第13回
2001年
演劇・映像部門
Arthur Miller
アーサー・ミラー
世界各国で上演され続けてきた代表作「セールスマンの死」で知られる現代アメリカを代表する劇作家。50年以上にわたり、人間の弱さに対する深い思いやりと正義感にあふれ、時代を映し出した力強い作品を発表し続けてきた。
1915年、ニューヨークに生まれる。大不況の時代、多様な人種と移民の歴史に根ざしたエネルギーに満ちたブルックリンに育ったことは、後の創作の原点なった。ミシガン大学に入学しジャーナリズムを専攻。在学中から戯曲を書きはじめる。「みんな我が子」(1945)で認められ、主人公ウィリー・ローマンの死に至る最後の2日間を描いた「セールスマンの死」(1946)でピュリツァー賞を受賞。「セールスマンの死」は、83年、自ら演出をして中国でも上演され、好評を博した。文化や社会体制の違い、時代も越えて感動を与えている理由を「父、母、息子など根源的な問題は、国や時代を問わず変わっていない。だからこそ、普遍性を持ち得る」と語る。「るつぼ」(1953)では、50年代に米国に吹き荒れた反共産主義“赤狩り”の風潮を告発。下院の非活動調査委員会の喚問を受けるが、証言を拒否し、信念を貫く。執筆活動の一方で「国際ペンクラブ」の会長をつとめ、独裁国家の国々で抑圧されている作家やジャーナリストの自由を要求し、ペンに新しい力と方向性を与えた。マリリン・モンローとの結婚は大きな話題を呼び、彼女のための小説「はぐれもの」を書き、これをもとにモンロー最後の映画となった「荒馬と女」(1961)の脚本も執筆した。87年に出版された自伝は大いに賞賛された。シリアスなコメディ「レザレクション・ブルース」(復活のブルース)が最新作。
略歴
アーサー・ミラーの世界文化賞受賞はうれしいことです。ノーベル文学賞に先んじての受賞は、いかにも“世界文化”の賞にふさわしいと感じます。誠実な創作姿勢から“アメリカの良心”といわれましたが、その作品世界は地球規模の豊かな普遍性をもっています。『セールスマンの死』 『橋からの眺め』から『ヴィシーでの出来事』 『アメリカの時計』、そして後期の『最後のヤンキー』 『壊れたガラス』まで、主要な戯曲のほぼすべてが日本でも上演されました。
一言でいえば、20世紀を代表する男性的な社会派の劇作家です。1953年、初演された『るつぼ』は、かつてマサチューセッツ州で実際に起こった“魔女狩り”事件を素材にとり、ちょっとした噂が煽動によって民衆の恐怖、狂気を呼び起こす、その集団心理の暴力を扱っています。折からアメリカには言論を封じ左翼を弾圧しようとする動きがマッカーシー上院議員を中心に旋風のように吹き荒れていました。この劇がマッカーシズムへの痛烈な風刺抗議となったことは事実です。ミラー自身、この作品の二年後、非米活動委員会に呼ばれ、知っているコミュニストの名を挙げることを求められて拒否、国会侮辱罪(一審は禁固刑と500ドルの罰金、控訴して翌年無罪)にとわれたことはよく知られています。劇の主題は一貫して“社会と個人”、実生活でも毅然として筋を通す劇作家です。
よく知られているといえば、映画女優マリリン・モンローとの結婚、そして離婚のほうかもしれません。その経緯は戯曲『転落のあとに』で、虚構の形をとりながら精細に描かれます。孤児のモンローは父親のように暖かく力強く愛してくれることを夢み、ミラーも懸命に応えようとします。ともに社会的知名度が高い上に、二人の心はあまりに傷つきやすく、夢はやはり現実のなかで破れるほかありませんが、彼女がミラーの男らしさに魅かれたことは確かでしょう。
ミラーは多作ではありませんが、そこで提起した集団と個人、幻想と現実、自由と責任、過去と現在、父と子といった対立項、また、狂気、罪、潜在意識、疎外、老い、セックス、人種、家族などのモチーフは、20世紀後半の避けがたい問題であって、日本人にとっても同時代的な、あるいは予言的な問いかけの力を持っていました。
そのミラーの劇世界を代表するのが『セールスマンの死』です。夢を追い求め、時代や家族との決定的なズレを直視できない父親、ウィリー・ローマンの悲劇ですが、1954年、初演当時の日本はまだ焼跡、闇市などの時代で、冷蔵庫、洗濯機ましてや住宅ローンのシステムなど一般化していません。だからウィリー・ローマンの死に衝撃をうけ、舞台に感動しながら、どこか海の向こうの悲劇と見られたものでした。ところが半世紀後のいま、住宅ローンに追いつめられた自殺や保険金殺人などが日常の記事になっており、失業や中高年問題も深刻化し、都市にはビルが乱立して、「裏庭にニンジンを植えようったって草一本はえやしない」というセリフまで、愕然と思い当たることばかりです。ミラーの「予言」は恐ろしいほど適中してしまいました。
後年、中国での上演では「資本主義社会への批判」と受け取られました。まちがいではないけれど、この戯曲の深さ大きさは、悲劇の原因を社会ないし社会の仕組みに帰するだけでなく、その根っ子をより深く人間そのものに見ているからなのです。社会と個人の交叉する場としての“家庭”に焦点を合わせたのもその意図でしょう。
ウィリー・ローマンは民芸の滝沢修、昴の久米明、無名塾の仲代達矢と個性的な俳優に引きつがれて、今も上演されています。
戯曲としての功績をつけ加えますと、夜中から翌日の夜までの24時間に、その意識を通してウィリーの63歳の生涯が凝縮されています。現在と過去の共存、その不連続な交錯という時間処理は画期的な発見でした。それは乾いた新鮮な演劇的リズムを産みました。だからこそ、終幕の「許してくださいね、あなた、あたしは泣けないんです.....」という夫人リンダの鎮魂の言葉が感動的に心に届いてくるのです。男性的な社会派の劇作家は、柔らかい心と優しいまなざしを持っています。
岩波 剛
2005年2月10日、アメリカ、コネティカット州の自宅で逝去
略歴 年表
マリリン・モンローと結婚(-61年)
イギリスではオリヴィエ賞受賞
インゲ・モラス夫人による “Arthur Miller at Work” 写真展開催
-
自宅にて
-
自宅にて
-
©The Sankei Shimbun
-
コネチカットの自宅