第28回
2016年
建築部門
Paulo Mendes da Rocha
パウロ ・ メンデス ・ ダ ・ ホッシャ
2004年に世界文化賞を受賞した、ブラジルを代表する建築家、オスカー・ニーマイヤーに次いでブラジル二人目の受賞。サンパウロのマッケンジー・プレスビテリアン大学を卒業後、早くから頭角を現し、29歳で手掛けた『パウリスターノ・アスレチック・クラブ』をはじめ、『サンパウロ州立美術館』改修、『ブラジル彫刻美術館』、パトリアルカ広場再開発の『ポルティコ』など、コンクリートやスチールの素材の魅力をそのまま生かし、空間を最大限に利用した斬新な構造が特徴。「内部と外部の理想的な親和状態」を追求し、土地柄や歴史、景観などを総合的に勘案して設計する。ポルトガル・リスボンの『国立馬車博物館』(2015) はブラジル以外で初の大規模建築。1970年の大阪万博で『ブラジル館』を設計した。2006年のプリツカー賞受賞もニーマイヤーに次いでブラジル二人目。今年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞した。
略歴
90歳にも近いという年齢には見えない若々しさを保ち、その創造性と真摯な取り組みは衰えを見せない。サンパウロ大学で教壇に立ち、ブラジル建築家協会の会長も務めたが、今も大御所として第一線で活躍している。
港湾や川、運河などの建設の仕事をしていた父の影響で、幼少時から建築家の道を目指す。サンパウロのマッケンジー・プレスビテリアン大学を卒業後、早くから頭角を現し、29歳でコンペに勝利、『パウリスターノ・アスレチック・クラブ』を手掛けた。以降も『サンパウロ州立美術館』改修、『ブラジル彫刻美術館』、パトリアルカ広場再開発の『ポルティコ』など、サンパウロを代表する数々の建築に携わる。多くはコンクリートとスチールのシンプルな素材の魅力をそのまま生かし、空間を最大限に利用した構造が特徴。
設計に当たっては「内部と外部の理想的な親和状態」を追求してきた。土地柄や歴史、景観などを総合的に勘案するが、「建築家は自分のために設計するのではなく、社会のために設計する。だから社会に対する責任がある。社会の欲求はきわめて複雑であり、必然的にその複雑さ全体に向け、同時に取り組まなければならない」と語る。
また、「建築の魅力はあらかじめ定められたルールがないところ。建築は人間の想像力に従うものだから、建築家であるには、極めて自由でなくてはならない」と強調する。
建築物の多くは、自身が今も住むサンパウロに集中しているが、近年はポルトガルの首都リスボンにある『国立馬車博物館』(2015)の設計を手掛け、ブラジル以外で初めての大規模建築として話題を呼んだ。
日本では、1970年の大阪万博で『ブラジル館』の設計を担当。大阪に一カ月滞在し、「私の人生の中で最大の冒険の一つだった。道頓堀によく行って飲んだ」と懐かしむ。
2004年に世界文化賞を受賞したブラジルの先輩建築家、オスカー・ニーマイヤー(2012年に104歳で死去)については、「一緒に働いたことは一度もないし、仕事上の協力もなかったが、彼は本当の親友。よく電話をもらったし、リオデジャネイロに行くと必ず彼の事務所に寄った」と振り返る。それだけに、ニーマイヤーに次いでブラジル二人目の受賞をひときわ喜び、「この賞は、個人としての私に対するものではなく、日本国民とブラジル国民との友情の記念のようなもの」と話している。
略歴 年表
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『サンパウロ州立美術館』内にて
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『旧自邸』
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『ブラジル彫刻美術館』
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『サンパウロ州立美術館』
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『サンパウロ州立美術館』
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パトリアルカ広場の『ポルティコ』