第35回
2024年
演劇・映像部門
Ang Lee
アン・リー 李 安
米国を中心に活動する台湾・屏東県(へいとうけん)生まれの映画監督。洋の東西を問わず、時代の奔流と向き合う人間を描く芸術性と、多くの観客を魅了する娯楽性を両立させた作品を手掛け、世界的な名声を得た。高校在学中に映画に夢中になり、台湾芸術学校(現・台湾芸術大学)卒業後、渡米してイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で演劇を、ニューヨーク大学大学院ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツ(TISCH)で映画製作をそれぞれ学んだ。代表作は『グリーン・デスティニー』(2000年)、『ブロークバック・マウンテン』(2005年)、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(2012年)など。米アカデミー賞監督賞、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、ベルリン国際映画祭金熊賞などを受賞。2013年に台湾政府から一等景星勲章。2021年にフランス政府からレジオンドヌール勲章。台湾からの世界文化賞受賞は初めて。
略歴
米国を中心に活動する台湾生まれの映画監督。洋の東西を問わず、時代の奔流と向き合う人間を描く芸術性と、多くの観客を引きつける娯楽性を両立させた作品を生み出し、世界的な名声を得ている。
父親が校長を務める高校在学中に映画に夢中になり、大学受験に失敗した。進学した台湾芸術学校(現・台湾芸術大学)で「演劇こそ私の居場所」と確信し、卒業後に兵役を経て渡米。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で演劇を、ニューヨーク大学大学院ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツ(TISCH)で映画製作をそれぞれ学び、大学院の修了制作『ファイン・ライン(境界線)』がニューヨーク大学映画祭で「ワッサーマン優秀監督賞」に選ばれた。
ニューヨーク在住のまま、台湾・米国合作映画『推手』(1991年)で長編映画デビュー。『ウェディング・バンケット』(1993年)と米英合作映画『いつか晴れた日に』(1995年)で、2度にわたりベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。「私をプロの監督にしてくれた」という『いつか晴れた日に』は、米アカデミー賞でも7部門にノミネートされて、ハリウッドで脚光を浴びた。
中国の武侠小説を映画化した『グリーン・デスティニー』(2000年)でアカデミー賞外国語映画賞を受賞。男性同士の「愛」を描いた『ブロークバック・マウンテン』(2005年)でアカデミー賞監督賞を初受賞。この作品と、日本軍占領下の上海を舞台にしたスパイ映画『ラスト、コーション』(2007年)でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を2度にわたり受賞した。
トラと共に救命ボートで漂流する少年の運命を描いた3D映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(2012年)で、2度目のアカデミー賞監督賞を受賞。「初めて原作小説を読んだ時は、映画化は難しいと感じていた」と振り返るが、主に台湾で撮影し、技術的な困難を乗り越えられたと言う。
台湾出身の父と米国で暮らす子の葛藤を描いた初期作品から、南北戦争、ウォーターゲート事件、コミックのスーパーヒーロー、イラク戦争、SFアクションに至るまで多彩なジャンルの作品を手掛けてきた。
「小津安二郎など日本人監督の作品からも影響を受けた」と話す。是枝裕和監督の父親が台湾生まれということもあり、是枝監督との付き合いは長い。
台湾から初めての世界文化賞受賞となり、「本当に大変光栄で、胸に刻みます。台湾がこのように認められることをとても誇りに思います」と語る。
略歴 年表
NYU大学院ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツ映画製作修士号
『ウッド・ストックがやってくる』
第66回カンヌ国際映画祭審査員
レジオンドヌール勲章シュバリエ
総統文化奨(台湾)
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『恋人たちの食卓』1994年
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両親と 12歳の頃 台湾・台南
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『グリーン・デスティニー』(2000年)のミシェル・ヨー
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『ブロークバック・マウンテン』 2005年
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『ブロークバック・マウンテン』(2005年) の撮影現場で
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『ビリー・リンの永遠の一日』のプレミアにて 2016年11月
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ニューヨーク大学ティッシュ芸術学部祭で
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ニューヨークの事務所にて
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ニューヨークの事務所にて