第22回
2010年
建築部門
Toyo Ito
伊東 豊雄
伊東豊雄は、革新的な概念を生み出しながら、変わり続ける建築家である。東京大学建築学科在学中のアルバイト先だった菊竹清訓建築事務所に就職。4年後に独立開業し、住宅設計を中心に手がける。自邸の『シルバーハット』で日本建築学会賞。「建築を軽く」という、それまでになかった方法論で注目を集め、商業施設や公共建築にも活躍の場を広げた。2001年にオープンした複合施設『せんだいメディアテーク』が絶賛されて“時代の寵児”となり、柔軟な発想と実行力で建築界を牽引している。『TOD’S表参道ビル』(2004)のように斬新な建築様式に挑んだかと思えば、『座・高円寺』(2008)のように、デザイン性の強い、楽しさや明るさを打ち出した作品も手がける。最近は、台湾、スペインなど海外プロジェクトが8割を占める。建築と自然、環境との関係を重視する作品は、国際的に注目されている。
略歴
伊東豊雄は、革新的な概念を生み出しながら、変わり続ける建築家である。「スタイルを作りたくない」と、到達点を転換点とし、イメージを具現化する作業の中で得た新たなビジョンを展開して、次のステージを目指していく。
日米開戦の年に京城で生まれ、すぐに帰国。父親の郷里である長野県諏訪湖のほとりで少年時代を過ごした。中学3年のときに上京し、日比谷高校から東京大学建築学科に進学。在学中のアルバイト先だった菊竹清訓建築事務所に就職した。4年後に独立開業し、住宅設計を中心に手がける。
自邸の『シルバーハット』(1984) で日本建築学会賞を受賞。「建築を軽く」という、それまでになかった方法論で注目を集め、商業施設や公共建築にも活躍の場を広げた。
その代表作が、2001年1月に仙台市にオープンした複合施設『せんだいメディアテーク』。チューブ状の鋼管柱が建物を上下に貫通し、通路や部屋という概念を飛び越えた空間と、機能を特定しない柔軟性が、建築界に強烈なインパクトを与えた。
この画期的な建築は、仙台市民に歓迎され、各界からも絶賛されて、伊東は“時代の寵児”に。その後も、斬新な発想と実行力で建築界を牽引している。
樹木を模したコンクリートフレームが構造体となった『TOD’S表参道ビル』(東京、2004)、屋根や壁が区別できない『福岡アイランドシティ中央公園中核施設ぐりんぐりん』(2005)、アーチ形のガラス窓とコンクリート外壁を組み合わせた『多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)』(2007)などで建築の常識を覆した。芸術ホール『座・高円寺』(東京、2008)のように、デザイン性の強い、楽しさを打ち出した建築も増えた。
伊東は、建築と自然、環境との関係を重視し、「人間がもう少しプリミティブな状態に戻ることによって、人間の元気、活力を取り戻せるような方向に行くべきではないか、というのが私の建築像」と語る。
最近は、台湾、スペインなど海外プロジェクトが8割を占める。特にバルセロナでは、目抜き通りに面したビルの「波打つようなファサード」や、国際見本市会場の「ねじれたようなホテル」が、サグラダ・ファミリア聖堂で知られるアントニ・ガウディの建築に通じるものがあるとして、伊東の建築は人気を集めている。
略歴 年表
アメリカ芸術文化アカデミー アーノルド・W・ブルーナー賞
『2009高雄ワールドゲームズメインスタジアム』(台湾)
(ホテル棟2010、オフィス棟2009)
-
オフィスにて
-
『せんだいメディアテーク』内部
-
『TOD'S 表参道ビル』 内部
-
『多摩美術大学図書館 (八王子キャンパス)』
-
『座・高円寺 』 2008
-
『スイーツアベニュー・アパートメント・ファサードリノベーション』
-
ファサードから臨むガウディ設計のカサ・ミラ
-
『トーレス・ポルタ・フィラ』
講演会
伊東豊雄 建築を語る
--高松宮殿下記念世界文化賞 受賞記念講演会--
2010年10月14日 16:00~17:30
於:鹿島KIビル
10月14日午後、伊東豊雄氏の受賞記念講演会が東京・赤坂の鹿島KIビルで開催されました。建築関係者や学生など約300人の聴衆を前に、伊東氏は、独創的な発想と実行力で手がけた代表作の『せんだいメディアテーク』(2001)をはじめ、斬新なデザイン性の強い『多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)』(2007)、『座・高円寺』(2008)など、最近注目を集めた作品の数々を会場スクリーンに映し出しながら、それぞれのポイントを分かりやすく解説しました。伊東氏は、建築と自然、環境との関係を重視する一方、楽しさや明るさ、地域との結びつきも考えた建築作品を通して、「新しい秩序」と呼ぶべき建築様式を模索していることを披露し、会場に感銘を与えました。
【はじめに】
みなさんこんばんは。よろしくお願いいたします。
今ご紹介いただきましたように昨日大変立派な賞をいただきまして、改めてありがとうございました。ソフィア・ローレンさんのエスコートを奇しくもというか、務めさせていただきまして、大変疲れました。今朝はなかなか起きられない状態でしたが、これから頑張ってお話しさせていただきます。テーマは「新しい秩序」に致しました。
私達の周辺の自然環境、あるいは都市環境でもいいのですが、それらを混沌とした世界だとすると、そのカオスの中に安定した秩序、つまりコスモスを作り出す。これが建築であるというふうに一般に考えられております。
秩序とはそのカオスに構造と形態と規範を与えることです。規範というのはある種のルールですね。これが建築をつくるということです。
これは、建築を専門としておられる皆さま方には今更ご紹介するまでもないですが、16世紀後半につくられたパラディオのロトンダという建築で、これほど安定した秩序を表現している建築はないと思います。つまり、建築をつくるという行為は、不安定な自然界の中から切り離し、安定した秩序をつくることであると久しく思われてきました。
プランを見ると、軸線が東西両方向に通って中心にはドームが架かっています。エレベーションは、基壇の上にメインの構造体が乗り、そして上にドームを頂いていて、これ以上完璧な幾何学でつくられた建築はないと思われます。
そういった古典的な秩序に変わって、20世紀はグリッド、つまり立体格子によって建築がつくられました。
そのグリッドに世界の都市は埋め尽くされています。20世紀初めには25億だった人口が60億にまで膨れあがって、しかも大半の人口が都市に集中する。このような集中を受け入れるためには、世界のどこででも同じ建築を工業生産によって短時間でつくることが市場命令であったわけですが、一方でこのような建築が世界を覆うことによっていろいろな問題も巻き起こしました。
1つは、このように出来るだけ表面積を小さくして、周辺の環境から独立した、完結的な人工環境をつくってしまうことです。
南側でも北側でも、あるいは地上2階でも50階でも同じような室内環境をつくるのです。このことによって私は、そこで働いている人々、あるいはそこに住んでいる人々までもが均質化してしまうという問題が起こっているのではないかと思っています。また、21世紀の最大のテーマである地球環境を浄化する、あるいはCO2を削減するという課題にとって、このような建築がつくり続けられる限り、根本的な解決はあり得ないのではないかと思います。
そういう時にいつも私が思い出すのが、この「スーパースタジオ」というイタリアのグループが40年も前に既に描いていたモンタージュです。1970年前後に彼らは非常に美しいモンタージュをたくさん作りましたが、ご覧のように、美しい自然の中にグリッドが敷き詰められていて、氷河から浮き上がったかのようにそこから自然が顔を覗かせている。そしてそこに非常に優しい雰囲気の人々が描かれている。これは当時のヒッピーだと思いますが、この人達は自然主義者であって、お互いをいたわり合い、とても優しい人々です。この人達を現代に置き直すといわゆる草食系のような人々になるでしょう。しかしこのグリッドの世界が広がり拡張していくと、この地球全体が氷河期に戻るかのように全てグリッドに覆いつくされ、そこで人間は死滅してしまうのではないか、そのような世界をいつも私は想像してしまいます。
これは19世紀初めの江戸の都市です。中央に江戸城がありそこから水が螺旋を描きながら流れ、住居と緑がお互いにフラクタルにかみ合った、非常に美しい都市を形成しています。
ところが現在の東京は、グリッドがフラクタルな都市の上を覆っています。それがなお拡張されていくと、エントロピーの極限状態とでも言ったらいいでしょうか、人間はひたすら優しく平和に死に絶えていくのではないか。今、若い建築家のつくっているものを見ると、こういう世界に賛同しているのではないか、美しく抽象的で、自然から乖離した世界を描こうとしているのではないかと思われるのです。果たしてそれでいいのだろうか。人間は不思議なもので、洞窟から出て建築をつくり始めた時から、抽象的な幾何学によって建築をつくり続けてきました。そしてそれが均質さを求める幾何学に置き換わっても、より高いところ、より透明な空間に住みたいと思う。本来人間は、動物と同じように地上に降りていなければ生きられないはずなのにどうしてこうなってしまったのか。そしてなおこのような世界の行く末を求める建築家がいる。我々はどのようにして、そうならない建築をつくることができるのかが、今日の課題ではないかと思うのです。
自然との関係を回復しなければならない。そのためには20世紀とは違った建築の秩序が必要ではないかと思います。
1本の木は何の秩序もないようでいて、実は周辺との様々な関係を持ちながら生きている。例えば、隣に木があればその関係によってこの木は自分の姿を決めていく。また、太陽の方向、風の方向、あるいは地下水の方向、そういった様々な環境条件との関係で自分の姿を決めていく。その決め方は非常に複雑なようでいて、枝分かれをするという極めて単純なルールを繰り返しながら、非常に複雑なものを作り上げていく。先の方へ行けば行くほど細かく枝分かれし、太陽からよりたくさんの光を得られるようフラクタルな形をつくっている。こういった仕組みはこれからの建築を考える上で参考になるのではないかと思います。
新しい秩序というのはどんな秩序でしょうか。ダイナミックで流動的な秩序。相対的な秩序。不安定な秩序、曖昧な秩序、フラクタルな秩序、インクルーシブな秩序。インクルーシブというのはエクスクルーシブに対して、様々なものを排除しピュアにしていくのではなく、多様なものを取り込みながら秩序をつくっていくという意味です。このような秩序は可能でしょうか。
ここからは、私がこの10年程の間に考えてきた秩序がどのようなものであったかという例をご紹介したいと思います。先ずこういうことを考えるきっかけになったのが『せんだいメディアテーク』です。1995年にコンペティションがありました。これはその時に提案した模型ですが、ご覧のようにすごくピュアな建築です。20世紀的とも言えます。ある建築評論家はこれをドミノの変型だと言いました。
出来上がった建築はだいぶ様相は変わりましたが、それでもこれは四角い箱です。そう言った意味ではモダニズムの建築とそんなに変わらないように見えます。
しかしこのプランを見ていただくと、チューブと呼ばれる中が空洞になった柱が13本あります。それらは必ずしもグリッドの上には並んでいないことが分かります。本来はもっとランダムに並べたかったのですが、構造的な問題ではなく、ギャラリースペースで壁を立てる時に柱が部屋の中にあっては邪魔だという指摘を受け、ある程度横方向の列が決められました。これを均質なグリッドと比べていただきたいと思います。
曖昧な秩序と呼んでいるように、柱がランダムに立つ、つまりグリッドからフリーに立っていると、その間にいろいろな関係が生じます。このことは私が40年以上前に菊竹清訓さんの事務所に勤めている時に教わりました。1本の柱があるとその周りに場が発生するという言葉です。柱が2本、3本と立つと、それらが相互に干渉し合う。複数の波紋が広がっていく時にそれらがオーバーラップし合いながらつくられていく空間に惹かれながら建築空間を考えています。分かりやすく言えば、日本の庭園を歩くような、もしくは飛び石の上を歩いているような、あるいは私がしゃべる日本の言葉のような、そんな空間のイメージです。1つの言葉から別の言葉をつなげていく間に空間があり、それらは言葉の広がり方次第でどのような関係もつくることができる。日本語は曖昧な秩序で出来ていますが、日本の庭園も曖昧な秩序で出来ています。そういった曖昧さはこれから我々が建築をつくっていく上で非常に参照すべきことではないでしょうか。
(『せんだいメディアテーク』の)1階は中央部に300人ぐらいを収用できるギャラリーホールがあり、区切ることもできますが普段はほとんど開いた状態で、季節の良い時は道路側の全面が大きく開け放たれ、半屋外の広場のような空間です。ここにはカフェやショップもあり、外の通りがそのまま連続しているような空間です。
2階に上がるとライブラリーのスペースです。ライブラリーには様々な読書の姿勢をとることが出来るスペースがあります。並木を間近に見る南側では、日当たりも良くいつも昼寝をしている人を見かけます。あぐらをかいて本を読んだり、寝転がって本を読んだり、かなりリラックスをしながら読書が出来る場所です。奥の方へ行くに従って次第に姿勢を正して本を読むような場所に変わっていきます。このように部屋の中に壁を作らない、区切らないことによって、選択制が生まれる。またこのような広い空間を用意することによって、子どもが少し騒いでも、あるいは1階で何かイベントがあり音が出たとしても、ある程度音は聞こえてきますが、気にならなくなる。例えば公園にいたら音が聞こえてきても誰も文句は言いませんが、ここも公園のように自分で好みの場所を探せます。
7階へ行くとたまにこういう光景が見られるのですが、皆床に座り込んで何か音楽に関わるワークショップをやっています。ここでも壁はかなり少ない。
その近くではお年寄りがコンピュータ教室を開いています。このように若い人とお年寄りが隣接することによって、お年寄りは大変喜ぶそうです。今年でちょうどオープンして10年になり、今月から10周年イベントがいろいろ開催されつつありますが、オープンして1年ぐらいの時に館のスタッフの方が、こうやって来るお年寄りのファッションが1年で変わってきましたよと言われました。若い人と一緒にいる、ということが本当にお年寄りにとっては元気づくのです。学校帰りの小さな子どもたちも、お年寄りや他の人たちが読書をしていたり、ビデオを見ていることによって、安心して子どもだけでお母さんがくるまで時間を過ごすことができるというメリットもあります。
20世紀は、いろいろなことを切り分けていく。内と外の境界をはっきりさせる。部屋と部屋の境界をはっきりさせる。機能によって明解に分けていく、ということがテーマでしたが、21世紀にはもう一度それを曖昧な関係に戻していくということがテーマになるのではないかと思っています。
【サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン(ロンドン)】
次にご紹介するのは、ちょうど「せんだい」がオープンした翌年にロンドンのケンジントン・ガーデンに建てられた、『サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン』です。ここにはサーペンタイン・ギャラリーという古いティーハウスを使った現代アートのギャラリーがあります。そこが2000年から毎年夏の3ヶ月だけのために建築家やアーティストにパビリオンの設計を依頼しています。2002年のパビリオンをセシル・バルモンドというロンドンの構造家と一緒にデザインをしました。依頼を受けてから僅か半年でつくり、3ヶ月後にはここにはもうなくなっていました。
通常ですと、このような正方形の屋根を支えるのに「田」の字型に梁を架ける。あるいはグリッドに分節していく。それが最も単純でつくりやすく合理的な方法だと言われています。しかしここではその正方形を入れ子状に回転させていくという幾何学を用いて、より流動感のある構造体をつくろうということになりました。
そうしてつくられたのがこの構造体です。正方形が入れ子状に回転していますが、そのラインをそのまま延長して壁のラインに連続している。これが合理的かどうかと言えば合理的とは必ずしも言えないかもしれない。しかし、こうすることによっていろいろな面白いことが起こります。
この内部に入った時に、私も初めて体験したのですが、「箱の中にいる」という感覚になりませんでした。それは稜線の部分に構造体がないということが1つの大きな要因だと思います。これはなかなか写真では分かりにくいのですが、ドームの中にいるみたいに感じました。しかしドームと言ってもかなり開け放たれたままの空間で、通常建築を構成している柱、梁、壁、窓、ドアと言ったエレメントもここにはありません。あるのはただラインの交錯する空間だけです。そのことによって、人々は急に解放された印象を持ちます。建築の中に入ったという印象を持たずに、そのまま外にいるかのようにこのスペースを楽しむことが出来るのです。
これはかなり面白いと思いました。パビリオンは仮設の構造物なので、その後移設され、今年の夏には地中海に面したコートダジュールのホテルの庭に再生されたと聞いています。
こういったものをさらに本格的な建築でつくってみたいと思っていたところに、『TOD’S表参道ビル』のデザインを依頼され、これはチャンスであると思いました。最初からこの木のような構造体を思いついたわけではありません。この建物の間口が10メートルしかなく、さらに周辺には様々なライバルブランドの建物が並んでいて、それらはもっといい地形で立派な敷地に建っている。それらに対抗するには一体どうしたらいいだろうかと考えて、先ず思い立ったのは構造体を外に出すことでした。一般的にこういった商業ビルではいわゆるカーテンウォールの手法で表層をガラスなりパネルなりで覆うことによって表現しますが、構造体を外に出し、鉄骨造が多い商業ビルの中において、あえてコンクリートでつくろうと思いました。そうすることによって何らかの強さを表現したいと考えたのです。敷地は奥で折れ曲がっているので6つの面があるのですが、この全ての面を見えないところも含めて、このような構造体でデザインしたいと思いました。
裏の方にまわるとご覧のように広い面があり、遠くでも思いがけないところから、例えば我々のオフィスからも見えますし、歩いていても色々な方向から上部が見えることもあります。こうした体験によって建物全体の印象が作られ、シンボル性を表現しようと思いたちました。そこで、前面道路にあるケヤキを連想させるパターンで、構造体をつくろうと試みました。木の枝の間には約270箇所の開口部ができ、そのうち200箇所をガラスで埋め、それらはほとんど全て形が異なります。しかもこれらをフレームレスでつくり、コンクリートにガラスが象嵌されているような、そういった印象を創出したいと考えました。内側と外側にそれぞれ2枚のガラスが入っています。
上の方に行くに従って開口率が高まり、6階部分ではいたい50%ぐらいです。木の枝の間から外を見ているような雰囲気になりました。若干建築的な説明をさせていただければ、この工事に携わったゼネコンのチームは本当にすごい人々でした。現場に入った途端に空気がピンと張り詰めているようで、僕も緊張するような印象がありました。型枠をつくったり配筋をする職人さんたちが、自らコンピュータで3次元のコンピュータグラフィックスを描いて作業をしている光景がありました。こんなことは日本以外では想像もできない話です。このような技術の力によって我々日本の建築家の建築は出来ているのです。
9本の木がオーバーラップしてファサードがつくられています。1階部分の開口幅に応じて間隔がずれてきますので、開口部の形が変わってくるわけです。
一見極めて不安定な秩序のように見えますが、また秩序とは言えないかのように見えるかもしれませんが、実は構造家に言わせると水平垂直で力を流していくよりは斜めに力を流していった方がある意味では合理的だということです。実際に我々がこのようなパターンを仮に描くとすると、それに基づいてすぐに構造のシミュレーションが始まり、多少具合の悪いところを修正するとほぼ最初のイメージ通りに建築が出来ていく。そういった解析手法はこの10年、20年の間にずいぶん変わったと思います。
同じように、日本の素晴らしい技術によって恩恵を受けた例をもう1つご紹介しましょう。多摩美術大学図書館のプロジェクトです。ここではアーチの列によってこのグリッドが作られていますが、これは従来のアーチとはかなり違うアーチです。
なぜアーチになったのかと申しますと、実は最初我々はこの図書館全体を、正門から続いている前面の地下に埋めるという提案を大学にしました。というのは、この前面の正門から図書館に至るまでの間を彫刻の庭園にしたいという大学のマスタープランがありまして、それならば図書館を全部地下に埋めて、そこに上からたくさん光を取り入れ、屋上部分は全て図書館の敷地まで含めて屋上庭園とし、彫刻の庭園にしてはどうでしょう?という提案をしたのですが、前面には大きなインフラが埋まっていてそれはできませんでした。そして地下にある時のプロジェクトのイメージが発展し、地下の土の中からドームをえぐり取るような、そんなイメージが地上に出てきた時にこのようなアーチに置き換わっていきました。それは重いアーチではなく、地上に出たからには軽快なアーチでなくてはならない、と感じました。構造の佐々木さんがその我々のイメージをより強化するような形で提案して下さいました。このアーチは1.8メートルぐらいのスパンから16メートルぐらいのスパンにわたっていて、それぞれアーチ毎にスパンが異なっています。
そしてそれらが湾曲しながら交差し、交差したところには十字型の柱型が足元に出てきます。
平面で見るとグリッド状ではありますがほとんど全てのラインは曲線、緩いカーブを描いていて、その間に三角形や、四角形、五角形の空間が生まれる。それまで我々がやってきた連続する空間は、フラットな床に柱状のものが立っていたのです。ここではむしろ壁をくり抜いてこのようなアーチができました。分節感を残しながら連続していく。ある程度区切られながら、かつ連続していく。そのようなグリッドをここでつくり出したいと考えたのです。
この敷地周辺は緩いスロープになっていますが、外との関係を生み出すために周辺の20分の1のスロープをそのまま建築の中まで持ち込みました。ですから1階の床は、20分の1の勾配で緩く傾斜しています。この部分はアーケードギャラリーと呼ばれていて、学生さんたちが自由に通り抜けて正門のバス停まで抜けていけるようなスペースです。ここではちょっとコーヒーを飲んで話をしたり、自分たちの企画で展覧会をやったり、小さなレクチャーを行うこともできるスペースです。パーティションの奥半分が図書館です。雑誌を見るカウンターは、藤江和子さんがデザインして下さいました。このカウンタートップはやはり20分の1の勾配で傾いています。雑誌を見る分にはそれぐらいの勾配はほとんど不便はありません。油圧で容易に高さを調整できる椅子によって対応しています。
こちらは映像を見るカウンターですが、このカウンタートップは水平です。手前と奥とではカウンターの高さが変わっていますので、これも同じ椅子によって対応します。ゆっくりリラックスして眺めたい場合は隣の椅子に座ればよいのです。
当初、床上でも寝転がれるぐらいに自由にしたいと思っていましたが、コンクリートの土間のままではさすがに寝転がるわけにもいかないので、それに代わるような大きなソファーをデザインしました。ここではいつも学生が寝ています。
2階へ行くと床はフラットですが、今度は天井に勾配がついています。随時天井の高さが変わり、ここでも場所を選んで読書をすることができます。本棚の間の小さなデスクで本を読むこともできるし、緑と向かい合う窓側のカウンターで本を読むこともできる。より大きなテーブルに座って読書をすることもできる。その間にアーチの壁が随時出ていて、ある程度区切られた感じと連続していく感じの両方を体験してもらうことができます。相対的な秩序とでも言ったらよいでしょうか。
【カリフォルニア大学 バークレー美術館/パシフィック・フィルム・アーカイブ】
それからこれは残念なことにキャンセルされてしまったのですが、カリフォルニアのUCバークレーのアートミュージアムのプロジェクトです。3層の美術館で大学の正門と道路を挟んで向かい合う敷地です。これも佐々木さんが頑張って下さって僅か10センチの壁厚でつくられる予定でした。これは銀座のミキモトと同じように2枚の鉄板の間にコンクリートを詰めたサンドイッチパネルをつくるのですが、10センチの壁では防火性能が確保できないということで12.5センチで出来るはずでしたが、実施設計に入ったあたりで経済が悪くなり、昨年の暮れに中止になってしまいました。
それはともかくとして、このプロジェクトは基本的に美術館ですから、いわゆるホワイトキューブと呼ばれる展示室が連続した空間です。しかしこの開口部をご覧頂くと、通常のように壁に穴が開けられた開口の取り方とは全く違った開口がつくられています。どういう事かというと、通常のホワイトキューブで隣の部屋に行くためには、壁の間に開けられた穴を通過していきます。それをここではご覧のように下の部分がカーブになっている、あるいは上の部分がカーブしている、こうやって連続するグリッドをつくり出したいと思いました。それを垂直方向にも連続させることによってより複雑な流動的な空間が出来ると考えました。吹き抜け部分にも使うと垂直方向にも開いて閉じてという関係が出てきます。
このようなシステムを用いるだけで、切れ切れになっていたグリッドが1枚の紙を折り曲げたように裏返ったり表返ったりしながら連続する空間に変わっていきます。そして更にファサードはグリッドの交差する位置より少し伸びたところでカットすることによって、外へ空気が流れ出していくような、あるいは人々が流れ込んでくるような、エントランスや開口部をつくることができるのです。
次にご紹介するのは、1年半前に高円寺でオープンした『座・高円寺』と呼ばれている劇場コンプレックスです。中央線が高架で走っているので、中央線に乗られる方は「あれ、高円寺の駅の近くに変なものができたぞ」というふうに感じられたかもしれません。環状7号の道路が交差していて、いわばなかなか厳しい敷地です。音も空気も悪い、というような場所です。しかも周辺部には葬儀屋さんがあったり、小さなビル、あるいは住居が隣り合っているというような所です。これは東京の典型的な風景とも言えます。
我々はコンペティションの時にはフラットな屋根を考えていましたが、コンペティション以後、公聴会のような機会で市民の人たちと話をしたときに、「鉄の箱をつくります」と言ったら1人の婦人から「鉄の箱なんて嫌だわ、私」と言われ、「まずいな」と思い、それが今のような形になった1つの理由です。もう1つは芸術監督の佐藤信さんから、地上に出ている1階の劇場の天井高をもっと高くしたい、自由にステージを組めるような劇場をつくりたいという意見をいただきました。ですが天井は、日影や車線制限などの周辺条件で単純に高くすることができません。真ん中ならば高くなるが周辺部は法規ギリギリであると。それをヒントにして、現実との相対的な関係によってこの屋根を作ることができるのではないか、さらにどうせなら芝居小屋といったイメージをより強化するようにしていこうとこのような屋根に変わっていきました。屋根は全部曲面ですが、円筒形と円錐形だけを組み合わせて出来ています。
遮音の問題もあるし、メインの商店街ではなく雑然とした環境なので、あえて閉じてみました。通常ですと公共建築をつくる時にはまちに開くと言いますが、ここでは閉じるとあえて言うことによって、何か変わったことをやっているぞ、という雰囲気を作り出したいと思いました。怪しげな雰囲気もありつつ、ここから何か新しいものが発信されていくというような意味を込めてです。そのために大きな開口部はあえて開けないで、ここに百数十個の小さな円形の開口部を作りました。
地下に3分の2ぐらいのボリュームが埋まっておりまして、地上が「座・高円寺1」という劇場で、ここはプロ仕様の、作り込むのは大変だけれども何でもできますよ、という劇場。そして「座・高円寺2」というのはすぐ真下に同じ形で、似たような平面なのですが、これはエンドステージ型、つまりオーソドックスな劇場で主として区民が使いやすい劇場。そしてもう1つ高円寺は阿波踊りで有名ですから阿波踊りの練習をするための平土間のホールがある。そしてこの3つのホールを組み合わせた上に、更に下に稽古場がある、といったような構成になっています。
小さなエントランスホールの突き当たりには階段がありまして、この階段によって全ての部分が結ばれています。
1階の劇場は、ほぼ正方形の平面で、通常だと横幅が広すぎると言われますが、佐藤さんは全く問題ないと言われました。ここでは遮音壁を移動することによって音の問題は解決できるし、天井の照明や舞台装置はグリッド状に組まれており、どちら方向を向いても対応出来るようにしつらえられています。
ここではNPOの法人がこの劇場のために作られまして、情熱を持った有能なグループによって運営されています。オープンの時にこの杉並区に住んでいる子ども達をたくさん呼び、子どもがたくさん来てくれるような劇場にしたいということで、1階は屋内化された広場なのだということで、大道芸をやったり、子どもの絵本のマーケットを開いたりしていました。
昨年は『ユーリンタウン』というミュージカルが行われましたが、これはかなり自由なステージ配置で、意外なところから役者が飛び出してくるような面白い演出の演劇が行われていました。
この階段周りは、地上も含めて全て地下にあるような印象を受けるのですが、この階段によって全ての空間が結ばれています。
地下の阿波踊りホールは年中杉並区内に50ぐらいのチームがあって、夏のフェスティバルに備えているのです。
2階にはコーヒーショップ、軽食を食べられるレストランがあり、ここもNPOが自分たちで運営をしているので、非常に安くて美味しいものが食べられて、かつパーティにも使われています。サービスも役者さんの卵のような人たちがアルバイトでやっていますので、魅力的です。私が手がけた公共の仕事の中では「せんだい」と並んで最も上手く運営されていると思われる施設です。
【台中メトロポリタンオペラハウス】
最後に、現在台中で行われているオペラハウスのプロジェクトをご紹介します。
これは構造体がコンクリートでして、非常に複雑な形をしているのですが、ここでも内部と外部との関係をもっと曖昧にしていきたいという意図からこのような構造体になりました。そのプロセスを話せば長いことですが、それは省略させていただきます。ただ、その元になったのは、このような単純な上下2つの床があって、そこをグリッド状に分割し、1コマおきにそこに円を描いてそれを上下互い違いし、それをエラスティックなテキスタイルで結ぶと3次元曲面の連続体ができます。それを2段重ねると垂直方向にも水平方向にも連続していく2つの空間に分かれます。それを少しずつ変型させてあのような構造体ができたのです。
幾何学の作り方が、地上は4層の床で構成されています。各階を四角形、五角形、六角形、七角形ぐらいの組み合わせによってプログラムに合わせて構成し、それを垂直方向にずらしながら結んでいくとこのような立体が出来上がるのです。そして曲面にスムージングをかけていくと骨のような構造体に変わっていくのです。そしてその間にフライタワーや、2000席、800席、200席など3つのオペラが出来る劇場が包含されます。
グランドレベルは大きな公園の中にありますので、外部のランドスケープがそのまま内にも入り込み、公園の中を歩いているような空間を作り出したいと思っているのです。
上階にはレストランがあったり、ギャラリースペースが置かれ、それらは白い洞窟の中を歩いているような空間の連続体です。上から光が落ちてきたり、奥の方から光が入り込んできたりといったように…。
既に何回か日本と台湾で構造体のスタディのためにモックアップをつくっています。これは台湾で作られたものですが、基本的には全てコンクリート、現場打ちのコンクリートです。日本のゼネコンの方にもいろいろな指導を仰ぎました。
これは、トラスウォール工法と言われる工法で、垂直方向のラインが2次元の曲面を描くトラスです。そのトラスを20センチ間隔で並べ、それらを横に繋いで、そしてその両面に網を貼ってそこにコンクリートを流すという工法です。それを繰り返してこのような構造体が実現するはずです。
現場では今地下工事が進行しておりますが、この大きな遺跡のようなところが大中2つのステージに相当する部分です。そして来年から少しずつ地上に構造体が姿を現します。完成までにはあと3年ぐらいかかりそうですが、確実に実現できると思います。
最後に断面のセクションを10センチ毎に連続させたCGを見ていただきましょう。横方向に連続しているチューブが縦に変わり、また横に変わってということを繰り返しているのがお分かりになると思います。
続いて建築評論家の馬場璋造氏の司会により、熱心な質疑応答が行われました。
熱気に包まれた数々の質疑応答の中で、伊東氏に向けられた問いかけは三点に集約されました。ひとつは、空間作りや幾何学的な操作に対する考え方、二つ目は、設計とコスト試算から実際の建築作業に従事する人たちとの繋がりや関係性、三つ目は、新しい建築素材に対する認識や挑戦についての質疑に対し、伊東氏が丁寧に応答解説を行いました。
空間作りに対して、幾何学的な見地から床面積に対する捉え方を近年手掛けた『台中メトロポリタンオペラハウス』や『多摩美術大学図書館』(八王子キャンパス)などのうねりのある床を例に挙げ、床という平面の捉え方に始まり、現行の建築法規が定める床や壁といった固定観念への挑戦、そしてその建築物の社会性や周辺環境との調和を考え、使う人たちの動きやコミュニケーションを妨げることがないような配慮を充分に行うことで、設計段階では疑問視されることはあっても、結果として明るく楽しく、かつ機能的な空間と秩序を提供することができる、との氏自身の経験を踏まえた考えを示しました。
次に、実際に建築物を施工する職人の仕事と施工精度や試算について、伊東氏は、まず試算は経験豊かな事務所ベテランスタッフが事前に「しっかりと試算をしている」こと、そして施工する職人たちに信頼を寄せている旨を語りました。国際的なプロジェクトに従事している中で、建築家として職人の施工精度に必要以上に「はまり込む」こと、日本の施工精度の質に「溺れてしまう」ことに対する危険性を指摘し、精度よりもひとつひとつの建築に新しい作品への展開と可能性を求めている、との考えを述べました。
最後に、新しい未知への素材への関心はあるか、との問いかけに対し、伊東氏は、未知なる新素材への探求よりも、既存のコンクリート・鉄・ガラスなどに依然として新しいデザインや空間作りに活かす研究の余地がある、との考えを示しました。特にコンクリートとスチール素材についてはその「見込み」が大いにあると述べ、そうした既存の素材をより活かすためコンピューターテクノロジーの発展と活用が「誰も思いつかない新しい空間」作りに繋がるだろう、との展望を述べました。
伊東氏の講演とその後の質疑応答を通して、氏の建築にはバランスという概念が根底にあり、建築が携わる様ざまな因子、環境、社会、文化、人間などに対し、柔軟に捉え、ひとつひとつの建築を通して経験則を深めていくこと、そしてその上で自由な発想、挑戦的な実行力を失わないことの重要性が改めて説かれました。それこそが「新しい秩序」をテーマに探求する建築家であり、研究者でもあり、そして表現者でもあり続けられるのだとの見解を示唆し、熱気冷めやらぬまま場内盛大な拍手の中閉演となりました。