第22回
2010年
彫刻部門
Rebecca Horn
レベッカ・ホルン
詩、彫刻、絵画、映像などあらゆる表現手段を横断しながら、内からわき出る物語を発展させる「変身の芸術家」。特に彫刻は、花のように開閉する羽など、生命を宿しているように動く。「物体による一種の演劇に立ち会っているような気にさせ、そのスタイルは今日の芸術を豊かにした」との評も。他者との交流を求めるような作品群は、若き日の療養生活が影響している。肺を患って入院生活で膨らんだ交流への渇望が、身体の一部が延長したような「動く彫刻」に繋がった。1975年にパリ・ビエンナーレに参加して以降、現代美術の最先端を走り、世界の名だたる国際展の常連として活躍。中でも1987年に制作した《逆向きのコンサート》では、ドイツ北部で閉鎖されていたナチスの捕虜処刑所跡を作品として開放し、1997年から永久保存作品になっている。昨年10月から今年2月まで日本初の回顧展も開催された。
略歴
詩、音楽、彫刻、絵画、映像などあらゆる表現手段を横断しながら、内からわき出る物語を発展させる「変身の芸術家」。多様な作品群の中でも特徴的なのは彫刻で、花のようにゆったり開閉するカラスの羽や、空間を浮遊するように漂う光など、生命を宿しているように動く。
「人間も彫刻も動いて、摩擦を生む。これが緊張をもたらし、鑑賞者との対立を生む。鑑賞者は反応し、自身の内面を変化させる」 他者との交流を求めるような作品群が誕生する背景には、若き日の療養生活が無関係ではない。1944年、フランクフルト郊外のミヒェルシュタットに生まれ、ハンブルクとロンドンで美術を学ぶが、1968年に作品制作に使ったグラスファイバーが原因で肺を患い、一年間の入院を余儀なくされる。隔離された日々に膨らんだ交流への渇望が、自身の体が延長したような「動く彫刻」につながる。
頭や指を延長したような布や羽の装具を身につけ、パフォーマンスをする《ヘッド・エクステンション》《フィンガー・グローブ》(ともに1972)などで、装具と身体の一体感を得た彼女にとって、彫刻は身体の一部であり、動くのは自然なのである。 「最初に言葉があり、詩がデッサンに、スケッチになり、彫刻になる」。多様な制作の過程が、メディア間を自在に横断する作品を生んだ。
1975年にパリ・ビエンナーレに参加し、ドイツ批評家賞を受賞。さらに米国では動く彫刻を撮影した映画作品を生む。1980年代にはドイツに戻り、母国の負の近現代史と向き合った。1987年に制作した《逆向きのコンサート》では、ドイツ北部で閉鎖されていたナチスの捕虜処刑所跡を“開放”。「私たちは過去を真空に閉じこめたまま今日に至っていた」と壁に打ちつける多数のハンマーで、槌音を歴史の教訓のように塔内に響かせた。当初、大論争を呼んだ作品は、やがて受け入れられ、1997年から永久保存作品となっている。
現在は大学で教鞭を執る一方、舞台美術や音楽とのコラボレーションも行っている。フランクフルト近郊の工房に2010年6月、プライベート美術館を併設する「ムーンタワー財団」を設立した。「仏教のエネルギーに強い影響を受けた」という来日経験も豊富で、2009年10月から2010年2月にかけて、東京都現代美術館で日本初の回顧展も開催された。
略歴 年表
(米ピッツバーグのカーネギー・インターナショナル)
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バート・ケーニヒのアトリエにて
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≪アナーキーのためのコンサート≫(1990)の下で
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≪双子の鴉≫ 1997年
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≪戦士≫ 2006年
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≪青いため息≫ 2009年
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≪ダチョウの卵の反射鏡≫ 2009年
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ムーンタワー財団