第19回
2007年
演劇・映像部門
Ellen Stewart
エレン・スチュワート
「実験的で前衛的な演劇を」と、ニューヨークのダウンタウンに「ラ・ママ実験劇場」を創設以来、半世紀近く、主宰者、プロデューサーとして多くの才能を発掘、世に送り出してきた。五番街の有名デパートで黒人初のエグゼクティブ・デザイナーとして働いて蓄えた貯金を基に、自前の劇場を確保した。人種差別の激しかった時代で、場所を転々としながらも舞台を守り続けた。「演劇にではなく、人に興味があった。今もそれは変わらない」と笑う。演劇を志す人への温かく確かな目は、ここから多くのスターや名舞台が生まれたことで証明されている。新人時代のロバート・デ・ニーロ、サム・シェパード、アンディ・ウォーホルらも支援を受け、1970年代に寺山修司や、東由多加率いる東京キッドブラザースが公演を行なった。最近は民話を題材にした演劇で活動の場を広げている。
略歴
ニューヨーク市マンハッタンのダウンタウンにある「ラ・ママ実験劇場」。最大のスペースでも300席と小さいが、ブロードウェーに代表される商業演劇とは一線を画し、半世紀近くにわたって、世界から集まってくる先駆的な才能を紹介し続けている。
発表の場を与えるだけでなく、寝食を共にし、活動を見守る。国籍も人種も関係ない。「舞台で見たものより、あなたたちと一緒にいられることに強い印象を受ける」。世界の演劇人から「ママ」と慕われるゆえんだ。
1950年、シカゴからデザイナーを目指してニューヨークにやってきた。名門デパートで黒人女性初のエグゼクティブ・デザイナーになるが、体調を崩して退職。同じころ、義兄が脚本を書き始めた。しかし、黒人が作る舞台を上演する場はない。「ならば」とデザイナー時代に蓄えた貯金をはたいて自前のスペースを確保した。
無許可営業で拘束されたこともあったが、場所を転々とし、活動を続けた。既存の規制や条件とは無縁の「ラ・ママ」はたちまち若手芸術家の集まる場所になり、その評判は海外にも伝わっていく。
日本との縁も深い。1960年から70年代にかけて、天井桟敷の寺山修司や、東由多加率いる東京キッドブラザースが公演を行った。新人時代のロバート・デ・ニーロ、サム・シェパード、アル・パチーノ、アンディ・ウォーホルらも彼女の支援を受けている。
前衛的・実験的といわれることには、「そういう区分けはよく分かりません」とやんわり断りながら、「われわれがやるのは音楽とダンスと言語。言語は障壁でない。言語を超えた言語でコミュニケートする道を発見することが大事なのです」と、ラ・ママ演劇の本質を語る。
これを裏付けるように、オリジナル作品で、運命の悲劇を透徹した目で描いた「トロイアの女たち」(1974年初演)は、古代ギリシャ語という難解な言葉で演じられたにもかかわらず、世界各国で高い評価を得た。
現在も開幕前にベルを鳴らし、その日の演目を紹介する。尽きぬバイタリティは「人と会い、人が幸せでいること、創造するのを見ること」から生まれるという。
2011年1月13日、ニューヨークにて逝去。
略歴 年表
マサチューセッツ州でアメリカ初の国際演劇祭を主催
富山市の芸術劇場で「トロイアの女」が上演される
(スチュアート氏と「ラ・ママ実験劇場」はこれまで1000以上のオリジナル劇を上演、70ヶ国以上からアーティストを受け入れ、数知れない賞を得ている)
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©The Sankei Shimbun 2007
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ニューヨークのラ・ママ実験劇場
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ニューヨークのラ・ママ実験劇場
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開演のベルを鳴らすスチュワート氏
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ロミオとジュリエット
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トロイアの女