トップ 受賞者一覧 マルタ・アルゲリッチ

第17回

2005年

音楽部門

Matha Argerich

マルタ・アルゲリッチ

 5歳からピアノを学び、8歳でモーツァルトとベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いてデビュー。フリードリヒ・グルダらに師事、24歳でショパン国際コンクールに優勝して以来、実力、人気とも世界トップのピアニストとして活躍を続けている。強烈な個性、奔放で情熱的、ダイナミックな演奏表現が特徴。レパートリーはバッハからメシアンまで幅広い。クラウディオ・アバド、シャルル・デュトワ、ギドン・クレーメル、ネルソン・フレイレ、ミッシャ・マイスキーなど著名な音楽家と優れた演奏を重ねている。1970年の初来日以来、年に数回は来日。98年からは「別府アルゲリッチ音楽祭」総監督を務めるなど、若手音楽家の育成にも力を注いでいる。

略歴

  8歳でモーツァルトとベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いてデビューし、16歳でブゾーニとジュネーヴの国際コンクールに優勝。そして、23歳の時、ショパン国際コンクールで優勝し、世界的な評価を決定的なものにした。以来、圧倒的な人気と実力を誇る。
  正確な指さばきから紡ぎ出す、彩りに満ちた音色と、情熱的、自由奔放な演奏はセンセーションを巻き起こしてきた。「事前によく考え、プラン通りに演奏する人がいるが、私は違う。本能、直観が音楽づくりで非常に重要」と語る。レパートリーは、バッハからメシアンまで幅広い。
  最近は、ソロ演奏よりも、ネルソン・フレイレらピアニストとの連弾、ヴァイオリンのギドン・クレーメル、チェロのミッシャ・マイスキーとのデュオやトリオなど室内楽で目覚ましい活躍を続ける。
  「ピアニストは孤独。他の楽器は合奏する相手がいて、対話がある。私はソロ演奏で、ひとり注視されるのが苦手なのかも」と繊細な一面も見せるが、再びソロ演奏を復活したいとも述べている。。
彼女の名を冠した大分・別府、スイス・ルガーノでの音楽祭、生まれ故郷のブエノスアイレスで行われる音楽祭、コンクールなどを通じて、若手音楽家の育成にも力を注ぐ。子供の音楽教育や「犯罪を防ぐ音楽」活動も展開中だ。
1970年の初来日以来、年に数回は来日する。
  「日本に行く度、変わったこと、特別なことが起きる。次女を妊娠したことも、初めて日本を訪れた時に知ったのです」
  2005年1月末、彼女が最も敬愛し、影響を受けた師、フリードリヒ・グルダを偲ぶ演奏会が日本で開かれ、グルダのピアニストの息子二人と演奏した。「グルダ追悼の試みは、生まれ故郷のウィーンでもやってくれなかった。感動的でした」と語る彼女にとって、日本はいつも特別なのである。

略歴 年表

1941
アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれる
5歳からヴィンツェンツォ・スカラムッツァにピアノを習い始める
1949
8歳の時、ブエノスアイレスのオペラハウス、テアトロ・コロンでデビュー
1955
家族と共にヨーロッパに渡りザイドルフォーファー、グルダ、マガロワ、
リバッティ夫人、ステファン・アスケナーゼらに師事
1957
ブゾーニとジュネーヴの国際ピアノ・コンクールで優勝
1965
ショパン国際コンクールで優勝
1966
ニューヨークのカーネギー・ホールでアメリカデビュー
1967
アバド指揮のベルリン・フィルと初めてレコーディング
1970
初来日。以来、来日公演多数
1980年代
コワセヴィッチ、フレイレらピアニストとの共演や、ロストロポーヴィチ、
マイスキー、クレーメルらヴァイオリンやチェロ奏者との共演
1996
フランス政府から芸術文化勲章オフィシエ章
1997
ローマのサンタ・チェチーリア協会員に任命される
1998
別府アルゲリッチ音楽祭総監督に就任(現在に至る)
1999
祖国アルゼンチンで「マルタ・アルゲリッチ国際ピアノ・コンクール」を開催
2001
アルトゥーロ・ベネディティ・ミケランジェリ国際賞
2002
スイス・ルガーノでルガーノ・フェスティバル・アルゲリッチ・プロジェクト開催
2005
日本政府より旭日小綬章
  • フリードリヒ・グルダ(左から2番目)とアルゲリッチ、1955年

  • ©The Sankei Shimbun

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  • ルガーノ音楽祭

フリードリヒ・グルダ(左から2番目)とアルゲリッチ、1955年
Photo: Courtesy of Paul/Rico Gulda

©The Sankei Shimbun

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「ルガーノ音楽祭アルゲリッチプロジェクト」でギドン・クレーメル、ミッシャ・マイスキーと
Photo:Courtesy Martha Argerich