第21回
2009年
建築部門
Zaha Hadid
ザハ・ハディド
イラク・バグダッド生まれで、11歳から建築家を志望。ロンドンで建築を学んだ後、30歳でロンドンに建築事務所を開設。かつては、「建てた建築よりも、実現しなかったプロジェクトの方が有名」といわれたが、初の公共建築『ヴィトラ社消防署』(ドイツ、1994)の建設を皮切りに、独創性と構想力が見直され、大型建築が次々に完成。2004年には“建築のノーベル賞”といわれるプリツカー賞を女性で初めて受賞した。ハディドの建築は、幾何学的な曲線、直線、鋭角が織り成す、流動的でダイナミックな外観が特徴。2012年完成予定のロンドン五輪水泳センターのほか、中東、欧州や中国、台湾、ロシアなどで各種プロジェクトの建設が進行中。インテリアと家具のデザインにも力を入れ、日本では札幌のレストランと東京のブティックの内装も手掛けた。
略歴
かつては、前衛的なコンセプトと奇抜なデザインから、「建てた建築よりも、実現しなかったプロジェクトの方が有名」といわれたが、最近になって大型建築が 次々に完成。2004年には“建築のノーベル賞”といわれるプリツカー賞を女性で初めて受賞し、今や、世界で最も注目される建築家である。
イラク・バグダッドで、父親が実業家・政治家の家庭に生まれた。「両親とも芸術、建築、教育に関心が高く、自由な発想が育成された。毎年、夏の家族旅行 で欧米の建築作品を見たことで、11歳頃には本能的に建築家になりたいと思った」と振り返る。
ロンドンの建築協会で学んだ後、1980年に自らの建築事務所をロンドンに設立。その直後に香港のプロジェクト『ザ・ピーク』(1983)のコンペで1 位となる。実現しなかったものの、「5年間温め続けてきたアイデアを凝縮した」という過激な設計案は建築界に衝撃を与えた。
その後も、バブル崩壊で頓挫した東京のビル2件も含めて実現しないプロジェクトが続いたが、「妥協は私のスタイルではない」と、従来の建築常識に挑戦す る姿勢を貫いた。しかし、初の公共建築『ヴィトラ社消防署』(ドイツ、1994)の建設を皮切りに、2002年から2006年にかけて、空中に突き出たスキージャンプ台 (オーストリア)、米国初の建築『ローゼンタール現代美術センター』、着陸した巨大宇宙船のような『フェーノ科学センター』(ドイツ)、工場間の連絡中枢 となる『BMWセントラル・ビルディング』(ドイツ)、英国初の建築『マギーがん福祉センター』などが相次いで実現した。独創性と構想力が見直され、ハ ディド流建築を受け入れるクライアントが急増したからだ。
「抽象性と流動性がメーンテーマ」というハディドの建築は、コンクリート造りが主体で、幾何学的な曲線、直線、鋭角が織り成す、流動的でダイナミックな 外観が“幻想的な風景”を創り出す。
2012年完成予定のロンドン五輪水泳センターのほか、中東、欧州や中国、台湾、ロシアなどで各種プロジェクトの建設が進行中。古い学校を改造したロン ドンの建築事務所で、共同経営者パトリック・シューマッハとスタッフ250人と共に、人気急上昇に対応している。
インテリアと家具のデザインにも力を入れ、日本では札幌のレストランと東京のブティックの内装も手掛けた。「三宅一生ブランドが大好き」と言い、約10 年ぶりの来日を楽しみにしている。
略歴 年表
ウェールズ『カーディフ・ベイ・オペラハウス』(イギリス)のコンペで1等(1996取り消し)
ローマ『国立21世紀美術館』のコンペで1等
ミース・ファン・デル・ローエ賞
『ロンドン水泳センター』受注(-2012)
ライプツィヒ『BMWセントラル・ビルディング』(ドイツ)
王立芸術アカデミー会員(イギリス)
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ヴィトラ社消防署
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インスブルックのスキー・ジャンプ台
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BMWセントラル・ビルディング
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BMWセントラル・ビルディング(内部)
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フェーノ科学センター
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フェーノ科学センター(内部)
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マギーがん福祉センター