第35回
2024年
建築部門
Shigeru Ban
坂 茂
小学生から高校生までラグビーに親しんだ。高校卒業後に渡米し、南カリフォルニア建築大学で学んだ後、ニューヨークのクーパー・ユニオン建築学部に編入。大学の休学中、磯崎新氏の事務所で働いた。卒業後、帰国して事務所を開設。建築構造材として紙管を実用化した。1995年には国連難民高等弁務官事務所のコンサルタントとして、ルワンダ難民キャンプのシェルターを紙管で造ったほか、阪神・淡路大震災では仮設住宅を建設。これを機に、ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)を立ち上げ、世界の災害地域で建築を通じて難民や被災者の救済を行う。また、うねる集成材と膜材の屋根の『ポンピドー・センター メス』(2010年)や『ラ・セーヌ・ミュジカル』(2017年)、『スウォッチ・オメガ本社』(2019年)など革新的な建築を相次いで設計。プリツカー賞受賞。平時と非常時の両方で建築家としての使命を果たしている。
略歴
独創的な素材、紙管の選択と革新的デザインで建築に新たな地平を切り拓いた。
小学生の頃から15人で力を合わせて戦うラグビー競技に魅せられてきた。中学時代の夏休みの課題で作った住宅模型をきっかけに建築家の道を志す。当初は建築家とラグビーの道を両立させたいと思ったが、全国大会の初戦で強豪校に大敗。ラグビーをあきらめ、建築雑誌で見た米国の建築家、ジョン・ヘイダックが教えるニューヨークのクーパー・ユニオンを目指すことに。
南カリフォルニア建築大学からクーパー・ユニオン建築学部に編入し、卒業後帰国。1985年に事務所を立ち上げた。当初は展覧会キュレーターの仕事なども行っていたが、その時、大好きだったフィンランドの建築家、アルヴァ・アアルトの展覧会を企画し、会場設計を行った。
本来、アアルトが多用するように木を展示デザインに使うことも考えたが、それは予算に合わない上、大切な木を仮設の展示に使い、その後ゴミにしたくないと考え、木の代替材料を探した。そこで見つけたのは、ロールのファックス紙の芯や、事務所にあったトレーシングペーパーの芯に使われていた再生紙でできた紙管だった。その後、学生時代より温めてきた「自分独自の素材や構造を作り出したい」という思いから、紙管を構造に使う開発を始めた。
紙管の建築は、1995年のルワンダの難民シェルターや阪神・淡路大震災の仮設住宅建設などでも使用。災害で困窮する人を救う仮設住宅の建設は、トルコ北西部地震(1999年)やインド西部地震(2001年)など国際的な広がりをみせ、国内でも東日本大震災や今年の能登半島地震などで高く評価されている。
また、プライバシーを守るための紙管の間仕切りを作り、ロシアのウクライナ侵攻による避難民を受け入れる施設の改善にも貢献、戦争で生まれる社会的弱者にも温かな目を注いできた。阪神・淡路大震災を機に立ち上げたボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)は国内外で被災地支援活動を行っている。
一方で、うねる集成材と膜材の屋根の『ポンピドー・センター メス』(2010年)や『ラ・セーヌ・ミュジカル』(2017年)など、特徴的な美術館や劇場も相次いで設計。2014年にはプリツカー賞を受賞。人道支援活動により、2017年マザー・テレサ社会正義賞、2022年アストゥリアス皇太子賞平和部門を受賞した。
平時と非常時の両方で建築家の使命を果たすのが、坂の真骨頂。「住宅や公共建築なども設計しますが、災害支援も自分のライフワーク。賞はその両立に対して頂いたのだと思うと責任を感じます」と語る。
「行動する建築家」は日・米・仏に事務所を構え、世界というフィールドに不規則に転がる“楕円球”を追い続けている。
略歴 年表
NGO「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」設立
アーノルド・W・ブルナー記念賞(アメリカ芸術文学アカデミー)
『静岡県富士山世界遺産センター』(富士宮市)
『ラ・セーヌ・ミュジカル』(フランス・セーヌ川セガン島)
フランス芸術文化勲章コマンドゥール
紫綬褒章
マザー・テレサ社会正義賞(インド)
『台南市美術館』(台湾)
能登半島地震仮設住宅(石川県珠洲市)
-
『紙のカテドラル』2013年
-
『ラ・セーヌ・ミュジカル』2017年
-
『静岡県富士山世界遺産センター』2017年
-
『スウォッチ・オメガ』2019年
-
『ウクライナ難民支援 / 避難所用・紙の間仕切りシステム』2022年
-
『下瀬美術館』2023年
-
『豊田市博物館』2024年
-
坂茂建築設計の事務所にて 2024年4月
-
『ポンピドー・センター メス』(2010年)の前で 2024年5月
-
能登半島地震の仮設住宅建設現場で(石川県珠洲市) 2024年5月