第13回
2001年
音楽部門
Ornette Coleman
オーネット・コールマン
自分の内面から湧き出てくる“歌”を自由に表現した即興的なメロディーで、フリー・ジャズへの道を拓く。その影響力は大きく、ジャズ、クラシック等のジャンルを越えて“音楽の聴き方を劇的に変えてしまった”といわれる、アメリカのサキソフォーン奏者。
1930年、人種差別が激しかったテキサス州フォートワースに生まれ、7歳で父親と死別。全く独学でサックスと音楽を学ぶ、それが自ら「フリージャズ」の代名詞となる伝説の原点となった。リズム・アンド・ブルース・バンドで働きながら音楽理論を学び、50年代後半から、より自由な演奏を目指して新しい即興演奏を試みる。
ロサンゼルスなど各地で演奏修業を続け、58年「サムシングエルス」でデビュー、続いて「ジャズ来たるべきもの」(1959)を発表し、ジャズ界に衝撃を与えた。
60年代の最高傑作となった「ゴールデン・サークル」(1965)、「アメリカの空」(1972)で独自の世界を結実させた。
コードからの解放と新しい即興概念を試みた、先鋭的な彼の音楽は、時代を半世紀は先取りしていたといわれ、称賛と同時に非難の的ともなり、異才ゆえの孤独を味わってきた。自ら構築した音楽理論“ハーモロディクス”の説明は実に難解なもの。「音は全てのことを平等にする」と印象深く語る彼の、“音楽の自由”を求め続ける哲学なのだろう。
世界文化賞の受賞を記念して「Praemium Imperiale」という曲をプレゼントしてくれた。
略歴
それまでは娯楽色の強い音楽にとどまっていたジャズではあったが、ミュージシャン個々の音楽的な主張を表にたてた音楽をきかせるようになって後、世間はその音楽をモダン・ジャズと呼んで、従来のジャズと一線をひくようになった。そのときのモダン・ジャズの根幹にあったのは、それまでのジャズの、一貫したビートや固定した和声進行にもとづいての即興演奏の不自由さから開放しようとしてあらたに開拓されたスタイルであるバップだった。バップはジャズに幾多の変貌と革新をもたらして、ジャズの視野と可能性を大きくひろげていった。その意味で、バップはジャズにとって文字どおり革命的なスタイルだった。
バップの延長線上に、1950年代末から1960年代にかけて隆盛をみた革新的であり、実験的でもあったフリー・ジャズがあった。そのフリー・ジャズの創始者といわれ、代表的な位置にいるのがサックス奏者で、同時にトランペットを吹いたり、ヴァイオリンをひいたりもするオーネット・コールマンである。1959年5月に録音されたアルバム「ジャズ来るべきもの」はオーネット・コールマンの代表作であり、同時にフリー・ジャズの旗頭的意味をもつものとされている。このアルバムの冒頭におさめられている「ロンリー・ウーマン」は、オーネット・コールマンの作曲した作品のうちでもっとも広く知られている。
1950年代末から1960年代初頭にかけて、オーネット・コールマンは、アトランティック・レーベルで、ほとんど矢継ぎ早にといった感じで、次々と意欲作を発表しつづける。1960年12月に録音された、アルバム・タイトルもまさにそのままの「フリー・ジャズ」では、当時一般化しつつあったステレオ録音を活用して、オーネット・コールマンならではの刺激的な、音楽的な冒険をおこなっていた。ジャクソン・ポロックの絵画をあしらったセミ・ダブル・ジャケットも斬新きわまりなかったが、「コレクティヴ・インプロヴィセーション」と副題のつけられたそのアルバムできけた音楽がまた、聞き手にフリー・ジャズの力を実感させずにおかないものだった。
このアルバム「フリー・ジャズ」における演奏は、ダブル・カルテットが二手にわかれて同時におこなっていた。オーネット・コールマン(アルト・サックス)、ドナルド・チェリー(ポケット・トランペット)、スコット・ラファロ(ベース)、ビリー・ヒギンス(ドラムス)の4人のプレーヤーが左チャンネルで演奏していて、エリック・ドルフィー(バス・クラリネット)、フレディー・ハバート(トランペット)、チャーリー・ヘイデン(ベース)、エド・ブラックウェル(ドラムス)の4人のプレーヤーが右チャンネルで演奏していて、それがステレオで録音されていた。ステレオ録音の草創期ならではの、前衛的な試みといえなくもなかった。
革新的なミュージシャンの果敢な試みは時代の風に後押しされたかたちで、当時、大いに注目され、他の芸術ジャンルにも刺激をあたえた。しかし、オーネット・コールマンの目ざしたフリー・ジャズのような尖った音楽が商業的に成功をおさめるはずもなかった。1965年には映画「チャパカ」のために全編即興演奏をおこなったりもしたが、オーネット・コールマンの活動の場は次第に狭まっていった。しかし、そのようなことでめげるオーネット・コールマンのはずもなく、弦楽四重奏曲「詩人と作家への贈り物」といった作品を発表しながら、彼はジャズの改革者としての姿勢をつらぬきとおしてきた。
ジャズの娯楽音楽としての側面にすりよることだって、しようと思って出来なくもなかったはずだが、オーネット・コールマンは彼が歩みだした道を、今もなお、まっすぐ歩きつづけている。
黒田恭一
略歴 年表
中学時代にサックスに興味を持ち、独学で修得
高校時代にはレッド・コナーズの演奏から多くを学ぶ
“ファイヴ・スポット”でニューヨーク・デビュー
アルバム「ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン」を発表
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©The Sankei Shimbun(2001)
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1960年代後半
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1966
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1985