第5回
1993年
音楽部門
Mstislav Rostropovich
ムスティスラフ ・ ロストロポーヴィチ
20世紀最高のチェリストの一人。その豊かな表現力と卓抜とした技術に、巨匠パブロ・カザルスも絶賛。指揮者としても、特にスラブ音楽に独自の境地を拓いている。
1927年、旧ソ連アゼルバイジャン共和国の首都、バクーに生まれる。34年、一家はモスクワに出る。カザルスに師事した父親にチェロの手ほどきを受ける。母親もピアニスト。4才でピアノ、7才でチェロを学び、10才でデビュー。モスクワ音楽院で5年の課程を2年で終えた。在学中にプラハなどのコンクールで優勝、注目される。48年、卒業と同時に母校の教員に迎えられ、後に教授となる。
56年以降、国外でも精力的な演奏活動を展開。ソ連邦人民芸術家の称号など数々の賞が与えられる。61年、ボリショイ劇場の「エフゲニー・オネーギン」で指揮者としてデビュー、外国の交響楽団の客演指揮も始める。戦後の74年、作曲家ショスタコーヴィチ、作家ソルジェニーツィン、物理学者サハロフらを擁護して政府と対立し、祖国を離れる。75年からワシントンに定住。78年に故国の市民権を剥奪されたが、90年には帰国し、名誉を回復されてはいるが、今も国籍をもたない“コスモポリタン”である。
人権擁護の活動で74年に国際人権連盟賞、85年にアルベルト・シュヴァイツァー賞を授与されるなど、数多くの賞を受賞している。
略歴
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチは、チェリスト、指揮者、ピアニスト、教育者、そして人権活動家と、さまざまな顔をもつ。演奏家としては初の世界文化賞受賞者である。
スラーヴァの愛称で親しまれるロストロポーヴィチは1927年、カスピ海に面した旧ソ連アゼルバイジャンの首都バクーで生まれた。父親がチェリスト、母親がピアニストで自然と音楽の道に入っていく。4歳でモスクワに移ったが一家は貧しく、彼は大工のアルバイトをしながらモスクワ音楽院へ通う。1945年、チェロ演奏により全ソ連邦音楽家コンクールの金賞を獲得、在学中から一躍、ロシア音楽界の第一線に躍り出た。「プラハの春」チェロコンクールに優勝するなど20代から旺盛な演奏活動がはじまる。同音楽院で作曲を師事したショスタコーヴィチは終生の師となった。
ロストロポーヴィチのチェロの音色はみずみずしく暖かく、作品の内面を豊かに表現する。数多いレコーディングのなかでも、1992年に録音したバッハの『無伴奏組曲』6曲は、とりわけ高く評価されている。
すぐれた作曲家たちが競って彼のために新しいチェロ曲を書いた。師ショスタコーヴィチをはじめ、カバレフスキー、ブリテン、ジョリヴェ、ハチャトゥリアン、デュティユー、シュニトケ、バーンスタイン、ルトスワフスキらである。また、プロコフィエフはロストロポーヴィチの協力のもと『チェロ協奏曲』を改訂している。ロストロポーヴィチに献呈された作品は50をくだらず、チェロのレパートリーを大きく拡大した。
指揮活動は1961年、ゴーリキー市でデビュー。ボリショイ劇場で公演されたチャイコフスキーの『エフゲニ・オネーギン』で成功を収めた。1977年にはワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督に就任、世界の第一線オーケストラを次々に指揮して、国際的な名指揮者の仲間入りを果たした。特にショスタコーヴィチの演奏は有名である。
また、ロストロポーヴィチの生涯を語るのに夫人のソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤは欠かせない。ヴィシネフスカヤはボリショイ劇場のプリマドンナで、「プラハの春」音楽祭でロストロポーヴィチがひと目ぼれし、1955年に結婚した。
しかし、華々しい西側での活動や、社会的な行動と発言は旧ソ連当局と深刻な軋轢を生み出した。物理学者サハロフ博士を擁護し、また、ノーベル賞作家ソルジェニーツィンをかばって、郊外の別荘の車庫を仕事場として4年間住まわせた。ロストロポーヴィチ夫妻はブレジネフ議長への公開状で芸術の自由を訴え、政府の言論の自由の制限を公然と批判した。これに対し当局は1978年、夫人のヴィシネフスカヤとともに、ソ連邦人民芸術家やレーニン賞などの栄誉に輝いたこの音楽家の市民権を剥奪する。1974年には故国を去り、アメリカに移住した。
しかし、この年、国際人権連盟から賞を受けたのをはじめ、イギリスの最高位勲爵士、ドイツ勲功十字賞、フランスのレジョン・ドヌール・コマンドール賞、スペインのカタロニア国際賞、アメリカの自由のための大統領メダル、スウェーデン極北賞などを与えられている。この次々に与えられた名誉と、膨大な数にのぼる音楽賞や名誉学位などにより、彼は、おそらく史上最も多くの勲章を受けた音楽家となった。体制の崩壊で1990年、16年ぶりに祖国の土を踏むことができ、ワシントン・ナショナル交響楽団と演奏会をおこなった。
日本との縁も深く、1958年、大阪国際フェスティバルで初来日。その後も数え切れないほど来日している親日家でもある。日本を代表する指揮者、小澤征爾との「兄弟のような仲」はよく知られ、九重親方(元横綱千代の富士)と親しく、すしが大好きだ。来日の際には必ず東京の築地市場を訪れる。「ここは私にエネルギーを与えてくれる。セリには音楽のリズムがあり、仲買人は自分独自のスタイルをもつアーティストだ」という。1998年3月には東京で、「ロシアにいる我々が何を望み、何に苦しんでいるかという時代の真実を音楽で雄弁に語った」ショスタコーヴィチへのオマージュとしてフェスティバルを開いた。
江原和雄
2007年4月27日、モスクワ市内の病院で逝去
略歴 年表
主な献呈作品
代表的名演奏の録音
ショスタコーヴィチ「チェロ・ソナタ」 (ピアノ:デデューヒン)
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ソフィア・グバイドゥーリナ(左)、レナード・スラトキン(右、指揮)
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エヴィアン音楽祭リハーサル(1993)
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世界文化賞受賞記念コンサート(東京、1993)
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パブロ・ピカソと(1972)