第30回
2018年
彫刻部門
Fujiko Nakaya
中谷 芙二子
“霧のアーティスト”として世界に知られる。米ノースウェスタン大学美術科を卒業後、初期の絵画制作を経て、芸術と技術の協働を推進する実験グループ「E. A. T.」に参加。「E. A. T.」の活動の一環として1970年の大阪万博ペプシ館で、初めての人工霧による「霧の彫刻」を発表。純粋な水霧を用いた環境彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、公園など、世界各地で80を超える霧作品群は、人と自然と取り結ぶメディアなのである。環境への関心は、世界で初めて雪の人工結晶を作った実験物理学者の父、中谷宇吉郎(1900-1962)の影響が大きい。また1970年代から社会を鋭く見つめたビデオ・アート作品の制作や、海外作家との交流を推進するとともに、日本の若手ビデオ作家の発掘と支援に尽力した。2017年はロンドンのテート・モダン新館で霧の新作を発表。2019年も日本、アメリカ、オランダなどで新しいプロジェクトに意欲的に取り組む。2018年10月から2019年1月まで、水戸芸術館で初めての大規模な個展が開かれる。
略歴
“霧のアーティスト”として世界に知られる。米ノースウェスタン大学美術科を卒業後、初期の絵画制作を経て、1966年、技術者ビリー・クルーヴァー、芸術家ロバート・ラウシェンバーグ(1998年世界文化賞受賞者)らにより結成された、芸術と技術の協働を推進する実験グループ「E.A.T.」に参加。活動の一環として1970年の大阪万博ペプシ館で、初めての人工霧による「霧の彫刻」を発表。白い霧がパビリオンをすっぽり包んだ。
高圧ポンプと独自に開発した微粒子ノズル群によって人工の霧を発生させる。霧は、気象条件や地表の凹凸、樹木などその場の環境を読み取り、風に寄り添い、大気と響き合って刻一刻と姿を変える。見えるものが見えなくなり、風のように、見えないものが可視化されてゆく。霧に取り込まれた人々の想いは、過去と未来の狭間を多彩に浮遊する。環境が彫ってくれる霧の千変万化こそが「霧の彫刻」だが、自然の側から見れば自然現象そのもの、最後は自然に委ねるのが「霧の彫刻」の作法だ。純粋な水霧を用いた環境彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、公園など、世界各地で80を超える霧作品群は、人と自然とを取り結ぶメディアなのだ。
「霧の彫刻」は仮設展示だけでなく、国営昭和記念公園こどもの森(東京都立川市、1992)の《霧の森》のような公共施設もある。オーストラリア国立美術館の《砂漠の眼覚め》(キャンベラ、1983~)の様に40年近くも存続する常設作品もある。
環境への関心は、世界で初めて雪の人工結晶を作った実験物理学者の父、中谷宇吉郎(1900−1962)の影響が大きい。自然科学者として、自然と向き合う時の謙虚さ、自然に対する信頼と献身は並大抵ではなかった。「自然を見る眼が親愛の情を失えば、相手も決してその本性を明かさないものである」(宇吉郎)。相手の気持ちになって考えること、相手を活かすことを父から学んだ。
宇吉郎と娘・芙二子の二人展が2017年12月から2018年3月まで、東京・銀座のメゾンエルメスで開かれ、大きな話題となった。
多彩な活動のもう一つの顔は、日本におけるメディア・アートの礎を築いた功労者であることだ。1970年代、メディア・エコロジーに目覚め、顕在化した公害や、管理化が進む情報社会に批判の目を向ける。当時発売されたばかりの個人用小型ビデオを使って、社会を鋭く見つめたビデオ作品を制作。1980年には日本で最初の「ビデオギャラリーSCAN」を東京・原宿に設立し、ナム・ジュン・パイク、ビル・ヴィオラ(2011年世界文化賞受賞者)ら海外作家との交流を推進するとともに、日本の若手ビデオ作家の発掘と支援に尽力した。
類まれな“霧のアーティスト”は、 「最近ようやく霧の言葉が少し分かるようになった」と微笑む。以前は邪魔者扱いしていた風と、今ではコラボレーションを楽しめるようになったという。2017年はロンドンのテート・モダン新館で霧の新作を発表。2019年も日本、アメリカ、オランダなどで新しいプロジェクトに意欲的に取り組む。2018年10月27日から2019年1月20日まで、水戸芸術館で初めての大規模な個展が開かれる。
略歴 年表
グループ「ビデオひろば」結成
ビル・ヴィオラらと《男鹿川》を制作(川治温泉)
文化庁メディア芸術祭功労賞
フランス芸術文化勲章コマンドゥール
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中谷 芙二子
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事務所近くの東郷神社境内にて
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《霧の森》
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《ロンドン・フォグ》
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《氷河の滝-グリーンランド》
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東京・原宿の事務所にて