第10回
1998年
演劇・映像部門
Richard Attenborough
リチャード・アッテンボロー
アカデミー賞8部門を独占した「ガンジー」などの社会派大作、ミュージカルの名作「コーラス・ライン」(1985)などの映画監督で、英国アカデミー主演男優賞を受けた俳優。人道・福祉活動によりサーやロードの称号も受けている英国映画演劇界の巨匠である。
1923年、イギリスのケンブリッジ生まれ。子供時代にチャップリンに影響を受け、王立演劇学校を出て、俳優としてデビュー。その後、「大脱走」など60本以上の映画に出演した。プロデューサー、監督としては59年に英国で初めての独立プロを起こし、 69年に異色の反戦ミュージカル「素晴らしき戦争」でデビュー、ゴールデン・グローブ賞など数々の国際賞を獲得した。
その後、若き日のチャーチル首相を描いた「戦争と冒険」(1972)や、映画表現に情熱を傾けるチャップリンを描いた「チャーリー」(1992)など、実在の人物を描いた作品を多く手がける。これらの作品は「ガンジー」(1982) 、反アパルトヘイト活動家を描いた「遠い夜明け」(1987)を含めて、全て権威から離れた理想家たちを主人公に取り上げている。
また、ヘミングウェーを描いた「イン・ラブ・アンド・ウォー」(1996)、 環境保護運動の先駆者を描いた「グレー・アウル」(1999)などがある。
略歴
人はこうも優しくなれるものなのか。事実にこだわり、醜い事実、悲しい事実を積み上げることによって「人間賛歌」を奏でてみせる。世界中に感動を呼んだ『ガンジー』、『遠い夜明け』を監督したリチャード・アッテンボローは人間の良心を歌い上げる。
社会派といわれるアッテンボローのルーツは生まれ育った家庭環境にあった。1923年、ケンブリッジ生まれ。父はレスター大教授で、宗教や人種による差別を極端に嫌った。父に連れられてチャプリン映画を見て、「笑いながら泣く」という経験を味わう。やがてナチスの迫害で孤児になったふたりのユダヤ人少女を自宅にひきとる。ふたりの「妹たち」に強い愛情を注ぐ母が息子に言った。「私はあなたを愛しています。でも、今、一番愛情を必要としているのは彼女たちなのよ」。このひとことは彼の映画づくりの基本となった。
王立演劇学校を出て、まず俳優として出発する。ノエル・カワードの『In Which We Serve』(1942、日本未公開)でデビュー。徐々に性格俳優として評価されていく。出演作品は、脇ながら『紳士同盟』(1960)、『大脱走』(1963)、『砲艦サンパブロ』(1966)……。その後、監督に転身して、ミュージカル『素晴らしき戦争』(1969)で監督デビューを果たした。その理由について、「私は丸顔で背も低く、できる役は限られていた。やりたいことをやるには役者よりプロデューサー、プロデューサーより監督だった」と言う。
そして、事実を積み重ねたセミ・ドキュメンタリーの大作『ガンジー』(1982)で、アッテンボローの名は不朽のものとなる。インド独立の指導者、モハンダス・ガンジーの伝記を一読して奮い立った。インドの独立を成し遂げた男が、政府高官でもないひとりの弁護士だったという事実に打たれたという。構想から映画化まで20年。資金難に苦しみながら、ガンジー役にベン・キングスレーを得て、「塩の行進」などの史実を再現。徹底した非暴力を貫くガンジーの姿は史実に忠実なだけに、一種のすごみさえ感じさせた。監督賞、作品賞などアカデミー賞8部門を受賞。
ガンジーの足跡をたどるうち、彼が弁護士をしていた南アフリカ共和国で、アパルトヘイト(人種隔離政策)の現実に出合う。ふたたびアッテンボローの血が騒ぎ、南ア共和国からイギリスに亡命したジャーナリスト、ドナルド・ウッズの手記『ビコ』の映画化を思い立つ。こうして名作『遠い夜明け』(1987)が生まれた。ジャーナリストを支える黒人たちの勇気と情熱も感動的で、監督の強靭な意志と人間に対する優しさがにじみでていた。
その優しさは、人種差別などの不平等を世界からなくす運動へとつながった。1983年に一連の人道的な活動が評価されて、黒人の公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師を記念した賞を受賞している。そして、1998年から99年にかけて製作中の新作『グレー・アウル』は、カナダで森林やビーバーの保護活動をおこなった環境保護の先駆者の物語という。さらに、20年来の夢の、『コモン・センス』で知られるトマス・ペインを取り上げたいという。「奴隷制の廃止を唱え、すべての人が教育を受けられるように説いた最初の人だから」とは、いかにも社会派らしい。
一方、俳優としても現役で、スピルバーグ監督に請われるまま、『ジュラシック・パーク』(1993)に恐竜王国のオーナー役で出た。映画出演は13年ぶりで、「胃が痛くなった」という。それでもパート2の『ロスト・ワールド』(1997)にも出ているので、よほど映画が好きなのだろう。
どちらが好きかと問われれば、やはり監督を選ぶという。「映画は監督のもの。俳優は監督の意思を忠実に伝える通訳だが、監督は創造者。映画のすべてにかかわることができる」。それも、歴史の積み重ねによる社会派ドキュメントの監督らしい。巨匠は人間の尊さ、優しさ、自然へのいたわりを映像に託してわが道を進む。
小田孝治
略歴 年表
ユージン・オニールの 「ああ荒野」 で初舞台を踏む
独立プロデューサーとなる
スティーブン・スピルバーグ監督の要請を受け、「ジュラッシック・パーク」 に出演
英国映画テレビ学校校長に就任
主な監督作品
主な出演作品
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「In Which We Serve」(1942)
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「マジック」を演出する(1978)
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ベン・キングスレーと映画「ガンジー」(1982)
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事務所でフィルムチェック
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自宅にて