第21回
2009年
音楽部門
Alfred Brendel
アルフレート・ブレンデル
ドイツ・オーストリア系音楽の権威として知られる世界的なピアニスト。知的で正統的な解釈による演奏で多くの音楽ファンを引きつけてきた。幼少のころからユーゴスラビアとオーストリアで音楽を学び、18歳でブゾーニ国際コンクールに4位入賞。1971年からロンドンに居を移し、卓越したピアノの名手として演奏会とレコーディング界で幅広く活躍。多彩なレパートリーのなかでも、シューベルトのソナタやリストのピアノ作品のレコーディングは、2人の偉大な作曲家の真価を世界に再認識させた。ベートーヴェンのピアノ曲を全曲録音した最初のピアニストでもある。音楽に関する著述も数多く、クラシック音楽の演奏家や聴衆の音楽に対する理解を一層深めたことでも高い評価を得た。昨年12月に引退。
略歴
知的で正統的な解釈によるピアノ演奏で、観客を魅了する世界的な巨匠。ベートーヴェンのピアノ曲を全曲録音した最初のピアニストとしても知られる。昨年12月のウィーン公演を最後に引退、多くのファンに惜しまれながら、60年におよぶ華々しいキャリアに終止符を打った。
第一次大戦後の北モラヴィア地方(現チェコ)でホテルを経営する裕福な家庭に生まれ、6歳でピアノを習い始めた。一家で移住したオーストリア・グラーツの音楽院で学んだ後は、アカデミックな音楽教育を一切受けず、独学でレッスンに励んだ逸話はあまりにも有名だ。
「自分は決して神童ではなかった」と語る無名の青年に転機が訪れたのは1949年、18歳の時だった。ブゾーニ国際コンクールで4位に入賞し、ウィーンで本格デビュー。60年代にベートーヴェンのピアノ曲全曲を録音して脚光を浴び、国際的な名声を築いた。
レパートリーも広く、ライフワークともいえるベートーヴェンのほかハイドン、シューベルト、モーツァルト、シューマン、シェーンベルクらドイツ・オーストリア音楽が得意。「演奏家として最も幸福な瞬間は偉大なオーケストラと共演し、その演奏によって私たちが一つになっていると感じる時。これこそ音楽家冥利に尽きます」。なかでもベルリン・フィルの首席指揮者、サイモン・ラトルとの相性は抜群で、これまでに数々の名演奏、名録音を残した。
近年は息子でチェリストのエイドリアンと共演したベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集を発表し、大きな話題を呼んだ。
1971年に初来日。常人離れした指先の技巧から繰り出す繊細な音色は日本の聴衆を圧倒。その後も頻繁に来日し、国内に熱烈なファンを持つ。
半世紀にわたり卓越した“ピアノの名手”の座に君臨する一方、多彩な執筆活動でも知られる。音楽エッセーなど出版物の評価は高く、現代詩人としても活躍中だ。詩作のきっかけは日本へ向かう飛行機の中。「ライトが消え目をつぶった時、何の前触れもなく最初の詩が頭に浮かび、暗闇の中で書き留めたのです」。この時の作品を収録した『人差し指』(One Finger Too Many)などの詩集を刊行した。
引退後は、1971年から住むロンドン市内の邸宅で大好きな書物に囲まれ、穏やかな時間を過ごす。今後、活躍の軸足を、大学や音楽学校での後進の育成、自作の詩の朗読会などへ移す巨匠の夢は尽きない。
略歴 年表
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ロンドンの自宅にて
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ロンドンの自宅にて
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ロンドンの自宅にて
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ロンドンの自宅にて