第3回
1991年
絵画部門
Balthus
バルテュス
神秘的で異次元の世界に導くような、白昼夢のような画面、どんなイズムとも無縁に生きた孤高の存在。さりげない日常を描きながらバルテュスの絵画の世界では、時間が一瞬止まったような不思議なドラマをはらんでいる。
1908年、パリでポーランド系の貴族の家柄に生まれる。両親とも画家、兄も作家という芸術一家に育ち、幼少期をスイスで過ごす。バルテュスは父の許を訪れるボナールやドランに絵の手ほどきを受け、詩人リルケや文豪ジードらに愛された。恵まれた環境の中で花開いた神童ぶりは伝説的で、12歳のときには詩画集「ミツ」(日本名を持つ猫のデッサン40点)を出版、リルケが序文を書いている。「少女は美そのもの、美への憧憬の象徴」と語るバルテュスの室内風景には、奔放な姿態の思春期の少女がしばしば登場する。古典から学んだデッサン力、堅固な画面構成に加えて、後年には中国の山水画や浮世絵の技法も取り入れて、独自の画風を確立する。
節子夫人とはアンドレ・マルローの要請で62年に来日した折に出会っている。93年、東京ステーションギャラリーで回顧展、2001年死去。
略歴
バルテュスは、和服姿を通す節子夫人と愛娘をかたわらに、スイスはアルプスの麓の村ロシニェールの山荘に籠る。さまざまな美術運動が生起したパリに生をうけながら、イズムの疾風怒濤とは無縁に生きた孤高の存在。この20世紀の奇跡ともいうべき画家の出身や経歴といい、現在の隠棲生活といい、豪奢にして静謐、古典的で官能性にうずく謎の画面にふさわしい。
ポーランド系の貴族の家柄の生まれで、祖母は英国ロマン派の詩人、バイロン卿とも縁続きのスコットランド人だった。本名はバルタザール・クロソウスキー・ド・ローラ伯爵と長い。父は画家で美術史家、母も画家、兄ピエール・クロソウスキーも作家で画家という芸術一家だった。1908年パリに生まれ、スイスで幼少期を過ごしたバルテュスは父の許を訪れるボナールやドランに絵の手ほどきを受け、詩人リルケや文豪ジードらに愛された。バルテュス少年の極東の文化に関する知識はリルケをも驚嘆させ、少年は東洋の山水画の世界をスイスの自然のなかに同化させていた。後年の『モンテ・カルヴェッロの風景』(1977-80)などには、優れた山水画の神韻縹渺たる趣がある。恵まれた環境のなかで花開いた神童ぶりは伝説的で、12歳のとき拾ってきた猫を描いた40点の詩画集『ミツ』をリルケの序文付きで出版、その一端をみせている。
16歳で画家を志し、ルーヴル美術館で模写に励んだ。その対象となり、影響を受けたのは、ピエロ・デッラ・フランチェスカら初期ルネサンスの巨匠たちから、プーサン、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを経て、アングル、スーラ、ボナール、ドラン、クールベらの作品だった。
1934年、パリで初の個展を開く。当時のヨーロッパでは「秩序への回帰」が叫ばれていて、フランスやイタリアの画家たちがモダニズムから古典主義へと移行せざるを得なかった。しかし、古典的な構図は重んじながらも、「秩序」はバルテュスの目的ではなかった。描かれるのは日常的な光景なのだが、登場人物は不条理な衝動につき動かされているようだし、画面全体が名状しがたい不吉なドラマをはらんでいるのだ。
バルテュスは日常の断片を、猥雑と無秩序の支配する現実を、古典を踏まえた厳密な画面構成のうちに昇華させてしまう。人物たちは日常生活のある一瞬のまま、凝固させられてしまっている。運動の欠如、一種の不在の感覚が画面を覆う。フランスの作家、故アルベール・カミュは、「バルテュス絵画は、一種の呪縛によって永遠にではなく、ほんの5分の1秒ほどのあいだ石化し、その後すぐにふたたびび動きはじめる人物たちを、鏡越しに見るようだ」と記した。
「少女は美そのもの、美への憧憬の象徴」というバルテュスの室内風景には、奔放な姿態の思春期の少女がしばしば登場する。手鏡をかかげたり、猫をはべらせている。隅には暖炉が燃えている。画面のどこかに男性が背を向けていることもある。これはバルテュスの分身ともいわれる。兄ピエールは、天上的な鏡が「女性と母」、地上的な暖炉は「男性の荒々しさ」の象徴と解説する。
バルテュス絵画を早くから日本に紹介した故・渋沢龍彦は、画家が「善悪の彼岸にある、少年期の輝かしい自由の王国」への追憶をいつまでも大切にし、少年の無垢な目を保持し続けたことを強調した。さりげない日常を描きながら、バルテュス芸術の世界では、現実と夢とが相互に浸透し合うのである。
1961年、ときの文化相アンドレ・マルローの要請でバルテュスは、ローマのアカデミー・ド・フランスの院長となる。1962年、これもマルローの要請で翌年パリで開かれる日本展の準備のため来日、後に妻となる節子にめぐり会う。1960年代から70年代の彼の作品には、明らかに日本人を示す顔かたちが登場する。
日本では、1984年に京都、1993年に東京と、回顧展が2度にわたって開かれた。1993年の東京ステーションギャラリーでは最新作も披露され、老年の画境の華やぎをみせていた。
松村寿雄
2001年2月18日、スイス、ロシニエールで逝去
略歴 年表
主な作品
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家族と自宅の庭にて
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家族と自宅の庭にて
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自宅にて
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自宅にて
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自宅にて