第18回
2006年
彫刻部門
Christian Boltanski
クリスチャン ・ ボルタンスキー
写真や古着、ろうそくの光など、多彩な素材と方法で、「生と死」の問題を語りかける。フランスを代表する現代アーティストとして、1968年の初個展以来、世界各国で作品を発表。学校にほとんど通わず、12歳で退学し、独学で絵画を習得した。初期は兄弟を使った実験映画を制作。ユダヤ人の父親が差別を受けた経験などから、「生と死」をテーマにした作品を次々と発表。主な作品は、死者の遺品をすべて集めた「目録」や、肖像写真に電球をあて金属の箱で祭壇を作った「モニュメント」シリーズ、古着を大量に使ったインスタレーション作品など。「死体も写真も古着も、私にとっては、同じ不在の象徴」と、失われた時間や記憶の「遺物」を展示することで、鑑賞者に過去を蘇らせる。80年代からは、ホロコーストの持つ「人間否定」の概念を扱った作品群も発表。「芝居作りが今、最大の関心事」という。
略歴
「生と死」あるいは「不在」という概念をテーマに作品を創り続け、命のはかなさを、そして人は皆かけがえのない存在であると語りかける。作品の主体は、誰もが自分自身との置き換えが可能な、普遍的なものである。
学校にはほとんど通わず12歳で退学し、独学で絵を習得。「家で描いた絵を兄に褒められたことがうれしくて、毎日絵を描いていた」と言う。それがアーティストの道に進むきっかけになる。
1969年に幼少期(1944-1950)の自伝を発表するが、本の内容には作り話や空想が多い。「現在の創作活動のほぼ全てがこの本に収まっている。自分の幼少期が終わったことを自覚し、それに衝撃を受けた。我々は皆、死んだ子供を自身の内に抱えている。問題は私ではなく、幼少期を表現すること。興味深い芸術作品は、それを観た人が思わず『自分のことが語られている』とつぶやくような作品だ」とその狙いを明かす。ボルタンスキーにとって作品を完成させるのは、常に鑑賞者である。
ピントをぼかした肖像写真を金属の缶の上に飾り小さな電球で照らす、祭壇を連想させる「モニュメント」シリーズは、85年から始まり、世界各地で展開された。その代表作「シャス高校」は、戦前のウィーンのユダヤ系高校生の卒業写真を使用、拡大されて個人を識別できない写真が、ホロコーストの死を強烈に意識させる。大量の古着を床一面に広げたインスタレーション、ろうそくを使った影絵のシリーズ、どれもどこか宗教的なイメージが漂う。
「死体も写真も古着も私にとっては同じもの、どれも誰かが存在していた事の証であり、不在の象徴だ」と語るように、「不在の象徴」を展示することで失われた時間や記憶を鑑賞者に想起させる。
「越後妻有アートトリエンナーレ」には初年度から連続して参加。3回目の2006年夏は廃校になった小学校を舞台に「最後の教室」を制作。誰もが過ごした子供の頃の空間を幻想的に蘇らせた。「芸術家は人々に感動を与えるという幸運に恵まれている」と語る。
略歴 年表
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パリのスタジオにて
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9月6日、グラン・パレ、2004
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電話の契約者、パリ近代美術館、 2000
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子供ミュージアムの保存室 Ⅰ、パリ市近代美術館、 1989
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黒い鏡、2000
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モニュメント、1986
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ろうそく、1987
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越後妻有アートトリエンナーレ2006にて
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最後の教室