第10回
1998年
音楽部門
Sofia Gubaidulina
ソフィア・グバイドゥーリナ
ロシアの新しい波を代表する女性作曲家。民族楽器を用いて新しい音を引き出すなど、古今東西の様式を融合させた音楽は“響の雲”と称され、深い精神性で注目をあびている。
1931年、タタール共和国(旧ソ連)のチストポリ生まれ。モンゴル系タタール人の父、ポーランドとユダヤ系ロシア人の母という家庭に育ち、幼少から宗教的なものに強い関心をもつ。5歳で初めてピアノの音を聴き、「音楽は世界の共通言語」と体感。以来、音楽一筋の人生を歩むことになる。モスクワ音楽院で作曲を学んだが、その自由な表現に対し、師ショスタコーヴィチから「あなたが(当局のいう)間違った道を進むことを望む」と励まされた挿話は有名である。卒業後は映画音楽の仕事の一方、作曲、即興演奏活動に入った。
85年頃からバイオリニストのギドン・クレーメルらが精力的に彼女の音楽を演奏。西側で高く評価され、多くの賞に輝いた。しかし、ロストロポーヴィチやシュニトケと同様、旧ソ連では多くの困難を味わい、92年、ドイツのハンブルグに移住した。
日本の琴を学び、琴とオーケストラのための作品「イン・ザ・シャドー・オブ・ザ・トゥリー」を99年、東京で初演した。
略歴
音楽史に登場する女性作曲家は本当に少ない。時代は進み、男の仕事だった作曲も20世紀後半にはだいぶ様相が変化した。しかし、現在も評価される女性作曲家は少なく、ソフィア・グバイドゥーリナの存在は希有である。会うと、シャイで控え目なこの女性のどこにこれほどの創作エネルギーが隠されているのかと思う。
グバイドゥーリナが旧ソ連の出身ということを知るとその驚きは増す。旧ソ連時代には西側に知られることはほとんどなく、評価を受けるようになったのは1985年、西側への旅行を許されるようになってからだ。日本では1990年、東京のサントリーホールでオーケストラ作品が演奏されて本格的に紹介された。
彼女は1931年、タタール共和国(旧ソ連)で生まれ、カザン音楽院、モスクワ音楽院で学んだ。「イデオロギーの前では男も女もなかった」という。旧ソ連の体制がグバイドゥーリナを育てたのは歴史の皮肉ともいえようか。それでも、共産政権と苦渋の妥協をしながら作曲活動を続けたショスタコーヴィチの例を引くまでもなく、旧ソ連での活動は多くの困難を伴った。西欧の前衛音楽は認められず、保守的な作品しか評価の対象にならなかった。1958年、卒業審査を受けもったショスタコーヴィチに「あなたが(当局のいう)間違った道を歩むことを望む」と励まされ、グバイドゥーリナは自らのヴィジョンを追究する決意をかためたという。
難さを象徴する活動が、友人の作曲家ヴィクトール・ススリンらと結成した民族楽器の即興演奏グループ「アストレイヤ」。彼らの楽譜が出版される見込みはないが、即興ならば当局の検閲をかいくぐることができる。ススリンは「閉じ込められた猫が出口を探す」ような活動と表現している。このグループはロシア、コーカサス、中央アジアなどの珍しい民族楽器を使い、前衛と大衆の音楽様式を融合させた。「アストレイヤ」でおこなった作業は、以後の彼女の音楽の大きな基盤となった。
グバイドゥーリナは「私は音楽を構築するというよりは、木が何度も枝を伸ばし葉や新芽を出すように音楽を耕す」と語る。「喜びと閃きは最初、色、動き、衝突に満ちたコードの垂直的サウンドのようだが、やがては完全に混じり合い雑然となる。私の仕事はその垂直のサウンドを水平のラインに仕立てることだ。垂直/水平のふたつのラインの交差、このことを考えて私は作曲する」。
現在、ドイツのハンブルク近郊に住むが、彼女はあくまでロシア人だという。共産主義体制が崩壊し、混乱の極みにあったロシアを脱出したのは、「パンを買うのに朝6時に起きて3時間並び、牛乳を買うのにさらに3時間。それでも手に入るかどうかわからない。私は現実から目をそらし、国を捨てたのではなく、ロシアの知性、文化を守るためにハンブルクで作曲する」と語っている。
タタール人の父親、スラブ人の母親のもとに生まれ、東西の「文化的衝突を肌で感じながら」育った。そして、33歳のとき、偶然に見たイコンから神の存在を確信し、ひそかにロシア正教に入信したという。彼女の作品の背景にはこのふたつが存在する。
音楽は宗教的な美しさと民族的な響きをもち、伝統的なクラシック音楽のように、きっちりとした構成感を感じさせない。宗教や人間の行為をシンボライズする特殊な楽器の組み合わせの作品が多い。チェロとオルガンのための『イン・クローチェ』(1979)、『綱の上の踊り手』(1993)はヴァイオリンとピアノの内部奏法が使われ、『シレンツィオ(静寂)』(1991)はヴァイオリン、チェロとバヤーン(ロシアの民族楽器でアコーディオンの一種)の曲で、内省的な音を20分以上も鳴らすバヤーンが印象的。『アレルヤ』(1990)はひとつの歌詞がさまざまにかたちを変えて30分以上響く。彼女は自分の音楽を「響きの雲」と称した。 1999年にはNHK交響楽団が委嘱した箏協奏曲『イン・ザ・シャドー・オブ・ザ・トゥリー』、そしてニューヨーク・フィルが委嘱した2台のヴィオラのための協奏曲が初演される。日本の17絃、琴、中国琴の3丁を使う箏協奏曲は4月、沢井一恵のソロ、シャルル・デュトワの指揮で、東京で世界初演されたあと、アメリカ・ツアーをおこなう。ニューヨークでは同じ日、やはりニューヨーク・フィルがヴィオラ協奏曲を公演、日米のオーケストラが競う。グバイドゥーリナの時代がはじまったようだ。
江原和雄
略歴 年表
八ヶ岳高原音楽会でバイオリンとチェロのためのソナタ 「喜び」、アコーディオン 「深き淵より」 が演奏される
主な作品
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アス トレイ ヤ・アンサンブル
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「イン・ザ・シャドー・オブ・トゥリー」の作曲スケッチ
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自宅にて
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自宅にて