第15回
2003年
音楽部門
Claudio Abbado
クラウディオ・アバド
クラウディオ・アバドは2002年までの12年間、クラシック音楽の最高峰といわれるベルリン・フィルの芸術監督を務めた世界的な指揮者。豊かな音楽性と楽譜の精緻な読みには定評がある。ミラノの音楽一家に生まれ、バーンスタインやカラヤンに見出され、才能を開花させた。世界の主要オーケストラで指揮する一方、ウィーンなど主要オペラ劇場の音楽監督、主要音楽祭の芸術監督も務めている。来日公演は73年以来、多数。
略歴
クラウディオ・アバドは、豊かな歌心と楽譜の精緻な読みで、40年にわたって数々の名演を世界の音楽ファンに提供し続けてきた。ミラノ・スカラ座監督、ロンドン交響楽団首席指揮者、ウィーン国立歌劇場音楽監督、そして12年間にわたるベルリン・フィル芸術監督と、音楽界の主要なポストを歴任、近年は若手演奏家の育成にも心血を注いでいる。
ミラノの音楽一家に生まれ、「7歳の時に音楽の魔力を発見して以来、いつか、このような魔法を使えるようになりたいと夢を追ってきた」という。ダニエル・バレンボイムやズービン・メータと共に学び、カラヤンに見出され、32歳でザルツブルクの音楽祭でウイーン・フィルを指揮して、マーラーの2番「復活」を演奏、センセーショナルな成功を収める。
「オーケストラと一緒に音楽作りをするなかで、もっとも大切なことの一つは、言語を超えた世界で、互いの考えや感受性を伝達できる共存関係を築くことです」
その言葉通り、アバドは専制的な手法はとらず、喜びのある雰囲気のなかでしなやかな音楽を紡ぎ出してきた。アバドの見識、教養、人柄によるところが大である。
「人間は常に未熟です。そして無知のなかで生きています。私は自分で可能な限り、音楽や文化、そして人間という存在について考えてきたという自負はあります」
3年前、胃がんで全摘手術を受けたものの、「音楽が何よりの薬」というアバドは退院後すぐ、精力的に活動を再開。しかし、今年に入ってからは、イタリアはサルディニア島の別荘で、休養と楽譜研究の時間を過ごしている。
作品の演奏前には、その楽譜を深く勉強するというが、今夏にスイスのルツェルン音楽祭で披露するドビュッシーの「サンセバスチャンの殉教」の楽譜が目下の研究対象。
10月の来日の折には、「古い友人であるピアニスト、マルタ・アルゲリッチとコンサートを開きたい」と希望している。
略歴 年表
ニューヨークでバーンスタインの助手を務める
72-音楽監督、77-79芸術監督、81-86監督
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イタリア、サルディニア島の別荘で
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別荘内の自室
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©The Sankei Shimbun 2003