第28回
2016年
音楽部門
Gidon Kremer
ギドン・クレーメル
ラトビア(旧ソ連)のリガ出身(ラトビア・ドイツ二重国籍)。両親と祖父がヴァイオリニストという音楽一家で育つ。16歳で国内の音楽コンクールで優勝。1969年パガニーニ国際、1970年チャイコフスキー国際の各コンクールで一位となる。1976年にヘルベルト・フォン・カラヤンに抜擢され、ベルリン・フィルと共演、世界のトップ・ヴァイオリニストの地位を確立する。ニコラウス・アーノンクール、レナード・バーンスタイン、小澤征爾ら約500人の指揮者と共演し、120枚以上のアルバムを発表。一方で、アルフレッド・シュニトケら旧ソ連の現代作曲家や、アルゼンチンのタンゴ奏者アストル・ピアソラの作品を取り上げ、世界に紹介する。オーストリアの「ロッケンハウス音楽祭」、バルト3国の室内楽団「クレメラータ・バルティカ」の創設など若手演奏家の育成に尽力。1977年の初来日公演以降、日本各地で公演している。
略歴
ラトビア(旧ソ連)のリガで、両親と祖父がヴァイオリニストという音楽一家に育ち、4歳から英才教育を受けた。「もちろん努力は必要だが、私の運命は生まれる前から決まっていた」と振り返る。
16歳で国内の音楽コンクールで優勝。2年後にはモスクワ音楽院で、ダヴィッド・オイストラフに師事する。1969年にパガニーニ国際コンクール、1970年にはチャイコフスキー国際コンクールで一位となり、注目を浴びる。
1976年にヘルベルト・フォン・カラヤンに抜擢され、ブラームスの『ヴァイオリン協奏曲』をベルリン・フィルと共演。そこで高評価を得ると、翌1977年にはニューヨークに進出、世界のトップ・ヴァイオリニストの地位を確立した。
1970年代末、西ドイツへの期限付き在留が例外的に認められると、期限後も住み続けて広範に活動。このため、ラトビアとドイツの国籍を持つ。これまでに、カラヤンやレナード・バーンスタイン、小澤征爾、サイモン・ラトルら約500人の指揮者と共演し、120枚以上のアルバムを発表。中でも、ニコラウス・アーノンクールからは古典音楽の解釈を学び、大きな影響を受けた。
一方で、アルフレッド・シュニトケやアルヴォ・ペルト、ソフィア・グバイドゥーリナといった旧ソ連の現代作曲家、アルゼンチン・タンゴのアストル・ピアソラらの作品を盛んに演奏し、世界中に紹介。「音楽はこの世でまだ数百年の歴史しかない若い芸術。だから、私にとっては古いも新しいも同じこと。それに、昔の友情を継続するのは当たり前」と語る。
若手育成にも尽力。1981年にオーストリアで「ロッケンハウス音楽祭」を創設、室内楽の向上・普及に努めたほか、1997年には、バルト3国の若手演奏家を集めた室内楽団「クレメラータ・バルティカ」を結成。同楽団は2009年に「若手芸術家奨励制度」の対象団体に選ばれた。
「若い音楽家には『常にオープンであれ。自然や音楽に心を開き、お互いを聴き合うこと。そして、楽器の奴隷になるという過ちは犯すな』と言いたい」
1977年の初来日公演以降、日本各地で公演。来年は、「クレメラータ・バルティカ」創設20周年、本人70歳を記念して、さまざまな活動が企画されている。
略歴 年表
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仙台にて
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ダヴィッド・オイストラフと
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「クレメラータ・バルティカ」を指導
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「クレメラータ・バルティカ」を指導
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「クレメラータ・バルティカ」を指導
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ルカ・ドゥバルグと