第27回
2015年
絵画部門
Tadanori Yokoo
横尾 忠則
1960年代からグラフィックデザイナーとして日本のポップシーンや前衛シーンを駆け抜け、その独自の画境は三島由紀夫、寺山修司らにも高く評価された。1980年代以降は「美術家」として絵画を主軸に創作を展開。1981年のいわゆる「画家宣言」後も、《滝》《Y字路》シリーズなど、夢と現(うつつ)、死と生を行き来する横尾芸術が進化。「死の側に立って、現実の生を見つめる」という視点に立ち、質量ともに圧倒的な作品を作り続ける。2012年には約3000点もの作品を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館。2013年には豊島(香川県)に「豊島横尾館」もオープン。2014年にはパリのカルティエ現代美術財団に110点もの肖像画を出品した。作風やモチーフを変えながら、日本の大衆社会を随所に反映させ、旺盛な創作意欲はとどまるところを知らない。
略歴
1960年代からグラフィックデザイナーとして日本のポップシーンや前衛シーンを駆け抜け、1980年代以降は「美術家」として絵画を主軸に旺盛な創作活動を展開している。
絵が得意で、絵本を夢中で模写する少年だったというから、既存のイメージを自在に操る作風の原点は、幼い日の「模写」にあるのだろう。1960年代後半、一連のポスターで独特のスタイルを確立。寺山修司、土方巽らアングラの旗手、三島由紀夫、大島渚ら文化人と共作を通して親交を深めた。
前衛とポップ、前近代的な土着性を融合させた独自の画境は、“ヨコオ・ワールド”と言うべき世界だ。1972年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で個展が開かれるなど、その評価は早くから海を越え、「日本のウォーホル」と称されることも。
絵画も既に1960年代後半から発表していたが、ニューヨークでピカソ展(1980年)を見たことをきっかけに1981年、いわゆる「画家宣言」を出し、幼い頃から夢だった画家(美術家)に転身する。
描く対象は森羅万象、夢と現(うつつ)を行き来する。地底・海底世界に冒険したり、ひたすら《滝》に没入したり。特に2000年から始まった《Y字路》シリーズは多様な想像と解釈を許す。絵画の枠に収まらない多才ぶりも発揮、1970年の大阪万博では建築も手掛ける。また、初の小説『ぶるうらんど』(2008年)で泉鏡花文学賞を受賞した。
横尾芸術に通底するのは「死」だ。「生きている延長に死があるが、僕は死の側に立って、現実の生を眺める視点に立っている」と強調する。
2012年には、絵画や版画、ポスターなど約3000点を収蔵する横尾忠則現代美術館(神戸市)がオープンした。開館式では「生前に美術館ができたのは死者になった気分。巨大なお墓を造っていただいて、どうぞ今後もお参りに来てください」と挨拶。現在は、近年の実験的絵画を集めた『続・Y字路』展が開かれている。
そして2013年には、瀬戸内海に浮かぶ豊島(香川県)に「豊島横尾館」がオープン。「(自分の)お葬式場に」という福武總一郎さん(福武財団理事長)の依頼を受けて、横尾流の死のイメージを空間で表現している。あの世に通じる色の「赤」が、足を踏み入れた観客に鮮烈な印象を残す。
世界で約120もの美術館が横尾作品を所蔵。昨年にはパリのカルティエ現代美術財団に110点の肖像画を出品、好評を得たほか、今後も国内外で多くの個展が予定されている。作風やモチーフを変えながら、日本の大衆社会を随所に反映させ、79歳の今も質量ともに圧倒的な作品を生み出し続けている。
略歴 年表
サンパウロ・ビエンナーレに出品
多摩美術大学大学院教授
初の小説『ぶるうらんど』が泉鏡花文学賞受賞
旭日小綬章受章
朝日賞受賞
カルティエ現代美術財団30周年記念『ヴィヴィッド・メモリーズ』展に110点の肖像画を依頼され出品
『ザ・ワールド・ゴーズ・ポップ』展(テイトモダン、ロンドン)
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都内のアトリエにて
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≪よだれ≫
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≪暗夜光路 N市-V≫
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≪原始宇宙≫
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≪ジュール・ヴェルヌの海≫
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≪想い出劇場≫