ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウは、18歳でシューベルトの「冬の旅」を歌い始めて以来、恵まれた声、精密な発声法、豊かな表現力、音楽と歌詞への深い理解力などで、他の追随を許さない希有のバリトン歌手である。ドイツ歌曲に対する解釈、実践、理論、教育などへの貢献は世界的な評価を受けている。
舞台での活躍はもちろん、録音活動は他を圧し、指揮者のカラヤンと並ぶ存在ともいえる。シューベルト、シューマン、ブラームス、フーゴー・ヴォルフ、リヒャルト・シュトラウスなどの歌曲全集を手がけたが、これだけの規模は最初で唯一の声楽家だ。
指揮者としても活動した他、著述家としても1971年以来、数多くの音楽研究書を出版している。なかでもシューベルトやシューマンについての大著がよく知られ、声楽を学ぶ人の必読書となっている。今秋にはヴォルフに関する著書が刊行される。
60あまりの役柄をこなしたというオペラへの出演は82年に、声楽家としての活動も93年にそれぞれ終止符を打った。現在は、ピアノ伴奏付きの朗読会をドイツ各地で開くなど独自の活動を続け、ドイツ語の美しさ、ドイツ文化の深さを伝えている。声楽の教師として後進の指導にも熱心だ。画家としても世界各地で個展を開いたほどで、今も毎日のように絵筆を握る。
ワーグナーの庇護者でもあったバイエルン国王ルートヴィヒ2世が謎の死を遂げた場所として有名なミュンヘン郊外のシュタルンベルク湖。その湖畔に近い広大な別荘とベルリンの自宅とで、半々の生活を送っている。
「生まれ育ったベルリンという都市は、私にいつも強い影響を与えてくれますが、自分の研究のため、外界の影響を断ち切って集中できる場所が必要でした。集中することは芸術にとって最も重要なことです」
63年以来、何度も来日し、日本の声楽界にも非常に大きな影響を与えた。日本文化では特に「能」が好きだという。