリーの即興性に富む「落書き」は、エレガンスとダンディズムに律せられているのだ。
トゥオンブリーは1950年代、ロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズらとともに活動をはじめた。1928年ヴァージニア州レキシントンに生まれ、ボストン美術館付属美術学校と、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学んだ。友人のラウシェンバーグの勧めで1951年、ノースカロライナ州のブラック・マウンテン・カレッジの夏季講習に参加し、ラウシェンバーグをはじめフランツ・クライン、ベン・シャーン、ロバート・マザウェルらの指導を受けた。1952年、ラウシェンバーグとともに南ヨーロッパや北アフリカを旅行し、また彼を通じて、作曲家の故ジョン・ケージや舞踊振付家のマース・カニングハムを知った。トゥオンブリーは、第二次大戦後にニューヨークを中心に開花した抽象表現主義の第二世代と目されたが、しだいに独自の道を歩んでいく。
イタリアに定住するきっかけとなったのは1957年、ローマの名門、フランケッティ家の兄妹との出会いだった。美術のパトロンだった兄のジョルジオの後援でミラノで成功を収め、2年後、肖像画家として活躍していた妹のタチアナと結婚した。ローマと郊外のバッサーノや、ローマとナポリのあいだの港町ガエタに家をもち、田園や海辺の光のなかで制作を続ける。地中海文化に深く魅せられ、イスキア島やミコノス島にも滞在した。「ギリシャ・ローマの神話や古典は創作、表現に向かうエネルギーを私に与えてくれるスプリング・ボード」と語り、「地中海に共鳴する人間」と自称する。
1950年代後半、トゥオンブリーの「落書き」のような鉛筆画は抽象表現主義をくつがえすかにみえたが、美術界の抽象表現主義からポップ・アートへの移行のうちに、彼の文学性、物語性は時代に逆行するものとして無視されて、ジャクソン・ポロックからアンディ・ウォーホルへとつながるアメリカ美術の主流の埒外に置かれた。
1960年代初期には白い地に華やかな色彩がみられたが、後半になるとニューヨークでの制作が増え、暗い地色に移行する。1970年代に入ると、ふたたび暗から明へと向かい、1980年代には、より自然への関心を深めていった。絵画のほか、木、砂、紙、布などを使い、白く塗ったオブジェなどの立体作品も制作している。
評価が高まったのは、やっと1980年代に入ってからだった。マスコミの取材を拒み、「制作以外のときはリルケなどの詩を読んだり、庭いじりをして過ごす」という孤高を好む私生活が一種の神話を形成したこともあるが、その絵画世界が極めて高踏的で難解な要素を含むことにもよるだろう。ギリシャ・ローマ神話から、ホメロスやヴェルギリウスの古典、シェリーやキーツ、マラルメ、ヴァレリーの詩などを縦横に引用する作風は美術史的にもくくりにくい。1980年代、ヨーロッパの現代作家たちがアメリカで注目されるようになったのを機に、トゥオンブリーは欧米を結ぶかけ橋の役割をも担って、その評価が決定づけられた。
1994年、ニューヨーク近代美術館で回顧展が開かれ、翌95年にはテキサス州ヒューストンにあるメニル・コレクション美術館の別館に、レンゾ・ピアノ設計のトゥオンブリー作品のみを展示するギャラリーが完成した。この素晴らしいギャラリーのために『憂愁の分析』、『怠惰の翼に』などの超大作を制作している。近年は郷里のレキシントンとイタリアとに半々に滞在するようになった。
松村寿雄
2011年7月、ローマにて逝去
略歴 年表
ニューヨーク、クーツ・ギャラリーで初個展(ガンディ・ブロディとの2人展)
ローマの名家、フランケッティ兄妹と出会いローマに定住する
ローマとナポリの間にある海辺の町、スペルロンガに家を借り、ドローイングのシリーズを制作する
西武美術館(東京)で開催されたアメリカ美術30年展に出品
パリ、ポンピドゥーセンターで個展
ニューヨーク近代美術館で回顧展
主な作品
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ブラックマウンテンにて(1951)
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ティズニット(1953)
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トロイの英雄たち(1978)
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無題、ブロンズにペイント(1987)
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無題(1992)