トップ 受賞者一覧 ジョージ・シーガル

第9回

1997年

彫刻部門

George Segal

ジョージ・シーガル

 実際の人体から石膏で直接型取りするという、かつてない技法を通して彫刻芸術に新たな地平を開いた。その生き写しの石膏像は現代人の普遍的な姿を浮きぼりにしていている。
1924年、ニューヨークのブロンクス生まれ。家業の養鶏場を手伝いながら、芸術家としてのスタートを切る。この鶏舎は後にアトリエになった。ニューヨーク大学などに学び、58年に絵画から立体に転じた。
  62年「ニューリアリスツ」展にアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインらと参加、「バスの運転手」「食卓」を出品して注目を集める。71年からはこれまでの石膏の包帯の外側の型取りではなく、包帯の型の内側に石膏を流し込む“インサイド・キャスティング”によって、表情や衣服のしわなどがさらにリアルに表現された。社会的に反響を呼んだ、ニューヨークの公園に2組のゲイが登場する「ゲイ・リベレーション」(1980)、「大恐慌下のパンを求める行列」(1991)など、街角や地下鉄などの日常を舞台に、動きの一瞬を凍結されたかのように人体像が瞑目したまま立つ。さらにセザンヌやピカソの静物画の立体化も試みている。日本でも80年来たびたび展覧会が開かれている。2000年死去。

略歴

  ジョージ・シーガルといえば、すぐさま、あの真っ白で寂しげな等身大の人物像が目に浮かぶ。人体から直接型取りするという、かつてない技法を通して現代人の普遍的な姿を浮き彫りにし、彫刻芸術に新たな地平を開いた。
  シーガルのモデルとなる人たちは、石膏液にひたしたギプス用の包帯を巻き付けられるとき、当然ながら目を閉じなければならない。そのため等身大の石膏像として完成された登場人物たちは、たとえ歩いていても必ず瞑目している。実は瞑目していない人物像が1体だけあって、シーガル自身の説明によれば、「技術的には目もつけられるわけで、『店のウインドー』という作品に現れる女性の目を青くした。ところが、これが人形の目みたいで気持ちが悪い。以来、目はつけたことがない」。この作品はアメリカのミルウォーキー・アート・センターに収蔵されている。
  シーガル風人物像をつくるためには「直接型取り」が不可欠であり、誰もが喜んでモデルになってくれるわけではない。まだ今日の名声もなく、この技法が実験段階だった時分は、とくにモデルのなり手がなかった。それで、最初は自身で試みた。「毛深いので、包帯をはがすときの痛さが忘れられない」という。1961年のことだ。次のモデルは身近なヘレン夫人だった。
  1924年、ニューヨークのブロンクスの生まれ。両親は無一文でアメリカに渡ってきたロシア系移民だった。クーパー・ユニオンや、ニューヨーク大学で学んだ。シーガルが頭角を現した1950年代のニューヨークのアート・シーンといえば、抽象表現主義絵画が席巻していたが、「彼らはリアルな世界をシャットアウトしていた」。そんな風潮のなかで、マルセル・デュシャンやジョン・ケージらの前衛芸術家がシーガルの指標となった。
  「私は彼らを“リアリティーの詩人”と呼びたい。私も若かったし、性急だった。さまざまな規制のなかで、我々自身の体験や、日常的な情景をかたちにしたい。肉体的なリアリティーと、精神的なリアリティーとの一致を模索していた」
  1960年代に入って、それらの造形思想はかたちをとりはじめた。石膏という素材に着目する。「純粋な質感を得るには格好の素材だった。微妙なジェスチャーも生きる。ルネサンス時代以来のスフマート(ぼかしの技法)で、心理的効果も出せる」。そして、人物像にテーブルや椅子や壁などが配された。
  シーガルは、ときに非日常的な『仮装パーティー』(1965)、『大虐殺』(1982)、『アブラハムとイサク』(1970)で物語の劇的な場面も写しとる。『仮装パーティー』では青、黒と黄、深紅などの鮮烈な色彩を施された人物たちも出没して、戦慄的な幻想を繰り広げた。だが、なんといってもシーガルの真骨頂は、アメリカの市井人のさりげない日常生活の断面を、環境ごと切り取って凝固させてしまったことだろう。その斬新な作風で、おりから興隆期にあったポップ・アートの前衛を担うひとりとして、アメリカのみならず、ヨーロッパ美術界をも注目させた。ニューヨークのシドニー・ジャニス画廊での「ニュー・リアリスツ」展(1962)にロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、クレス・オルデンバーグやフランスのヌーヴォー・レアリストたちと出品した。
  1970年代に入って、石膏像をブロンズで鋳造するようになると、シーガルの群像は都市の公共空間に設置されるようになった。アメリカでもヨーロッパでも、都市の公共の場では抽象彫刻が全盛を誇っている。そこにシーガルの生んだ人々が、ひそやかに侵入しはじめた。かつて周囲を睥睨していた偉人たちの銅像に代わって、市井の人々──長距離バスのターミナルで待つ旅人、製鉄所の作業員、公園のベンチに座る中年の男女─が、都市彫刻の主役の座を占めるようになった。ニューヨークの公園を舞台に、2組のゲイのカップルが登場する『ゲイ・リベレーション』(1980)などは社会的反響を呼んだ。それは市井人による都市彫刻の「解放」でもあった。
  近年は、マティスやセザンヌの絵画の立体化も試み、白い石膏像に色彩を施すようになった。1990年末に東京で発表された作品群は、ラッシュアワーの町中の人々は灰黒色に、裸婦は薄緑に、老女は肌色に彩色されていた。
  そのときの展覧会では、都会の交差点の風景をとらえた群像『ストリート・クロッシング』の大インスタレーションが圧巻だった。ヘレン夫人も登場する。7人の男女が歩いている。いや、歩いているところを凝固させられてしまって、たたずんでいるといったほうがいいかもしれない。みな瞑目していて、白い石膏の荒々しい肌合いに現代に生きる哀感、孤独感、疎外感をにじませている。写実主義の極みともいえる人物たちは、一種の乾いた象徴性を帯び、普遍性を獲得する。
  シーガル作品では光の効果も重要である。『早朝、ベッドに横たわる女』(1984)の顔に窓から朝日が差し込む。この作品も、『ストリート・クロッシング』も、白昼夢のような幻想性をたたえ、静寂のうちに、現代人への鎮魂の祈りを奏でるのだ。
  


松村寿雄
2000年6月9日逝去

略歴 年表

1924
11月26日、ニューヨーク、ブロンクスに生まれる
1948-49
ニューヨーク大学で美術を学ぶ
1958
立体に転向、木材や金網、麻布で初めて石膏人体像を試み、絵画と石膏彫刻を組み合わせた作品を個展で発表
1961-63
ニュージャージー州ラトガーズ大学大学院に学ぶ
1962
シドニー・ジャニス画廊の「ニュー・リアリスツ」展(ニューヨーク)に参加
1963
サンパウロ・ビエンナーレのアメリカ部門「10人のアメリカ人彫刻家」に選ばれる
1968
シカゴ現代美術館で個展
1971-73
ヨーロッパ巡回展
1973
旧約聖書に題材をとった公共彫刻「イサクの犠牲」がイスラエルで論議を呼ぶ
1976
国務省の文化交流計画でソ連を訪問
1978-79
ミネアポリス、ウォーカー・アートセンター、サンフランシスコ近代美術館、ニューヨーク、ホイットニー美術館で大回顧展
1981
交換プログラムの一員として中国を訪問
日本での個展準備のため初来日
1982
日本での巡回展(東京・西武美術館、富山県立美術館、大阪・国立国際美術館、倉敷・大原美術館)
1983
コンピューターをテーマにした「時代の機械」(82年)が「タイムズ紙」の表紙を飾る
ユダヤ人虐殺の犠牲者を追悼する記念碑のコンクールで「大量虐殺」(82年、ブロンズ像、サンフランシスコ、ゴールデン・ゲート・パークに設置)が優勝する
エルサレム、イスラエル美術館で個展
1986
イスラエル文化賞(ニューヨーク・イスラエル同盟)
1990
ギャルリー・ところ、ギャラリー上田で個展
1996-97
東京・セゾン美術館、静岡県立美術館、佐倉・川村記念美術館で回顧展
1992
国際「生涯の業績」賞(ワシントン・国際彫刻センター)
1997
高松宮殿下記念世界文化賞・彫刻部門受賞
2000
6月9日、ニュージャージー州の自宅で逝去

主な作品

1961
「テーブルの上に座る男」 (メンヘングラートバッハ美術館、ドイツ)
1963
「ガソリン・スタンド」 (ナショナル・ギャラリー、オタワ、カナダ)
1964-66
「簡易食堂」(ウォーカー・アート・センター、ミネアポリス)
1965
「肉屋」 (アート・ギャラリー・オブ・オンタリオ、カナダ)
1969
「空中ブランコ」 (作者蔵)
1970
「夜のタイムズ・スクエア」 (ネブラスカ州オマハ、ジョスリン・アート・ミュージアム)
1972
「ガートルード:二重の肖像」 (佐倉・川村記念美術館)
1976
「進め-停まれ」 (ニューヨーク、ホイットニー美術館)
1980
「ゲイ・リベレーション」 (ニューヨーク、クリストファー公園、軽井沢・セゾン現代美術館)
1991
「不況による食料配給の列」 (ワシントン、フランクリン・ルーズベルト記念公園)
  • ガートルード:二重の肖像(1972)

  • 大恐慌下のパンを求める行列

  • アトリエにて(1997)

  • アトリエにて(1997)

  • アトリエにて(1997)

  • 自宅にて(1997)

ガートルード:二重の肖像(1972)
佐倉・川村記念美術館

大恐慌下のパンを求める行列(ワシントン・フランクリン・ルーズベルト記念公園、1991)
274.3 x 376 x 91.5cm. ©The Sankei Shimbun

アトリエにて(1997)
©The Sankei Shimbun

アトリエにて(1997)
©The Sankei Shimbun

アトリエにて(1997)
©The Sankei Shimbun

自宅にて(1997)
©The Sankei Shimbun