チャールズ・コレア

Charles Correa

プロフィール

  第三世界を代表するインドの建築家。インド独特の宇宙観に基づいた作品など、その建築が主にインド国内に限られているにもかかわらず、世界的な注目をあつめている。
  1930年、ハイデラバードに生まれ、ボンベイ大学に学んだあと、ミシガン大学、マサチューセッツ工科大学大学院に留学、58年以来、ボンベイを本拠に活動している。都市計画家としてインド諸都市の環境危機解決に取り組むとともに、低価格集合住宅設計のパイオニアとなった。西洋の近代建築を学び、その手法に立ちながら、インドの気候風土、文化に適合した建築を模索、多くの公共建築で“空に向かって解放された空間”を提示してきた。
  またジャイプールの「ジャワハル美術館」(1968-92)など近年の作品は、インド古来の宇宙観・曼陀羅を基本として、超越的世界との交信を意図した、深い暗示に満ちたものとなっている。世界の開発途上国の都市計画のための合理的戦略を説いた著書もあり、知識人として国際的に重要な役割を演じてきた。

詳しく

  チャールズ・コレアは宗教や風土に根差した建築設計を手がけているインドを代表する建築家である。

  ジャイプールには彼の代表作のひとつ『ジャワハル美術館』(1986-92)がある。インドの初代首相ジャワハルラル・ネールを記念して建てられたもので、18世紀にこの地を治めた哲人マハラジャ、ジャイ・シンの都市計画と同様、曼陀羅をモティーフに9つの正方形を基本にしている。宇宙の概念を建築で表現したものだ。空に向かって開かれた中庭を中心に9つの正方形の部屋を配し、壁面の色彩や星の記号でそれぞれの部屋に意味をもたせている。ネールとジャイ・シンは、ともにインドの過去を技術、科学の未来と統合しようという決意をもっていた人であった。地元産の赤い砂岩が外壁に使われており、朝日を受けて赤く輝く姿は神々しい。
  コレアは、1930年、ハイデラバードに生まれボンベイで育った。1949年にアメリカに渡り、ミシガン大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)で建築を学んだ。リチャード・バックミンスター・フラーの思想とルイス・カーンの作品から大きな影響を受けたが、1955年、アメリカから帰国する直前、パリで工事中だったル・コルビュジエの『ジャウル邸』を見て倒れるほどのショックを受けた。「すべてのことを超えた新しい世界が開けた」と、インドに帰ってからル・コルビュジエのチャンディガールの議事堂や裁判所を見てまわる。1960年代半ばに建築家、都市計画家として地歩をかためたが、徐々にル・コルビュジエの影響から脱し、風土性を強く設計に打ち出していった。
  コレアの活動の重要な部分を占めてきたのが住宅の設計だが、その出発点になったのは、1962年にグジャラート住宅局のために開発した低価格住宅、『チューブ・ハウス』である。基本的な機能だけを備え、酷暑のインドの風土に合うよう通風や採光に十分な考慮を払ったものであった。この基本的アイディアは、多くの中産階級向けの住宅にも生かされている。アーメダバードに建てられた『ラムクリシュナ邸』(1964)や『パレク邸』(1968)がその例である。ボンベイに建てた28階の高層集合住宅『カンチャンジャンガ・アパートメンツ』(1980)も、各住戸は広いテラスを備え、東西に窓をとり、壁面の配置を工夫することによって、アラビア海から吹く自然の風が通り抜ける。『ジャワハル美術館』を見ても、自然の風が通り抜けるよう設計されている。
  「空に向かって解放された空間」(open-to-sky-space)もコレアの作品における重要なコンセプトだ。インドの気候や固有の生活スタイルに合った、大多数のための公共領域を設けるものである。ニューデリーにある『国立民芸博物館』(1990)は土壁やレンガを用いてかつての民家を再現した建物がいくつも集り、こうした解放された空間で結ばれている。『ジャワハル美術館』の中庭もこのような空間である。
  都市計画家としてのコレアは、1964-65年、ふたりの建築家と共同でボンベイ郊外の百万都市、ニュー・ボンベイの建設を提案、このほか多くの都市計画に携わった。
  「私は、その土地の気候風土を深く理解したところだけに建築をつくる」。こう語るコレアの思想は、ニュー・ボンベイで取り組んだ低所得者向けの『ベラプール住宅』にも表れている。1983年から86年までのあいだに、6ヘクタールに600戸の一戸建て住宅がつくられた。「基本的なものだけを備えた住宅だ。後は住む人たちが自由に変えていけばいい」
  また、数多くの公共建築もコレアの仕事のなかに大きな比重を占めている。ニューヨークの『国連常設インド代表部』(1985)、デリーの『ブリティッシュ・カウンシル』(1992)、そしてマディジャ・プラデシュ州政府の大きな総合ビル、通称『ヴィダン・バヴァン』(1980-96)などが代表作である。
  アジアの建築の進歩のためのアガ・カーン計画にずっと関与し、世界の低開発諸国の都市計画のための合理的戦略を説いた『ニュー・ランドスケープ』の著者でもあるコレアは、文化の面での外交官として国際的に重要な役割を果たしてきた。
  「インドには多くの路上生活者がいる。貧しい人たちのためにも設計を続けたい。それが私の建築家としての使命だ」。コレアは建築家であると同時に、思想家としての顔も併せもつ。

渋沢和彦

略歴


1930
9月1日、インド、ハイデラバードに生まれる

1949-53 ミシガン大学建築学科で学び、デトロイトのミノル・ヤマサキのもとで働く

1953-55 マサチューセッツ工科大学大学院建築修士課程

1962  マサチューセッツ工科大学客員教授

1964-65 ニューボンベイ構想のマスタープランを作成

1969-71 他の12人の各国の建築家とともにペルー政府と国連に招かれ、リマに
低価格住宅を設計

1972 インド大統領よりパドウマ・シュリー国家賞受賞

1974 タイム誌により、世界のニューリーダー150人の一人に選ばれる

1971-74 ニューボンベイ設計開発のため設立されたマハラシュトラ都市・産業開発機関の主任建築家に就任

1974 ロンドン大学客員教授

1975-76 国連人間居住会議事務局コンサルタント

1975-83 ボンベイ都市区域開発庁住宅都市再開発環境委員会議長

1975-89 マハラシュトラ都市・産業開発機関理事

1979
米国建築家協会名誉会員

1984  英国王立建築家協会(RIBA)ゴールドメダル

1985-86 ケンブリッジ大学客員教授(イギリス)

1985-88 インド政府都市化委員会主任にガンジー首相より任命される

1987 インド建築家協会(IIA)ゴールドメダル

1990
国際建築家連合(UIA)ゴールドメダル

1992 マサチューセッツ工科大学客員教授

1993
同済大学顧問教授(上海)。英国建築家協会名誉会員
米国芸術・科学アカデミー名誉会員

1994 高松宮殿下記念世界文化賞・建築部門受賞
2015 6月16日 インド西部ムンバイにて逝去

主な作品 1958-63 マハトマ・ガンジー記念館(アブメダバード、インド)
1968   パレク・ハウス(アーメダバード、インド)
1975-   国立民芸博物館
1978   タラ・グループ・ハウジング(ニューデリー、インド)
1980   カンチャンジャンガ・アパートメンツ(ボンベイ、インド)
1980-   ヴィドバン・ブハヴァン(ボパール、インド)
1986-91 ジャワハル美術館(ジャイプール、インド)
1986-92 ブリティッシュ・カウンシル(デリー、インド)
1988-92 プーナ大学天文学・天体物理センター(プーナ、インド)


インド大統領よりパドウマ・シュリー国家賞受賞