第2回
1990年
彫刻部門
Arnaldo Pomodoro
アルナルド・ポモドーロ
文明によって蝕まれたような裂け目を持ったブロンズの球体、アステカの暦石にインスピレーションを得た円盤、古代ギリシャ・ローマを思わせる円柱、いずれのシリーズもモニュメントとしての構築性が目を射る。ポモドーロの造形は大きなエネルギーに満ち、ドラマティックで華麗である。
1926年中部イタリア、ペーザロの近郊に生まれた。建築を学んだ後26歳のとき立体造形に転じる。50年代から60年代にかけてヴェネツィア・ビエンナーレ等の国際展で活躍、受賞を重ね、すでに30歳で国際的な名声を確立した。50年代の末にニューヨーク近代美術館でブランクーシの彫刻を見て雷に打たれたような衝撃を受けたという。その抽象に魅せられながらも、破壊の欲望が湧きあがり「破壊の内側に私の記号のすべてを注ぎ込みたい」と、完全な球体を壊し、裂け目を視覚化してみせた。「球は大きな意味での地球、胎児を抱えている胎内、命の根源ともいえる」と語っている。
80年代に入ってからは舞台装置家としても活動。箱根・彫刻の森美術館、81年のヘンリー・ムーア大賞展で大賞を受賞した「球体をもった球体」が今も芝生の斜面で輝いている。
略歴
アルナルド・ポモドーロは1981年、箱根・彫刻の森美術館で開催された第2回ヘンリー・ムーア大賞展に『球体をもった球体』を招待出品、大賞を受賞した。この作品は今も彫刻の森美術館の芝生の斜面に置かれている。
遠望すれば、明快で華麗なフォルムが金色に輝き、いかにもラテン的な美観である。磨き抜かれたブロンズの肌は鏡面効果で、周囲の風景を映し出す。その巨大な球体が炸裂し、内蔵するもうひとつの球体をのぞかせている。内部には針状や板状の突起物が記号のようにひしめいている。球体は一見、蝕まれてはいるが、すさまじい増殖のエネルギーが充満している。生き物の臓腑を思わせて不気味な反面、精巧な機械の内部をのぞくようでもある。幾何学的な配列がリズム感を生む。おびただしい数の突起物は、生き物の進化、人間の歴史を刻む記号の集積のようにもみえてくる。蝕まれた「球体」は、文明によって破壊された世界のイメージでもあろう。ただ、この「球体」は、したたかな再生の力も秘めている。ポモドーロは、「野外彫刻の理念をヘンリー・ムーアから、素材への感覚、技法をコンスタンティン・ブランクーシから学んだ」という。
1950年代の末に初めてアメリカに渡り、ニューヨーク近代美術館でブランクーシの彫刻を見た。「雷に打たれたような衝撃だった」。ただ、ブランクーシの完璧な抽象形態に魅せられながらも、「破壊の欲望が沸き上がった」。その内側に、「私の記号のすべてを注ぎ込みたい」。ポモドーロは完璧な球体を打ち壊し、裂け目を視角化してみせた。「最初に心に刻まれたイメージは生まれ故郷の岩山や大地の裂け目といった自然の要素だった」。ポモドーロは、彫刻のなかに裂け目──アメリカの抽象表現主義を思わせる「筆触」という記号を持ち込んだといってもいいだろう。
1926年、中部イタリア、ペーザロ近郊のモルチアーノに生まれ、はじめ建築を学び、26歳のときストラヴィンスキーのバレエ『火の鳥』の舞台美術のコンクールに入賞したのを機に立体造形に転じた。1954年からミラノに定住、4歳下の弟ジオとともに工房を開き、宝石細工や金細工、小型の彫刻を制作、本格的な活動期に入った。1950年代から60年代にかけてヴェネツィア・ビエンナーレ、カッセル・ドクメンタ、サンパウロ・ビエンナーレなどの国際展で活躍、受賞を重ね、すでに30歳代で国際的な声価を確立した。
ポモドーロは常に、地中海文明の歴史を強く意識してきた。その彫刻は明らかに近代的なのだが、彼とはまったく異質の彫刻家ヘンリー・ムーアの作品と同じく、古代文明を暗示している。球体のほかにも、円盤や円柱やピラミッドのフォルムもふんだんに取り入れてきたが、ピラミッドは古代エジプト、円柱は古代ギリシャ・ローマ、円盤はアステカの暦石というふうに、すべて過去の文明と関連づけられる。アステカの暦石は、モスクワの青少年ビルの前に設置された記念碑的作品『飛翔する円盤』(1991)の制作にインスピレーションを与えた。この作品は、共産主義崩壊後のロシアに初めて登場した西洋のモダニストによる主要な彫刻であった。ポモドーロは、簡潔でありながら古代文明を喚起するフォルムの効果について、知悉しているようである。
球体、円柱、円盤のシリーズを問わず、ポモドーロの造形は、まずモニュメントとしての構築性が目を射る。ほとんど華麗な効果といっていい。そして、その構築物が炸裂して露出した部分をたどっていくと、おびただしい記号群に幻惑される。錯綜する現実を映すかのように内部に破壊と再生のドラマをはらんでいる。舞台芸術を手がけた経歴もうなずける。1980年代に入ってからは、ふたたび舞台装置家としても活躍しており、とくにローマのオペラハウスにおけるロッシーニ作曲『セミラミデ』(1982)や、1983年のアイスキュロス作『アガメムノン』(1983)の舞台デザインが話題になった。そしてさらに、墓地や燈台など、人の入れるスケールの造形に挑戦している。
松村寿雄
略歴 年表
主な作品
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戦闘-パルチザンのために
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球体をもった球体
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球体をもった球体
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4本の柱
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カリオストロの幻影
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スタジオにて