第24回
2012年
絵画部門
Cai Guo-Qiang
蔡國強
絵の具の代わりに火薬を爆発させて描いた「火薬絵画」など、ダイナミックな作品制作で知られる中国を代表する現代美術家。破壊を創造へと転化させる数多くの大規模プロジェクトには、人類や自然の根源にまで迫る本質的な問いが含まれている。上海演劇大学で舞台美術を学んだ後、自由な活動の場を求め、1986年から日本に滞在し、1995年以降はニューヨークを拠点に活動。火薬と導火線を使った《万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト》(1993)など話題作を次々に発表。2005年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、初出展した中国館のキュレーターを務めた。2008年の北京オリンピック開会式では、打ち上げ花火で《歴史の足跡》の演出を手掛けた。広島の原爆ドーム付近の河岸で黒い花火を打ち上げた《黒い花火:広島のためのプロジェクト》(2008)など日本での展示も多い。中国国籍では初の世界文化賞受賞。
略歴
火薬を爆発させるダイナミックな絵画制作やパフォーマンスで知られる。
「アーティストは時代を超えなければいけない。原始的で自然な力を持つ火薬を使うことは、見えない世界や永遠と対話することでもある」
爆発の“偶然性”を逆手にとり、破壊を創造へと転化させた数多くの大規模プロジェクトには、東洋や西洋といった既存の枠組みを軽々と超え、人間や自然の根源に迫る重い問いが含まれている。常に現代美術の最前線を走り、世界中から最も注目されている中国人アーティストだ。
中国福建省泉州市生まれ。絵を描くのが好きな父のもとで、文化大革命時代に少年時代を送った。かつて海外交易で栄えた海辺の町で育ったことが、以後の表現活動に多大な影響を与えた。「中国だけでなく、西洋、イスラム、仏教などあらゆる文化が共存共栄していた。故郷の開放的な空気は私のアートの原点となった」と振り返る。
上海演劇大学で舞台美術を学んだ後、自由な活動の場を求めて1986年に来日。天安門事件後は筑波大学に研究生として籍を置く。当初は油彩を塗ったキャンバスなどの表面で火薬を爆発させる手法が目立ったが、次第に野外で火薬を爆発させる大規模なプロジェクトや大地や自然を舞台にしたアースワークへと軸足を移す。1992年には、軍事基地と花火を組み合わせた《始動2》を発表し、1993年には火薬と導火線を使い《万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト》に挑み、注目された。
1995年には、ニューヨークに生活と仕事の拠点を移す。翌1996年にはネバダ核実験場などを舞台に火薬で小さなキノコ雲をつくる《キノコ雲のある世紀》を発表し、1998年には香川県直島で、各国の人々がジャグジー風呂につかる《文化大混浴》を展示。2005年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、初出展した中国館のキュレーターを務めるなど、着実に国際的な評価を高めていった。
視覚特効芸術監督を務めた2008年北京オリンピックの開会式では、北京市内を打ち上げ花火の《歴史の足跡》が縦断する演出を手掛け、花火の芸術としての可能性を世界に示した。また、同年、広島の原爆ドーム付近で黒い花火を打ち上げた《黒い花火:広島のためのプロジェクト》も話題を呼んだ。福島県いわき市との交流は20年に及び、いわきの“廃船”を使った作品もある。
自身を「普通の男の子」と評す。「男の子が表現する夢や楽しさにみんなが共鳴してくれるのです」。自由な遊び心も、ユニークなプロジェクトの源泉なのかも知れない。中国国籍では初の世界文化賞受賞。
略歴 年表
北京オリンピック・パラリンピック開閉会式視覚特効芸術監督
《黒い花火:広島のためのプロジェクト》(広島市の原爆ドーム付近)
『蔡國強:春』展(中国浙江美術館)
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ニューヨークのアトリエにて
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≪動く虹≫
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≪光の鳥≫制作中
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≪ワニと太陽≫
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≪不適当:ステージワン≫
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《歴史の足跡:北京オリンピック2008開会式のための花火プロジェクト》