第12回
2000年
絵画部門
Ellsworth Kelly
エルズワース・ケリー
赤、黄、青など鮮やかな単色のパネルの組み合わせ。しばしば変形キャンバスを用いて、それを鋭角的に配置する表現。色彩を区切る鋭い縁取りの線から「ハード・エッジ派」と言われる。
1923年、ニューヨーク州ニューバーグ生まれ。ボストン美術館付属学校で学んだあと、パリに留学、絵画だけでなくロマネスク建築やビザンチン様式のイコンなどに強い関心を持ち、大きな影響を受ける。帰国した54年ころのアメリカ美術界は抽象表現主義が隆盛を極めていたが、ケリーはそれとは一定の距離を置いていた。アクション・ペインティングなど激しい抽象表現主義に対し、ケリーはより内省的、瞑想的な姿勢を通した。余分な要素をそぎ落とした作品群には、鑑賞者の内面に訴える強いメッセージ性がある。壁画、彫刻、版画など、様々な手法を試みるが、その表現方法は一貫して変わらない。パリのユネスコ本部の壁画や東京フォーラムの壁面パネルなども手がけている。「鑑賞者は作者のことを想起しないで純粋に作品だけを見てほしい」と語る。
略歴
かたちは線。線は光。光は色。色はかたち。シンプルなかたちに、全体に及ぶ色。かたち、線、光、色と、単純な要素を明快に実践するケリーは、それだけで特異な存在だ。
ケリーも含まれている1959年のニューヨーク近代美術館の新人アーティストたちの展覧会カタログと、最近のケリーの仕事を見比べてみると、作品のスタイルがほとんど変わっていない。
青春期から壮年まで、40年以上の期間、首尾一貫した作品のポリシーは、評価に値すると同時に、驚くべきことである。変わっていない。
単純な形態と色が、第一。首尾一貫して40年以上も変わりがないが、第二。しかし第三があろうとは、ぼくも長い間気が付かなかった。第三とは、区切られたスペースいっぱいの図形の示し方、である。
世界文化賞受賞の際に、初来日して話したときに、初めて分かった。その第三が、ケリーにとって重要かもしれない、とそのとき思った。
設置状態をまだ作家が未確認だったので、東京国際フォーラムの近年のケリーの、代表作を案内した。「赤と黒」という題の、変形パネルの巨大な作品だった。階段を上がっていって、五階から十一階ぶちぬきのアトリウムの壁面に設置された。皇居がわから見て、大窓から「赤と黒」が見える。屋内の一番目立つ場所にケリーのパネル作品が設置されているのだ。
場所はよかったが、壁面はグレーの石で、しかも縦横に深い溝が入れてあった。水平と垂直を限る装飾的な目地である。作品を置くには、その強い目地の溝と戦わなくてはならない。ケリーはそのことに難色を示してもおかしくない、と思った。
ところが、ケリーはその目地の溝が気に入ったのである。第三の、区切られたスペースいっぱいの図形の示し方、にその目地はピッタリだったのである。
ケリーがぼくに話してきかせたのは、子供のころ、クリームチーズのかたまりのようなものが、戸口に届けられた。それを片っ端から踏みつけて、フラットに伸ばしてしまった。フラットなオブジェを体験した最初の記憶だという。
ケリーの作品は、ギャラリーを区切られたスペースと見なした場合、働きかけるような、図形をいっぱいに示したものばかりである。カタログの図録では分かりにくいのだが、弧もあるその多角形は、箱の中のシンプルな品物のようではない。余白は品物を包む包装のようではなく、周囲に働きかけている。
箱の中の品より大きく、空間の雰囲気をガラリと変えてしまうものなのである。 たてよこに区切られた空間の、多角形の大きさの違いの微妙さ、その微妙さに気づくと、ケリーの作品が倍、楽しくなる。 エルズワースという変わった名前も、ひじまでの長さを表す単位のことだということを知ったことも驚きだった。クリームチーズのかたまりを、タイルの四角い単位いっぱいにフラットに踏み伸ばしているエルズワース少年が思い浮かんだ。 どうしても言っておかなければならないことがある。それはケリーの色彩のことである。それはポップアートにも通じる深みのないアメリカ的な色彩、ということになっている。だが果たしてそうなのか。アメリカで見るからアメリカ的、ではないのか。 現に、隣り合った色彩同士の微妙さを、ぼくはケリーの作品から教わった。テキサスのフォートワース美術館で見たケリーの、マティスに影響を受けた素描展は、今にして思えば重要な展覧会だった。ケリーは自宅近辺の自然の中の人工物ないし影の写真を撮り続けている。若いころ、フランスで教育を受け、フランスで美術教師をしている。 73年、ニューヨーク近代美術館、96年にニューヨーク、アップタウンのグッゲンハイム美術館で回顧展を開いている。
篠田達美
略歴 年表
祖母の影響でバードウォッチングに興味を持つ
ピカソのコラージュ「パイプを持った学生」(1913-14)に魅了され、後にコラージュはケリーの仕事の中でも重要なものとなる
マース・カニンガムやジョン・ケージと出会う
南仏サナリーで制作活動
多数の単色パネルから成る最初の作品「Colors for a large wall」を制作
ジャコメッティやカルダーと出会う
ケージからロバート・ラウシェンバーグに紹介される
(以後57、59、61、63年)
(以後61年、64年)
26点の色の抽象形態と28点の植物ドローイングのリトグラフを初めて制作
(以後71年まで定期的に開催)
ドローイング30点を出展
パリのユネスコ本部から壁画制作を依頼される
異なるサイズのカンヴァスを組み合わせるなどの試みを行う
レオ・カステリ画廊で個展 (以後、92年まで定期的に開催)
アムステルダムのステデリック美術館で大回顧展
ドクメンタに出展
主な作品
「窓、パリの近代美術館」 (レリーフ)
「コンコルドⅣ」(油彩)
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ラ・コンブ 96.5 x 161.3cm
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大きな壁のための彫刻
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トーテム
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赤・黄・青
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ニューヨーク、グッゲンハイム美術館で開かれた回顧展
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作品の前で
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作品の前で