第9回
1997年
建築部門
Richard Meier
リチャード・マイヤー
開放的で詩的な「白い」建築で知られるアメリカの建築家。ル・コルビュジエの原則を受け継ぐ「新モダニスト」と位置づけられている。1997年、ロサンゼルスの丘陵に20世紀最後の巨大プロジェクトといわれた「ゲティ・センター」を完成させた。
1934年ニュージャージー州生まれ。コーネル大学で建築を学び、63年ニューヨークに建築設計事務所を開く。60年代半ば、5人の気鋭の建築家による研究会を開き、「ニューヨーク・ファイブ」と呼ばれて脚光を浴びた。その作品は純白の外装を特徴とし、厳格な幾何学に基づく格子の構成、優美な曲線など、マイヤー作品と一目でわかるスタイルを一貫して守っている。「スミス邸」(1967)、「ダグラス邸」(1976)などの住宅建築で独自のスタイルを確立。「アセニウム」(1979)、「アトランタ美術館」(1983)、「フランクフルト工芸博物館」(1985)、パリの「カナル・プリュス放送センター」 (1992) 、ドイツ、ウルムの「展示集合施設」(1993)、オランダ・ハーグの「市庁舎・中央図書館」(1995)など、多くの公共建築を手がけてきた。
略歴
リチャード・マイヤーは、白い仕上げの明快な表現を特徴とするアメリカの建築家で、1997年 ロサンゼルスに完成した「ゲティ・センター」の設計者である。
この巨大な文化施設は、14年の歳月を費やしたマイヤー最大のビッグ・プロジェクトである。石油王、ポール・ゲティの収集した大量の美術品を展示するための美術館を中心に、研究所など6つの建物で構成され、丘陵地帯に総面積40万平方メートルを占め、訪れた人たちは新交通システムでアプローチする。
しかし、この建築ではマイヤーが好む白一色の仕上げは、景観の問題で周辺住民の反対を受けて妥協を余儀なくされ、外観のほとんどをベージュ色の石で仕上げることになった。しかし、それはまたマイヤーにとって新しい境地を開くきっかけとなった。素材のもつ特質を生かした造形へと向かったのだ。
マイヤーは1934年、ニュージャージー州に生まれた。14歳のころ設計事務所で雑用のアルバイトをはじめてから建築の世界に惹かれ、コーネル大学で建築を学んだ。SOM、マルセル・ブロイヤーなどの事務所を経て1963年、ニューヨークに事務所を設立し頭角を現しはじめた。
1972年、ニューヨークに活動の拠点を置いたマイヤー、ピーター・アイゼンマン、マイケル・グレイヴスといった5人の建築家の作品を集めた作品集が出版されたことによって「ニューヨーク・ファイブ」と呼ばれた。その作風から「ホワイト派」ともいわれ、これと対照的なロバート・スターンらのグループ「グレイ派」と並んで、建築界の注目を集め、若手中堅建築家のふたつの流れをつくった。
マンハッタンのウエストサイドの倉庫街にあるマイヤーのオフィスは、壁も天井も調度品もすべて白で統一されている。「白は自然光の変化、季節の変化、そして建築理念をもっともよく映し出す」からだという。
彼が最初に白を用いたのはコネティカット州の『スミス邸』(1965)だった。これは土地の習慣に合わせただけのものだったが、本格的に白に取り組んだのが『ダグラス邸』(1973)である。ル・コルビュジエ風デザインの再展開をみせるこの建物は、ミシガン湖岸の樹木がうっそうとした急斜面に建てられている。最上階から入り、下に降りるという構成で、透明ガラスと白い壁面による抽象化された形態は、周囲の自然環境とのコントラストを際立たせている。
そして、うねった壁、彫刻的な避難階段とスチールパイプの手摺り、白いスチールパネルが美しいインディアナ州の『アセニウム』(1979)では、ホーロー鋼板による白く輝いた造形様式を確立。さらに、内外ともに白の透明性ある空間を実現したジョージア州アトランタの『ハイ・ミュージアム』(1983)など次々と白にこだわった建築をつくり続けた。
このアメリカ建築界の巨匠は、80年代以降、本国のみならずヨーロッパにも多くの重要な「白い」作品を出現させた。ヨーロッパ最初の作品となったのが『フランクフルト工芸博物館』(1985)で、白いホーロー鋼板を外壁に張った、清潔感が漂う建築だ。同じ傾向の作品にパリの『カナル・プリュス放送センター』(1992)がある。そしてドイツ、ウルム市の『展示集会施設』(1993)は、第二次大戦でからくも破壊をまぬがれた大聖堂のかたわらに現代建築を調和させ、街の中心部を活性化させた。オランダの首都ハーグの『市庁舎・中央図書館』(1995)は、市議会場、結婚式場、図書館をはじめ、市の多くの行政機能を集めたもので、これらを渡り廊下で結ぶヨーロッパ最大のアトリウムが話題になった。さらに、バルセロナ南部の歴史地区に建つ、うねった白い外壁やガラスのファサードが鮮やかな『バルセロナ現代美術館』(1995)など次々と手がけている。
1984年に建築界最高の賞とされるプリツカー賞を当時最年少の49歳で受賞し、一躍有名になった。彼の設計した住宅や公共施設が「人々の心を浮き立たせる」というのがその受賞理由だった。
マイヤーの建築のもつ楽天的な明るさは、訪れる人々を爽快な気分にさせるのである。
渋沢和彦
略歴 年表
総合文化施設「ゲティ・センター」(85~97)の設計に着手
アメリカ建築家協会ゴールド・メダル
主な作品
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スミス邸
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ダグラス邸
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ゲティ・センター
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ゲティ・センター
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ゲティ・センターにて