第19回
2007年
絵画部門
Daniel Buren
ダニエル・ビュレン
アトリエを飛び出して、作品が置かれる現場で制作する手法で、一貫してストライプを描き続け、美術界に新風を吹き込んできた。1960年代前半に活動を始め、65年から「視覚の道具」と自ら呼ぶストライプを作品に採用。その幅は8.7センチに統一されているが、キャンバスに描いたり、布に染めたり、オブジェにしたりと表現の幅は年を追うごとに広がっている。69-70年には、パリや東京の地下鉄駅にストライプのポスターを無断で貼る芸術活動が話題に。86年には、パリのパレ・ロワイヤル中庭に設置されたストライプの円柱群「ニつの台地」が注目された。同年、ヴェネツィア・ビエンナーレにフランス代表として参加し、金獅子賞を受賞。「1970年以来、200回近くも来日した」という日本でも、各種の作品展を成功させてきた。今も世界各地で新たな挑戦を続けている。
略歴
「視覚の道具」と呼ぶ8.7センチ幅のストライプを一貫して描き、絵画の枠を超えた作品群で、美術界に新風を送り続ける。作品が展示される現場に出て制作する独自の手法で、話題作を次々に発表している。
1950年代後半にパリで絵画を学び、60年代前半に画家として活動を開始。当初は抽象絵画を描いていたが、65年頃からストライプの魅力に気付き、作品に取り入れ始める。シーツにマスキングテープを貼り、ペンキで塗ったことがきっかけだった。
「ストライプは様々な文化圏に伝播し、利用されている。視覚的に大きな価値と力を持っているからだ」
変哲もない既存の空間や物体が、白ともう一色を組み合わせたストライプの作用で、途端に個性を獲得し、新たな文脈を見せ始める。以来、この「視覚の道具」は不可欠の表現手段となり、キャンバスに描いたり、布に染めたり、造形物にしたりと、さまざまな形に生まれ変わっている。「8.7センチ」は自身が見つけた布地の幅が、このサイズだったからという。
ストライプを手に入れた後の活躍は、特にめざましい。69~70年には、パリや東京の地下鉄にストライプのポスターを無断で貼る芸術活動で話題を呼び、71年にはニューヨークのグッゲンハイム美術館に展示された巨大なストライプのパネルが、他の展示作品の妨げになるとして勝手に撤去された。
また86年には、パリのパレ・ロワイヤル中庭に設置した白と黒によるストライプの円柱群「二つの台地」が、景観を損なうとして論争の的になったが、今では市民や観光客らの支持を集め、パリの名所として定着している。同年にはフランス代表としてヴェネツィア・ビエンナーレに参加し、金獅子賞を受賞、アーティストとしての地位を確立した。
「私の作品はある場所で作られ、そこで人に見られる。残ることもあるが、大抵の場合は消滅する」。展示期間を過ぎると大多数の作品は撤去され、消えてしまう。「芸術作品が永遠であるとは思わない」と本人は割り切るが、各国の街角に残り、景観の一部になっている作品も多い。
「1970年以来、200回近くも来日した」という日本でも、各種の展示会を成功させてきた。今も世界の様々な場所で新たな挑戦を続けている。
略歴 年表
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リッソン・ギャラリーで制作中のビュレン
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パリ近郊のヴァル・ド・マルヌ県現代美術館にて
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二つの台地、パレ・ロワイヤル
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アラウンド・ザ・コーナー、グッゲンハイム美術館、ニューヨーク
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分断された空の光
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25 Porticos、お台場、東京
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道に沿ってどこかに、幾つかの色 (新潟・朱鷺メッセのための作品)