トップ 受賞者一覧 レンゾ・ピアノ

第7回

1995年

建築部門

Renzo Piano

レンゾ・ピアノ

 パリの「ポンピドゥー・センター」や「関西国際空港」など、世界を舞台に活躍するイタリアの建築家。1977年竣工の「ポンピドゥー・センター」は、鋼管フレームやダクトをむきだしにした斬新な構造が激しい論争を巻き起こしたが、古い町並みを見事に活性化し、今ではパリの名所として親しまれている。
  1934年、イタリアのジェノバ生に生まれる。ミラノ工科大学に学び、フィラデルフィアのルイス・カーンらのもとで働く。70年大阪万国博でイタリア工業館を設計。「ポンピドゥー・センター」は71年、イギリスのリチャード・ロジャースと共同で設計し設計競技に応募、世界中から集まった681作品の中から選ばれたもの。その華々しい登場以来、ハイテク建築の旗手と謳われる一方、テクノロジーと自然、伝統との結びつきを重視した建築を追求している。ステンレスの屋根が大きな曲線を描く関西国際空港(1988)は、軽さと柔軟さを基本コンセプトとし、95年の阪神大震災にも耐えた。その他の代表作は「IBM移動展示パビリオン」(1982)、アメリカ・ヒューストンの「メニル・コレクション美術館(サイ・トゥオンブリー館)」(1986)、ニューカレドニアの「ティバウ文化センター」(1998)など。

略歴

  レンゾ・ピアノは世界を舞台に活躍しているイタリア人建築家である。
  ピアノを一躍有名にしたのはパリの『ポンピドゥー・センター』(1977)だ。イギリスの建築家、リチャード・ロジャースと組んで設計し、世界中から集まった681案と競い合ったコンペで選ばれた。6階建て、長さ166メートル、幅60メートルの美術館や図書館を備えた巨大な建築である。「降り立つ宇宙船をイメージした」もので、鋼管フレームが外部に剥き出しになったさまは、まるで工事現場か巨大な機械のような雰囲気だ。古い街並みに異質な建築を持ち込み、みごとに都市を活性化させた。この建築によってピアノは34歳でいきなり大家の仲間入りをしたのだった。
  ピアノはこれまで多くのプロジェクトを手がけてきたが、同じスタイルを繰り返さない。テーマごとに新しい発想で素材、工法、構造などを考えていく。しかもコンセプトづくりの段階から構造エンジニアや材料メーカーが参画し、既成の建築概念を一新するのである。
  『IBMパビリオン』(1982)は、子供の科学教育のために、ヨーロッパの主要都市を巡回した仮設建築である。これには近代建築ではスタンダードな材料であるコンクリートやガラスは使わず、木材とプラスチックを使用し、容易に着脱できるようにした。この素材こそが独創的なフォルムを可能にしたのだ。
  テキサス州にある『メニル・コレクション美術館』(1986)は高く評価されている。主役である現代美術を、脇役である建築空間と自然光が盛り立てている。グラスファイバー入りのコンクリートでできた三次曲線の「リーフ」がガラス屋根の下に並べられ、太陽がどこにあっても自然光を適度に採取できるしかけだ。地理的条件と現代のエンジニアリングを活かし、素材の可能性を追求した作品といえる。
  日本では大阪万博の『イタリア館』(1970)、『関西国際空港』(1994)、『牛深ハイヤ大橋』(1995)を手がけている。
  とりわけ1988年に国際コンペで勝ち取った『関西国際空港』は話題となった。「人工島のハイテク空港に自然を取り込んだ」という建築は、ビルのなかにも緑を大胆に取り込んでいる。エアロ・ダイナミックスを応用した大きな曲線を描くステンレスの屋根は軽く自由で美しい。細部にもこだわりをみせ、構造体の一部はわざわざ彫刻家に依頼して模型をつくらせたという。
  この空港は1995年の阪神大震災でも被害を受けなかった。「軽さと柔軟性を基本コンセプトにしたから耐震に成功した」とピアノは語っている。
  国際コンペの入賞回数は数え切れない。「勝とうと思えば審査員の好みに合うにはどうすればいいか、戦略に走ってしまう。勝ちを意識せず、自然な状態に自分を保ち、自由な発想を生み出すことが大切」と語る。
  1937年、イタリアのジェノバに生まれ、ミラノ工科大学で建築を学んだ。祖父、父親が建設業を営んでいたため、道具に囲まれて育った。自らをアルティザン(職人)と呼び、使う材料をカタログで探すことはなく、必要なら自分の手で材料を作り出してしまう。手を動かすことでインスピレーションを得て、常にゼロから建築を組み立て直す。
  彼の活動は建築物だけにとどまらず、自動車のデザインや客船の設計にまでおよぶ。近年の活動はさらに幅の広さを増し、その活躍の舞台もますます広がっている。
  1990年ワールドカップの年に完成したパリの『サン・ニコラ・サッカー・スタジアム』は、6万人を収容する観客席が花弁のように高く外側にはねあがり、開放的な空間を形作っている。完成までの数年間に世界各地でおきたサッカー場での惨劇を分析し、パニック時の人間環境工学を研究して安全性の問題を解決したのである。
  1998年、太平洋ニュー・カレドニアのヌメアにオープンした『ティバウー文化センター』は、人類学者との協力で実現したプロジェクトで、この地域の住民カナク族の文化をたたえるための施設だ。カナク族の伝統的住居に着想をえた10棟の木製の建物が林のなかにそびえたつ。海と接する文化センターは、野外の共有のスペースもあり、全体でひとつの村落を構成している。
  また、ベルリンのポツダム広場再開発計画『ダイムラー・シティ』(1992-2000)は、14の建築事務所を招聘して開かれたコンペでピアノの案が採用された。東西に分断されたベルリンで、緩衝地帯として広大な空地となっていたこの歴史的広場を蘇らせる壮大な計画である。6万8000平方メートルの敷地に建物19棟、オフィスのみならず、住宅、ホテル、店舗、アーケード、レストラン、カジノ、劇場までも含む総合プロジェクトだ。その中心となる『デビス本社ビル』(ダイムラー・ベンツの不動産部門)をはじめ、劇場、ショッピング・モールなどもピアノが設計を担当、他の建物には磯崎新らも参加し、1998年10月2日にオープンを迎えた。


渋沢和彦

略歴 年表

1937
9月14日、イタリア、ジェノバに生まれる
1962-64
フランコ・アルビーニのもとでデザインを学ぶ
1964
ミラノ工科大学建築学部を卒業、その後父の下で家業の建設業に携わる
1965-70
ルイス・カーン(フィラデルフィア)、Z.S.マコウスキー(ロンドン)のもとで設計、研究を行なう
1970
大阪万国博覧会でイタリア工業館を設計
1971-77
リチャード・ロジャースと協働(ピアノ+ロジャース)
1977
ポンピドー・センター(パリ)竣工
1977-80
ピーター・ライスと協働(アトリエ・ピアノ・アンド・ライス)
1980-82
リチャード・フィッツジェラルドとヒューストンで協働(ピアノ・アンド・フィッツジェラルド)
1982-
パリとジェノバ、ベルリンにレンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップを設立
1989
英国王立建築家協会(RIBA)ロイヤル・ゴールドメダル、カヴァリエ・ディ・グラン・クローチェ(イタリア)
1990
京都賞受賞
1994
関西国際空港竣工
ユネスコ“善意の大使”賞
1995
高松宮殿下記念世界文化賞・建築部門受賞

主な作品

1971-77
ポンピドー・センター(ピアノ+ロジャース)(フランス、パリ)
1981-87
メニル・コレクション美術館(アメリカ、ヒューストン)
1982-84
IBM巡回展示パヴィリオン
1983-84
プロメテオ音楽スーペリア(イタリア、ベネチア、ミラノ)
1984-92
コロンブス大陸発見500年記念国際博覧会(イタリア、ジェノバ)
1985-90
ジェノバの地下鉄駅(イタリア、ジェノバ)
1986-90
ベルシー・ショッピング・センター(フランス、パリ)
1988-90
1990ワールド・サッカー・スタジアム(イタリア、バリ)
1988-94
関西国際空港(大阪府)
1990
ベルシー商業センター(パリ)
1991
モー通りの集合住宅(フランス、パリ)
1994
リンゴット会議コンサート・ホール(イタリア、トリノ)
1989-95
牛深漁港連絡橋(熊本、牛深市)
1995
メニル・コレクション美術館別館、サイ・トゥオンブリー・パヴィリオン(アメリカ、ヒューストン)
  • ジェノバの地下鉄駅

  • サン・ニコラ・サッカー・スタジアム

  • 関西国際空港

  • 関西国際空港

  • バイエラー財団美術館

  • ティバウー文化センター

ジェノバの地下鉄駅
(1985-90)©The Sankei Shimbun

サン・ニコラ・サッカー・スタジアム
(バリ、イタリア、1988-90)©S Ishida

関西国際空港
(大阪、1988-94)©The Sankei Shimbun

関西国際空港
(大阪、1988-94)©Sky Front

バイエラー財団美術館
(バーゼル、スイス、1997)©Christian Richters

ティバウー文化センター
(ヌメア、ニューカレドニア、1998)©John Gollongs