第20回
2008年
演劇・映像部門
Sakata Tojuro
坂田 藤十郎
はんなりした色気、戯曲の深い解釈、芸容の大きさで現代を代表する歌舞伎俳優。上方和事の二枚目から立女形の役どころまで幅広い。海外公演も多く、歌舞伎のドラマ性、独特の美を世界に発信している。1941年、二代目中村扇雀を名乗って初舞台。90年、三代目中村鴈治郎を襲名し、2005年上方和事の祖、初代坂田藤十郎の名跡を231年ぶりに襲名、名実ともに上方歌舞伎を象徴する存在に。「初代が和事芸を創造したように、私も自身の芸を作り上げたい」と、独自の歌舞伎の創造に意欲を燃やす。畢生(ひっせい)の当たり役、「曽根崎心中」のお初は通算1200回を超え、作者の近松門左衛門の作品を上演する「近松座」を旗揚げ。喜寿を迎え、さらなる芸の高みを目指す。
略歴
はんなりと豊饒な色気、戯曲の深い解釈、圧倒的な芸容の大きさで、現代を代表する歌舞伎俳優。自身のアイデンティティーともいえる上方歌舞伎を中心に、「河庄」の治兵衛など上方和事の二枚目から、「伽羅先代萩」の政岡のような立女形(たておやま)の役どころまで、幅広く活躍している。
2005年、上方和事の祖といわれる初代坂田藤十郎の名跡を231年ぶりに襲名、名実ともに上方歌舞伎を象徴する存在となった。「初代藤十郎が和事芸を創造したように私も自身の芸を作り上げていきたい」と、伝統を受け継ぎながらも、独自の歌舞伎の創造に意欲を燃やしている。
「妹背山婦女庭訓」の定高では、原作の文楽のように娘雛鳥の死に顔に化粧を施すやり方を取り入れ、「熊谷陣屋」の熊谷直実は、一人で花道を引っ込む型を「これは夫婦の悲劇だから」と、妻の相模と二人花道を引っ込むやり方に変えて上演した。そこには常に原作重視、ドラマを大切にする考え方がある。
祖父は上方歌舞伎の大スター、初代中村鴈治郎、父は名優、二代目中村鴈治郎。1941年、二代目中村扇雀を名乗って初舞台。90年、三代目中村鴈治郎を襲名した。扇雀時代の53年、運命の役と出会う。近松門左衛門作「曽根崎心中」のヒロインお初である。当時の女形の常識を打ち破り、花道を徳兵衛の手を引っ張って先に入っていくお初の瑞々しさが戦後の日本の女性像と重なり、空前のブームを巻き起こした。お初は半世紀以上にわたる当たり役だ。
その時の近松との出会いが、私財を投じての「近松座」旗揚げにつながった。実は、ロンドンでシェークスピア俳優、ローレンス・オリヴィエに会った時、「東洋のシェイクスピア、近松の作品をやる劇団をつくったらどうか」と励まされたのがきっかけだという。「心中天網島」を近松の原作に戻して上演するなど、演劇運動の一面も持つ。
海外公演も多く、歌舞伎のドラマ性、奥深さ、そして独特の美を世界に発信している。2005年に歌舞伎はユネスコから世界の無形文化遺産に認定され、「歌舞伎の愛の物語は万国共通。歌舞伎を通じて、日本と日本人を分かってもらいたい」と、国際交流にも積極的だ。
2007年から2008年にかけては喜寿記念として、4都市で女形舞踊の最高峰「京鹿子娘道成寺」を上演。「江戸、上方の違いを超え、歌舞伎全体のことを考えていきたい」と、藤十郎の挑戦は飽くことを知らない。
略歴 年表
お初役の上演回数が1200回を数える
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博多座にて
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博多座にて
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1.京鹿子娘道成寺道行きより鐘入りまで
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