トップ 受賞者一覧 リカルド・レゴレッタ

第23回

2011年

建築部門

Ricardo Legorreta

リカルド・レゴレッタ


原色で大胆に壁を塗り分け、自然の光を取り入れる。球体のオブジェや格子などのフォルムも斬新で、現代的感覚とメキシコの伝統文化を融合する建築家。色で表現する個性、大きな窓や空間、人々が集うパティオ(中庭)など伝統的なライフスタイルが建築物に投影されている。メキシコシティに生まれ、国立自治大学で建築を学ぶ。国際的に有名になったのは1968年、メキシコシティに建てたホテル『カミノ・レアル・ホテル・メキシコシティ』。ピンクの格子と黄色の壁の玄関、真っ青な壁に囲まれた泉など鮮やかな色彩がインパクトを放つ。当時勢いのあった近代主義の美学だけでなく、土着性を反映した現代メキシコ建築を追求した。その特徴を生かした建築は、中南米、米国南部、中東などにも多い。

略歴


ピンクやイエロー、レッド、ブルー…。強い色が目に飛び込んでくる。原色で大胆に壁を塗り分けた建築物は限りなく明るく、球体のオブジェや噴水、格子などのフォルムも斬新だ。前衛的にも見えるが、現代的感覚にメキシコの伝統文化を深く映し込んでいるという。
「私はルーツを大切にしています。歴史的伝統を単なるノスタルジアではなく、文化の表現として現代に生かすのです」。強い太陽の光、赤い土など自然の風土に加え、「光や色にとても敏感」というメキシコ人のライフスタイルを建築ににじませる。
建築家としてのキャリアは約50年になるという。その名が、世に出たのは、メキシコオリンピックの1968年、メキシコシティに建てた高級ホテル『カミノ・レアル・ホテル』だろう。ピンクの格子と黄色の壁、豊かな水が強いインパクトを放つエントランス、真っ青な壁に囲まれた泉など鮮やかな色彩が輝く。
30代半ば。長年勤めてきた近代建築運動のリーダー、ホセ・ヴィヤグランの事務所から独立したばかり。さらに、重い膵臓炎を患い、病の床にあった時、この仕事が舞い込んできたという。「意識がもうろうとしながらも、メキシコのルーツを重んじたホテルを造ろうと思い立ちました」。近代主義の美学だけに偏らず、土着性を反映した現代メキシコ建築を探った。「生死の境をさまよい、人間の小ささを知りました。これからは使う人のためにデザインすることを決意したのです」。
メキシコシティに生まれ、父親は銀行家。国立自治大学で畑違いの建築を学ぶ。「金融という世界に対する負の反応だったかもしれない」と振り返る。とはいえ、幼いころから父親に連れられ、メキシコ中を旅して歩いた経験は、源泉にもなった。自然光を取り入れた大きな窓や空間、色で表現する個性、人々が集うパティオ(中庭)。各地に暮らす人々の伝統的な日常生活は、建築物に自ずと投影されている。こうした特徴を生かした建築は、中南米はもとより、米国南部、中東などにも多数ある。
「人生のうち、最も満足しているプロジェクトは?」との問いに、「6人の子供(男女各3人)ができたこと」と笑顔で即答。中でも、若い頃は父親に反発していた末っ子の3男、ヴィクトル(44歳)が、同じ建築家の道を選び、現在はパートナーとして活躍していることに目を細める。日本の建築家とも親交が深く、ヴィクトルは槇文彦氏の事務所で“修行”したことがある。
 
世界文化賞授賞式典からの帰国後、2011年12月30日、メキシコシティで逝去。

略歴 年表

1931
メキシコシティに生まれる
1948-52
メキシコ国立自治大学で学ぶ
1948-55
ホセ・ヴィヤグランのもとで設計実務の経験を積む
1955-60
ヴィヤグランと協働
1961-63
フリーランスとして活動
1964
メキシコシティに事務所レゴレッタ・アルキテクトス設立
1968
『カミノ・レアル・ホテル・メキシコシティ』で現代メキシコ建築を確立
1989
3男の建築家ヴィクトルが事務所に参加
1991
メキシコ政府よりメキシコ芸術賞
1993
『マナグア大聖堂』(ニカラグア)
『パーシング・スクエア』(アメリカ、ロサンゼルス)
1995
『サン・アントニオ中央図書館』(アメリカ、テキサス州)
1998
『15のパティオのある家』(メキシコシティ)
『ジャパン・ハウス』(神奈川県逗子市)
1999
国際建築家協会(UIA)ゴールドメダル
2000
アメリカ建築家協会(AIA)ゴールドメダル
事務所名を「Legorreta+Legorreta」に改称
2011
12月30日、メキシコシティで逝去
  • リカルド・レゴレッタ

  • 『カミノ・レアル・ホテル・メキシコシティ』

  • 『パーシング・スクエア』

  • 『マナグア大聖堂』

  • 『テレヴィサ本社屋』

  • 『15のパティオのある家』

  • 『テコラレの家』

講演会

リカルド・レゴレッタ 建築を語る

--高松宮殿下記念世界文化賞 受賞記念講演会--
2011年10月20日(木) 16:00~17:30 於:鹿島KIビル
主催:公益財団法人 日本美術協会
後援:社団法人 日本建築学会、社団法人 日本建築家協会

司会:2011年「高松宮殿下記念世界文化賞」建築部門受賞者リカルド・レゴレッタさんとご子息のヴィクトル・レゴレッタさんです。

リカルド・レゴレッタ:皆さんこんにちは。私は非常にうれしいです。世界文化賞を受賞したということは私の人生の中でも最も美しい体験の一つです。私はこの賞を私が受賞するということを想像していませんでした。実は昨夜、メダルをいただいてからやっと実感がわいてきました。
日本はメキシコと地理的に遠いところにあると感じる方が多いと思いますが、私はこうやって目を閉じてみると、実はこの二つの国が近い国であると思っております。
今、世界の人類は危機に直面しています。経済、文化、自然も危機を訴えています。この危機は建築にも影響を及ぼしています。しかし私にとって、この危機は決して悪いことではありません。危機というのはユニークな前進をするための機会だと思います。世の中をよくするためのチャンスです。ですから日本の皆様がこの大震災にめげず、ここまで復興し、見事に試練を乗り越えてこられたということが立証していると思います。
建築は社会に対してサービスを提供するだけのビジネスではありません。お金のためだけではなく、建築は人や社会に対して貢献するためにあるのです。その技術を活用して、人のために建築を提供するということを忘れてはいけません。
日本は、ユニークな立場にあると思います。日本は世界文明の重要な柱となってきました。今、明確に見えていることは、メキシコと日本両国の強固な揺るぎない関係と、類似性です。これは「ルーツ」です。我々両国は世界の中でも類まれなるこのルーツをずっと存続してきました。このルーツを元に、建築を真剣に考え、どのように都市を設計していくか。このような危機に満ちた今、チャンスの年であるといえます。
世界を見渡してみますと、歴史を振り返っても、これだけたくさんのものを作り出す機会に恵まれているときはないのではないでしょうか。これはポジティブなことです。人類は困難があってこそ進歩するということを歴史が証明しています。困難に立ち向かってこそ進歩するのです。
世界文化賞を受賞すると聞いたときから、ずっと私の心に様々な思いがよぎり、今、喜びが心の底からわいてきています。私は受賞体験を通じて、自分に誓ったことがあります。それは、私が自国に戻って、世の中をよりよくし、人間にとって住みやすい社会をつくるために貢献しなければならないということです。
ルーツの話に戻ります。瞑想して熟考するとルーツがよく見えてきます。時には、すっと自分のルーツと一体感を持つことができます。これは日本とメキシコの祖先がとても似ているからではないでしょうか。すなわち祖先、母親、父親を否定することは決してできない。我々は彼らから教えてもらったこと、その資質などすべてのことを継承していくという責務があるのです。
私は恵まれています。ヴィクトルという私の息子が一緒に働いてくれているということです。単なる親子関係でなく、固い友情の絆で結ばれています。世界文化賞のメダルの半分はヴィクトルに行くべきだと思っています。私は必ず何をするにしてもヴィクトルと相談して決めます。大切なことを決断するときの基準は、それが本当に人々のためになることなのか、必ず確認してから一緒に決めます。そして二人でいろいろなイメージをまずつくり出します。
実際の作品、プロジェクトをヴィクトルから紹介してもらいたいと思います。

リカルド・レゴレッタ