ダニ・カラヴァン

Dani Karavan

プロフィール

  イスラエルの南部の砂漠に立つ古代遺跡かと見まがう「ネゲヴ記念碑」、パリ近郊の都市セルジ=ポントワーズを貫く全長3キロの「大都市軸」(1980-)など、周囲の環境と一体になった壮大な彫刻で知られる。
  1930年、テルアビブに生まれる。根源的なインスピレーションを与えてくれるのはイスラエルという土地だという。母国の美術学校で学んだ後、フィレンツェでフレスコ画の技法を学ぶ。最も強い影響を受けたのは、著名な造園家であった父親という。「ネゲヴ記念碑」(1963-68)でその地位を確立。カラヴァンは太陽の光、木、草、水、風などを作品の中に取り込んでしまう。自身「私の作品は他の場所に移せば死んでしまう。置かれた場所で息づくのだ。作品の中を歩いたり、音を聞いたり、においをかいだり、全身の五感を働かせてほしい」という。ユダヤ人のカラヴァンにとって平和への願いは切実である。スペインの断崖から海に向かって突き出た急勾配のトンネル「パサージュ」はナチの手から逃れるうちに自殺した哲学者ベンヤミンを悼んだ作品である。99年に札幌芸術の森美術館に「隠された庭への道」が完成した。

詳しく

  イスラエルの彫刻家、ダニ・カラヴァンは周囲の環境と一体となった壮大な彫刻で知られている。

1930年、テルアビブに生まれた。根源的なインスピレーションを与えるのはイスラエルという土地だ、とカラヴァンは語る。
  「1個の石、1片の土地がそれぞれ皆記憶に満たされ、一歩を踏み出すごとに数十年、数百年、数千年を振り返ることになる場所に生まれた」
  母国の美術学校で学んだ後、フィレンツェでフレスコ画の技法を習得。初期の仕事にはマーサ・グラハム、ジャン・カルロ・メノッティのための舞台美術や建築空間のために作られたレリーフがある。そうした異分野の仕事を経て1963年に、記念碑的彫刻となった『ネゲヴ記念碑』の制作を依頼された。
  テルアビブから車で1時間ほど走った砂漠の高台にある『ネゲヴ記念碑』は巨大なコンクリートのモニュメントだ。球体があったり、トンネルがあったり、塔があったりする。球体や塔に入ると、光が差し込み、風の音を聞くことができる。「私の作品はほかの場所に移せば死んでしまう。置かれた場所で息づくのだ。私の作品は中を歩いたり、音を聴いたり、においをかいだり、全身の五感を働かせてみてほしい」とカラヴァンはいう。
  大きな影響を受けた芸術家としてジャコメッティとイサム・ノグチの名をあげる。また、彼の活動には「父の影響が大きい」という。父親はイスラエルで多くの公園を手がけた著名な造園家だった。だから、ダニ・カラヴァンの仕事は彫刻の範囲を超えて、「環境」をつくるのだ。その代表作がパリ近郊の都市、セルジ=ポントワーズにある『大都市軸』だ。最大幅142メートル、全長3キロにおよぶ。スペインの建築家、リカルド・ボフィール設計のポスト・モダンの神殿風の集合住宅や広場と一体化している。作品の一部である展望塔に登ると、コンクリートに刻まれた溝(軸線)が走るのが見てとれる。12本の円柱や池には小さなピラミッドもあり、壮大で荘厳な作品だ。これは1980年から建設がはじまり、いまだに続いている。ひとつの作品をつくるのに長い年月を費やすのも特徴である。
  ユダヤ人のカラヴァンにとって、平和への願いは切実である。それゆえ多くの作品に平和の象徴のオリーブの木や生命誕生の源である水を配している。
  そうした自然を作品に取り込んだ代表作が『パサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ』(1994)だ。ドイツ生まれのユダヤ人哲学者、ベンヤミン(1892-1941)がナチの手から逃れるうちに自殺したスペインのフランス国境の町、ポルト・ボウにあるこの作品は、ベンヤミンが埋葬されている共同墓地に隣接し、地中海を見下ろす海岸の切り立った崖の上にある。
  海に向かって突き出たコールテン鋼の33メートルのトンネル。地上に姿をみせるのは入り口だけ。赤茶けたトンネルを降りていくと、突然天井が開け、陽光が差し込み、さらに降りると紺碧の海が現われ、眼前に波しぶきが迫ってくる。赤茶けた鉄と青い海の色彩のコントラストが鮮やかだ。トンネルの底のガラスにはベンヤミンの言葉が記されている。ここを訪れる人たちはトンネルを降りながらベンヤミンを追憶する巡礼の旅をすることになる。
  さらにトンネルの背後にも、小さなコールテン鋼の階段がある。わずか5段で途絶えた小さな階段は、目的を失った人の悲しみを象徴しているかのようなオブジェと化している。トンネルや階段は行き場を失ったベンヤミンの姿を連想させるのである。階段横にはオリーブの木も植えられ、平和への思いが込められる。
  1988年にカラヴァンは初めて日本を訪れ、日本文化に深い感銘を受けた。彼は後にこう言っている。「私は鏡をのぞき込んで自分自身の内面を見たような気がした。たぶんその理由は、アジアは私の大陸であり、私の根はいつもこの大地に触れており、そのエネルギーを身体を通して上へと運んでいたからだ。日本で私は聖なるものに触れようと試み、“間”という日本の概念に触れようとした」
  日本では1994年から95年にかけて神奈川県立近代美術館など7つの美術館でインスタレーションがおこなわれた。常設作品としては宮城県美術館の『マアヤン』(1995)や大阪の長居陸上競技場の『高きへ』(1997)、札幌の芸術の森美術館での環境彫刻『隠された庭』(1999)がある。

渋沢和彦

略歴

  1930  12月7日、イスラエル・テルアビブで生まれる
  1943-49 エルサレムのベツァレル美術アカデミーで画家アルドンらに学ぶ
55年までキブツのメンバー
  1956-57 フィレンツェの美術アカデミー、パリのグランド・ショーミエール・アカデミーで学ぶ
  1960-73 イスラエルのインバル舞踊団、バットシェバ舞踊団、ニューヨークの
マーサ・グラハム舞踊団などの舞台美術を担当
  1962 テルアビブ裁判所に 「コンクリートによる壁画レリーフ」 など制作
  1963-68 イスラエル、ベールシェバに 「ゲネヴ記念碑」 を制作「ブラック・ペインティング」を制作
  1978 イタリアのフィレンツェとプラトでレーザー光線を駆使した 「平和のための環境」 を手がける
  1980 パリ郊外セルジ・ポントワーズの 「大都市軸」 制作開始(86年円柱広場、展望の塔、果樹園広場、88年12本の柱)
  1982  テルアビブとドイツのバーデン・バーデンの美術館で本格的インスタレーション個展 「マコム」 開催
  1983-84 パリの 「エレクトラ展」 でパリ市立近代美術館とエッフェル塔、ラ・デファンスをレーザー光線で結ぶ
  1990-91 日本で7カ所の美術館で巡回展 (「芸術が都市をひらく」)
  1990-94 スペイン/ポルト・ボウ 「パサージュ、ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ」
  1994-95 日本で 「時間・空間・思索」 展が7カ所の美術館を巡回する
  1996 ドイツ、ゴスラルで回顧展
ゴスラル市カイザー・リング賞受賞
東京都現代美術館の 「近代都市と芸術」 展
東京・佐賀町エキジビットで 「シャマイムー空 水はそこに」 展
  1998  高松宮殿下記念世界文化賞・彫刻部門受賞
  2021  5月29日、イスラエル・テルアビブにて死去
 

主な作品

(☆インスタレーションなど
現在はその地にはなし)

1963-68  ネゲヴ記念碑
1976   ☆「平和都市エルサレム」 (ベニス・ビエンナーレ)
1977   ☆「自然の素材と記憶でつくられた環境造形」
                 (ドイツ/カッセル・ドクメンタ6)
1977-88  「キカール・レヴァナ(白い方形)」 (イスラエル/テルアビブ)
1979-86  「マアロット」 (ドイツ/ケルン、ヴァルラフ・リヒャルツ美術
                 館、ルードヴィヒ美術館)
1981   ☆「砂のドローイング」 (スイス/チューリヒ、クンスト・ハウス)
1982     「スクエア」 (デンマーク/フムレベック、ルイジアナ美術館)
1980-82   「線1・2・3」 (イタリア/ピストイア近郊、ヴィラ・チェッレ)
1982   ☆「マコム」 (イスラエル/テルアビブ、ドイツ/バーデン・
                 バーデン、クンストハレ)
1983   ☆「橋」 (ベルギー/アントウェルペン、ミデルハイム)
              ☆「反映/反射」 (パリ市立近代美術館)
              ☆「オリーブ樹をして我らの境界たらしめよ」
                 (イスラエル/テルハイ)
              ☆「道と橋」 (ドイツ/ハイデルベルク)
1984   ☆「マコム1」 (オランダ/ブレダ、デ・ベイエルト美術館)
1985   ☆「砂」 (ブラジル/第18回サンパウロ・ビエンナーレ)
1987-88  「光の道」 (韓国/ソウル、オリンピック彫刻公園)
1989   ☆「対話」 (ドイツ/デュースブルク、ヴィルムヘルム=レーム
                 ブルック美術館)
1989-91  「ツァフォン(北)」 (ドイツ/デュッセルドルフ、ノルトライン=
                 ヴェストファーレン州議会)
1989-93  「人権の道」
                 (ドイツ/ニュルンベルク、ゲルマン民族博物館)
1993-94  「ギュル強制収容所囚人へのオマージュ」
                 (フランス/ギュル)
1993-95  「マアヤン」 (仙台・宮城県美術館)
1993-96  「寛容の庭、イツハク・ラビンへのオマージュ」
                 (フランス/パリ、ユネスコ本部庭園)
1996-97  「高きへ」 (大阪・長居陸上競技場)