第25回
2013年
建築部門
David Chipperfield
デイヴィッド ・ チッパーフィールド
建築の場所と対話し、歴史、文化など土地の「文脈」を機能的な現代建築に融合する。優美で静かな表現の中に、本質的な価値が光る設計で国際的に活躍するイギリスの建築家。ロンドンはじめベルリン、ミラノ、上海に事務所を置き、商業施設の内装から大規模な公共建築まで幅広く手掛ける。2009年には、12年をかけたベルリン『ノイエス・ムゼウム(新博物館)』の修復プロジェクトが完成。廃墟同然だった19世紀半ばの歴史的建造物に新たな命を吹き込み、欧州連合現代最優秀建築賞に輝くなど、その手法は世界的に評価された。1980年代後半に日本で建築活動を開始、京都、岡山などに建築物を残しており、特に「借景」の概念など日本の文化や建築から受けた影響は大きい。最近のプロジェクトでは、2011年のイギリスの美術館『ヘップワース・ウェイクフィールド』と『ターナー・コンテンポラリー』、2013年のアメリカの『セントルイス美術館東館』などがある。
略歴
建物が建てられる土地には、歴史、文化、人々の記憶、環境など、土地の「文脈」ともいうべきものが横たわっている。その文脈を丁寧にすくい上げ、機能的な現代建築に織り込む。静かで優美な外観に本質的な価値が宿るデザインで、グローバルに活躍するイギリスの建築家だ。
イギリスでの初プロジェクト『川と漕艇の博物館』(1997)では、展示空間を切妻のような傾斜屋根で覆った。これは、地元のテムズ川沿いの古いボート倉庫などに触発されて生まれた形。地域の精神性と景観を現代建築に融合した同館の建築は国際的な評価を得た。
建築家としての歩みは1980年代、日本でのビル建築からスタートしている。その頃まで建築界では機能主義的な近代建築に否定的な見方が強まり、古典的な意匠を持つポストモダニズムの建築が台頭していた。しかし、日本では安藤忠雄らの建築家が、土地の歴史や文化に配慮した近代的な建築を実現していた。『川と漕艇の博物館』で、伝統的な形を採用した現代建築を造ったのは「日本での経験に影響された」と言う。多くのデザインに「借景」を利用しているのも、日本文化への深い関心を示している。
ロンドンに生まれ、1977年に英国の名門建築学校、AAスクールを卒業。フランスの『ポンピドゥー・センター』などを設計したリチャード・ロジャースらの建築事務所に勤務後、1984年にロンドンでデイヴィッド・チッパーフィールド・アーキテクツを設立した。現在はベルリン、ミラノ、上海にも事務所を置き、商業施設のインテリアから公共建築まで世界中でプロジェクトを手掛けている。
近年は大型プロジェクトが相次ぎ、筆頭が2009年に完成した、ドイツ・ベルリンの世界遺産「博物館島」にある『ノイエス・ムゼウム(新博物館)』の改修。ベルリンは2度の大戦と東西分断という歴史の悲惨に遭い、19世紀に建った新博物館も戦災で廃虚同然だった。市民の記憶に向き合いつつ、歴史的建造物に現代建築で新たな命を吹き込んだ手法は世界的に称賛された。
他にも、スペインの『アメリカスカップ・メインビル』(2006)、イギリスの彫刻家、バーバラ・ヘップワースの作品を収めた美術館『ヘップワース・ウエイクフィールド』(2011)、アメリカの『セントルイス美術館東館』(2013)など、世界を股に掛けて建築の冒険を展開している。
略歴 年表
現代建築専門のギャラリー「9H gallery」を設立
『ヘップワース・ウェイクフィールド』(イギリス・ウェストヨークシャー)
『ターナー・コンテンポラリー』(イギリス・ケント)
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ロンドンの事務所にて
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『アメリカスカップ・メインビル』
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『近代文学館』
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『ノイエス・ムゼウム(新博物館)』
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『ヘップワース・ウェイクフィールド』
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『ターナー・コンテンポラリー』
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『セントルイス美術館東館』
講演会
デイヴィッド・チッパーフィールド 建築を語る
デイヴィッド・チッパーフィールド 建築を語る
10月17日(木)16:00‐17:30 鹿島KIビル
主催:公益財団法人 日本美術協会
後援:一般社団法人 日本建築学会、公益社団法人 日本建築家協会、社団法人 日本建築美術工芸協会
10月17日午後、建築家デイヴィッド・チッパーフィールド氏の受賞記念講演会が東京・赤坂の鹿島KIビルで開催され、建築関係者や学生などの聴衆を前に、建築にかける情熱や日本での建築プロジェクトの経験を語りました。
デイヴィッド・チッパーフィールド:ご紹介ありがとうございました。デイヴィッド・チッパーフィールド:ご紹介ありがとうございました。私の家族のほうが拍手が大きかったので、人気があるようですね。最初に、世界文化賞を受賞するという栄誉を得たことを、とても誇りに思います。そして、授賞式式典やその他のさまざまな経験は私にとって大変感銘を受けるものでありました。思えば私のキャリアの始まりは、ここ日本で三宅一生氏のプロジェクトを手掛けたことでした。当時の私はまだ若い建築家として走り出したばかりでしたけれども、日本でプロジェクトに携る機会をいただき、たくさんのことを学ばせていただいたのです。ですから、世界文化賞の受賞と日本での経歴を重ね合わせるように思い返し、とりわけ感慨深い思いで受賞させていただきました。
それでは、できるだけ簡単にいろいろと私の作品を次々とお見せします。まずは全体像というものを見ていただいて、その構造において、どのようなアイディアが私のモチベーションとなっているかを理解していただければと願います。
最初に申し上げたいことは、われわれ建築家はアーティストではないということです。われわれはいわゆるプロダクションの過程の中にいるものであります。時には芸術家とクライエントとの間に挟まれながら仕事をするので、居心地の悪い立場に置かれる時もあるのです。しかし専門家たるもの、クライエントの芸術的・実践的なニーズを満たす責任があるわけです。とはいえわれわれ建築家が手掛けることは、単なる建物を越えるものであると確信しています。一番大切な事は定義付をすることです。単に建築物を作る以外に、われわれが建築家として何をすべきで、何ができるのかということを問うことが大切です。
しかしながら、逆説的に聞こえるかもしれませんが、世界で建築物が増えれば増えるほど、そして都市を開発すればするほど、それに反比例して個々の建築物というものの意味が薄れてきていると感じています。こちらのメキシコシティの画像をご覧ください。世界中どこの都市とも変わらないように見えるのではないでしょうか。仮に20ぐらいの異なった都市を見ていただいても、どれがどれだか分からなくて、区別するのが難しいかもしれません。いわゆるニューシティというものは、個々のさまざまなビルによって形成されているといっても過言ではありません。ビルは投資の賜物であり、計画や行政による都市開発の量的な調整のもとに作られます。しかしながら、本来都市があるべき姿が見失われているように感じるのは、これだけのものすごい勢いで開発が進んでいるからではないでしょうか。またその中で、エネルギーや努力というものが、公共のために本当に価値のある思想を反映しているといえるでしょうか。
こちらの画像は、イタリアはヴェネツィアにあるサン・マルコ寺院の広場です。少し感傷的な場所ともいえますが、何百人もの人たちがここで集う広場なのです。この道や空間には、価値やアイデンティティがあり、社会にとって重要な思想というものを象徴しています。都市というものは、単に一つ一つの単独の建物が集まっているだけではなく、集合体としてのアイディアや熱望というものを表さなくてはなりません。しかし残念なことに、今日ではそれがどんどん難しくなっています。そこで、このような課題を解決するためには、建築家の綿密な計画が重要となってきます。その過程では、建築家として妥協を余儀なくされる場面もあり、葛藤を感じながら計画を進めていったりもします。われわれ建築家がどんなに一生懸命計画をしても、巨大で支配的な思想の中では、自らの理想や努力がなかなか反映されないこともあるのです。
このプロジェクトを見てください。『カウフハウス・チロル』は私たちが完成させたショッピングモールです。オーストリアのインズブルグにあり、非常によく保存された歴史的な市の中心部です。ここで扱ったのは大型の建築物ですが、これは非常に成功したもののひとつとなりました。しっかりと保存された条件の中で、大規模な建築の開発を行う一方、保護することを共存させることができた事例なのです。また、都市がエキサイティングで面白く、かつ重要とされるものになるには、都市の複雑さや有機的なレイヤーといった要素が重要となってきます。しかしながら今日の都市は、残念ながらこうしたことに価値を持たなくなっています。また、開発をするのであれば同時に保護も行い、バランスを取らなくてはなりません。そういった意味では、このプロジェクトは非常にうまく調和が取れています。歴史、継続性、そして記憶といった要素は非常に重要です。そして今や自由という名の下に現代社会を生きる時、こうした事柄を謙虚に尊重するということを忘れてはいけないと思います。われわれが建築を建造する際、過去に培われてきたものを享受し、そのクオリティを強調していく必要があります。
『ナガ博物館』
さて、文脈というものは非常に重要です。文脈というものは、ヨーロッパの都市の構造の中であれば、より容易に理解できるかもしれません。しかしながら、必ずしもそれが都市構造に反映されているとはいえません。次に皆さんにご紹介するのは、北スーダンのナガという都市にある『ナガ博物館』です。小さな考古学博物館でが、同時に発掘された財宝を守る役割も果たしています。なぜこちらをお見せするかといいますと、われわれ建築家には建築のアイディアを生み出すという責任がありますが、このように何もないスーダンの砂漠のど真ん中に、ゼロからの状態で発想を生み出すのは決して容易なことではありませんでした。周囲に都市らしいものはなく、あったとしてもせいぜい3000年程前の都市の残骸だけでした。では、こうした文脈の中ではどのように建築の形状を捻出していったらよいのでしょうか?まずこのプロジェクトが行ったのは、古代の建築の思想に立ち戻って考えることでした。そして、建築をできる限り最小限に、つまり壁と柱と屋根だけというところまでそぎ落としていくことでした。砂漠は非常に過酷な環境なので、建物に窓が付けられない上、砂と強風に耐えられるように建物を固定しなければなりません。このプロジェクトから私は、建築学的な初心に立ち戻り、基本的な良い建築とは何かということを考えることを学びました。また、砂漠という土地の歴史と文脈を踏まえて、パロディや模倣などといった方向には走らないように気を付けました。
またこのプロジェクトは、その砂漠にある素材をもとに作ることにもこだわっています。つまり、コンクリートをその地元の素材から作ることで、非常に重要な質が生まれるのです。また、建物をこれ以上削ぎ落としようのない状態まで削ぎ落とすという、私たちが常に追求している、ある種の願望を反映させたプロジェクトと言えます。
『イッセイミヤケ ショールーム』
前にも述べましたが、私は日本でキャリアをスタートしました。それ以来私は、日本に対して恩を感じています。三宅一生氏に日本に呼んでいただいたの が1985年ですが、その後も日本で何度も仕事をしています。初めての建築物として三宅氏のショールームを京都に完成させるにあたり、ヨーロッパから来て 私がまず驚いたことがありました。それは、日本の都市には都市構造が欠けているということです。言い換えると、町や都市そのものが非常に自由に存在すると いうことです。イギリスには必ずしも存在しないような、莫大な自由度が、日本の都市にはあると思ったのです。そしてどんな外観の建物にするのかということ についても、かなりの自由度がありました。これは私にとってはとても驚くべきことだったのです。自分自身の文化の外に出て、イギリスの建築家として京都で 仕事をするという中で、京都が都市としてどのような文脈があるかを理解しようとに努めました。京都には、建築物の高さの制限はあったものの、それ以外は 色々なことが可能でした。
また、京都では安藤忠雄先生にも助けていただきました。安藤先生は、その知的な面でのインスピレーションを私に与えてくださっただけではありませ ん。安藤先生は非常に現代的な建築家でありながら、日本建築の伝統や歴史というものを重んじる方でした。私は先生の考え方こそとても重要だと思い、自分の 考えにも取り入れるようにしました。さらに、内なるものと外をつないだり、それらを逆転させたりするという日本の建築の手法も取り入れました。ヨーロッパ の建築思想では、道というものが外にあり、そことの建物の関係性というものを見るわけで、外と内を明確に分けます。しかし、日本建築の思想にならい、従来 の欧米的な考え方だけではないものも取り入れることにしました。これは私にとっては非常に興味深く、大きな学びでした。
日本という文脈の中でどのように自分の建築を正当化していくのか。必ずしも直接的に都市的、物理的にということではなく、もっと一般的な意味でいかに自分の建物を主張させるのかという点に、私は心を砕きました。この経験は私のその後の作品すべてに影響を与えています。
ある意味で、この建物には二つの側面があると思うのです。一つめは、伝統的な日本建築の思想を守っているということです。そもそも、その伝統的な考 え方というものは、中を見て建物の中に空間を作ると同時に、建物の外の空間を作ること、すなわち内と外の境界が曖昧であるということです。これは建築学的 な「遊び」としても非常に強力ですし、豊かな可能性を持つものだと感じました。もう一つの側面としては、文脈との関係性です。例えば、この建物の屋上にた どり着きますと、京都を囲む美しい山々を見渡すことができます。低層では外が見えませんが、屋上では広々と景色が見えるのです。
更に、この建築からは二つの教訓を学び取ることができます。一つは、その日本の建築学的な学びであり、もう一つは、どのようにして建築に意味を与え ていくのかという教訓でした。この教訓は、日本という異なる文化圏にいたという事実によってもより強く感じられ、ひときわ苦労したものです。こうした経験 はとても実りあるもので、ヨーロッパに戻った時にも非常に役に立ちました。そして、建物を必ずしも屋外・屋内と分けるのではなく、屋外の空間にも建築の文 脈を広げ、内包していくという日本流の考え方を取り入れることができました。
『川と漕艇の博物館』
私が日本で学んだ自由な建築形態というものは、現在でもなおヨーロッパの文化的な期待や要求に逆らうものです。特に、非常に保守的なムードが漂って いた1980年代当時ではなおさらのことです。当時のイギリスではモダン建築は非難され、非常に厳しい時を迎えていました。さて、こちらは『川と漕艇の博 物館』です。私は博物館建築のコンペで勝ったわけなのですが、そこはヘンリー・オン・テムズというとても美しい川沿いの地域である傍ら、非常に保守的な土 地柄でした。建築は伝統的なものこそが良く、美しいととらえる人々が多く、近代建築など受け入れられる兆しはありませんでした。のびのびと建築をデザイン できた日本での経験の後、私が直面したのは、外見にこだわり、外見によって判断をするコミュニティだったのです。とはいっても、こうした外見的なこだわり は、必ずしも完全に不公平なものでないのだと、改めて考えさせられたのも事実です。地元の人々にとって建築とは、彼らが慣れ親しんだものや記憶によって意 味付けされているため、現代建築が独り歩きをしてはいけないのです。モダニストのマニフェストとは、既存のものを廃止し、実験を繰り返しながら社会に新た な改革をもたらすことであります。ですから、親近感や慣れ親しんだものというのは、これとは対局にあるものの、必ずしもまったくネガティブなものではない ということに気がつきました。私はこうした親近感から共感できるものを見つけ出そうとしましたが、親近感とは必ずしも建築のシルエットといった特徴だけで なく、建築方法など他の要素自体にあったのではないかと思えます。それから20年経った現在、そこから10キロメートルほど離れた、同じく保守的な場所 で、私は家を建てています。一階建てのイギリス伝統のカントリーハウスは、柱の使い方に親近感を持たせておりますが、こうした伝統建築は景観に向かって外 向きであり、日本の内向きの家とは対照的です。この回廊に用いた大きな柱は、古典的な見た目において親しみやすさをもっていますし、資材にレンガを用いた のも重要です。ここで用いた柱は、京都の中庭のように建築の延長線上を越え、空間を取り囲む以上のものをつくりだすのです。
- 『ナガ美術館』
- 『ナガ美術館』 模型
さて、この建築手法が再度登場するのが、今度はこちら、ドイツのマールバッハにある『近代文学館』です。ここマールバッハは、フリードリヒ・シラー 生誕の地でもありますが、このプロジェクトでは、ここを公共の学術機関として増築するという目的がありました。文学館は研究者や利用者を呼び込み、常に魅 力的な場所でなくてはなりません。しかし、文学館が保有する資料には、正直なところ、個人的にわくわくするものばかりではありません。ですから、ここが人 気のある場所になるためには、建築自体に面白みを持たせる必要があるのです。そして、この増築は単なるプロジェクトの域を超えて、空間の配置に意味を持た せることが非常に重要でありました。もう少しこの点についてお話ししますと、建築家はクライエントからプロジェクトの条件を提示されるわけです。そしてク ライエントは、このプロジェクトでは何平米の土地が必要で、こういう風に施行すべきだ、というような先入観を持っています。建築家としては、こうした先入 観に疑問を投げかけ、解釈をするといった余地があるのです。そして提案するときに着目するのは、建物はどんな機能を持ち、それからどのような外観にすべき か、という関係性です。例えば、建物の機能を明確に説明したり、建物の責任やアイディアを挙げていくとします。では、住宅には一体どのような機能があるで しょうか?家は住民を保護するだけではありません。その表現方法や居心地の良さといった抽象的な視点から見れば、単に機能的というより、もっと多様な観点 があるのです。
『アメリカスカップ・メインビル』
次にご紹介する建物も、建築の機能よりも目的を重視して考案されたものです。こちらは、バレンシアで行われたヨットレースのための建物『アメリカス カップ・メインビル』です。この時代、確か2008年以前では、規定の大きさの建物はVIPのためのものであったのですが、バレンシア市は海に向けて町を 拡張しており、アメリカスカップという一大イベントも手伝ってか、この建物を拡張のシンボルにしたかったのです。ですからこの場合、機能的な点においては 曖昧でして、ひょっとすると建物の象徴的な性質の方が大切であったのかもしれません。しかし私は、ただのハコモノ建築は必要ないと訴えたわけです。実際の ところ、観客は室内にいるよりも、屋外のバルコニーにいた方がイベントをもっと楽しめるのです。したがって、クライエントが要求したような閉鎖的な空間を 覆していったのですが、これは建築的にも根本的な行いだったと言えます。つまり、建築における革新の問題だけではなく、定められた要求の中でいかに解釈を し、いかに可能性を最大化していくということなのです。このVIPのためのビルにバルコニーを作る設計では、二階分あるVIP専用フロアを一般の人も通り 抜けられる設計にしました。こうすることで、この建物がエクスクルーシヴな空間価値を保っているにもかかわらず、たくさんの一般人が同じ建物を通り抜ける ことができるのです。これは、私たちの意思を貫いたから可能になったことなのです。
『BBC パシフィック・クエイ』
ここでもう一つ、機能の変化という点で事例をご紹介します。『BBC パシフィック・クエイ』は、スコットランドにあるBBCの本部ビルです。ここではラジオ番組が作られているということもあり、番組の準備やリサーチが合同 して行われる工場のような場所とも言えます。一方で、プログラム制作を行うスタジオなどの技術的な設備も持ち合わせています。しかしながら、こうしたオ フィス空間と技術的な空間は完全に別の建物で、二つの異なる活動がされるものであると思っているクライエントも少なくありません。そこで私は、こうした固 定観念を覆すべく、異質の空間を一緒にすることを思いつきました。そうすれば、その空間は社内でも社交的かつ公共な場所となり、番組を準備する人と、実際 に作る人の関係がより綿密になると考えたのです。こうしたプラットフォームを設けるためには、机の並んだオフィス空間を削り、代わりにその場所を交流ス ペースとしてあてる必要性を、クライエントに説得する必要がありました。そして入り口ですが、階段を上ると個々の机に到着するようになっています。一般的 には、スコットランドの人は誰も階段など使わず、いつもエレベーターを使うと思われがちですが、実際にはその逆で、皆が自分のオフィスまで階段で上がって いったのです。また、最上階のレストランには社交の場としての側面があります。しかし、クライアントはかなり慎重でした。クライエントは当初、人々がこう した機能を実際に利用するのかということに納得がいかないようでしたが、今やこの空間は建物の象徴ともいえる存在です。この社交的な空間には皆が交流しに 来ますし、金曜にはここでパーティーだって開かれますし、講義をするのにも使われます。したがって、ここはもはや村の広場のような空間になったと言えます。
このようにして、空間のあり方について追求したプロジェクトの数々には、社会的な側面があると思うのです。こうしたアイディアは、私が最初に申しま したことにも関係していますし、社会的空間を作ることにおいて、私たちがいかに不十分にやっていたかを考えさせられます。そして現在では、美術館や博物館 などの施設が社会的な場を提供する役目を果たしているように思います。
『ムセオ・フメックス』
こちらの『ムセオ・フメックス』は、現在われわれがメキシコシティに建設している博物館です。上部二階がギャラリーになっており、下部の二階が公共 スペースとなっています。一番下の部分は抜けており、公共スペースが建物の下にまで伸び、床がバルコニーとロッジに開けています。完成は間近で、来月には オープンする予定です。これは個人の建物ではありますが、広場と屋外のカフェもあるので、公共にも開かれています。メキシコの気候は素晴らしく快適で、暑 すぎず寒すぎることもありません。ですから、カフェやチケットデスクも外に出ています。内からも外からも人びとを誘い込むような構造になっていますが、お そらく重要なのは外から内へのアプローチでしょう。建物の機能性を中心として加える試み、つまり、集団的・社会的なアイディアをもう一つの次元として加え る試みがあります。と言いますのも、われわれは常に他人から見られているようなものですから、人々が集まって社交的行動を促していく場は重要なのです。し かし、そうした場を提供するのはますます難しくなっていると言えます。
『ターナー・コンテンポラリー』
こちらはマーゲートにある小さな美術館『ターナー・コンテンポラリー』です。マーゲートは海に面しているとても美しい地域ですが、経済的に厳しい状 況にあったため、美術館の建設には地域活性化の目的もありました。ここには、かつてジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが訪れて、北の海から降り注 ぐ美しい光を描写していたとも言われています。私たちの建物には、この海の景観と北からの光を利用しているため、質素な美術館でありながら、部屋の配置は非常に実用的なものとなっています。全体 的に、個々の部屋にはフォルムがあり、それぞれがアーティストのスタジオのようになっています。ですから、さながらさっきまでアーティストがその空間で作 業をしていて、その後ランチにでも出かけたような空気が伝わってくるのです。スペースの使い方も柔軟ですし、なにか手に取って感じられるような雰囲気を醸し出しています。
『セントルイス美術館東館』
これはちょうど完成したばかりの、アメリカ、ミズーリ州の『セントルイス美術館東館』です。工芸と技術に置いては一番保守的と言われるアメリカの建築業界のもとで作業をしたとはいえ、非常に美しいコンクリート製の天井に仕上げることができたのです。
- 『近代文学館』
- 『ムセオ・フメックス(フメックス美術館)』
- 『ヘップワース・ウェイクフィールド』
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『セントルイス美術館東館』
次にご紹介するのは、『アンカレジ歴史芸術博物館 ラスムソン・センター』です。アラスカでは、現地で手に入る素材に限りがありました。自然の素材で手に入るものがなく、木材以外は全て外から持ち込みました。私たちはガラス製の建築を作ったわけですが、コンクリートや石製の素材とは異なり、ガラスで建物に物質製を与えるというのはまた別の話になります。
『デモイン公共図書館』
こちらはアイオワ州デモインにある『デモイン公共図書館』です。私たちは照明の使用に節約があったため、このガラスはメッシュになっていて、実体的なクオリティが醸し出されるようにしました。
『フォルクヴァンク美術館』
続いては、ドイツのエッセンにある『フォルクヴァンク美術館』です。素材に用いたリサイクルのガラスはほとんど石のように見えますが、非常にお金の かかるプロジェクトでした。これとは対照的に、スペインのマドリッドに建てたこの家は、低価格で仕上げることができました。素材として用いた軽量のコンク リートパネルは、4つの色と大きさに分かれており、これを混在させて用いることで高品質な感じを出しています。
『アモーレパシフィック 本社ビル』
こちらは韓国ソウルにある、とある企業の本社ビルです。アルミ製のフィンを使うことで、透明感と同時にしっかりした感じも出しています。
『HEC経営大学院 校舎』
そして最後にご紹介したいのが、このパリ郊外にあるビジネススクールです。これもまた非常に限られた予算のプロジェクトでした。このファサードは事前に加工された素材を用いたにも関わらず、とても強い存在感を放っています。
さて次が最後のトピックとなりますが、すみません、なるべく簡潔にお話しいたします。最後にお伝えしたかったのは、歴史と記憶についてです。これま でお話ししてきたのは、はじめに建築の社会的側面、次に建築上のフォームと空間、そして建築の物質的な素材についてです。そこでもう一つ付け加えたいの が、建築の歴史と記憶についてです。
こちらはドイツのライプツィヒにある噴水で、これまで手がけたものでおそらく一番小さなプロジェクトとなります。非常に精密かつ単純でありながら、建築的文脈にも応じるように計算し尽くされ、美しく建てられたもので、私自身とても気に入っています。
このような歴史のある場所での建築プロジェクトに数多く携わってきましたが、スペインのテルエルでは、この歴史的な町へのアクセスを考えたもので、 噴水のようなプロジェクトを行いました。他にはもっと商業的なものもあります。われわれはドイツのベルリンにある古い学校を改築して出版社にしたのです が、歴史的部分を保護しながら、新しい建築要素を取り込んで作りました。
『外灘プロジェクト』
更に、こうした歴史的文脈での建築で最もやりがいがあったのは中国の『外灘プロジェクト』です。こちらは上海の外灘で、川沿いにある11ものビルを 修復したプロジェクトです。中国では古い建物を破壊し、すぐに新しいビルを建設する傾向があるので、建物の保護についてはとりわけ難しい課題となりまし た。ですから、古い建物を壊してしまう代わりに補修してはどうかという意見を出したのです。こちら左に見えますのは前から存在しているビルでして、右にあ るものが今回のビルです。見分けをつけるのが難しいのですが、とにかくこうした非常に商業的な環境で主張を通すのは難しかったのです。それでもなお、この 建物を補修したことは後々とてもよい評価を受け、地元の建設に対する保護の考え・態度にも変化が見られるようになりました。
『スフォルツェスコ城博物館』
こちらの『スフォルツェスコ城博物館』もまた類似したものですが、イタリアはミラノのカステロにある博物館です。もともと戦時中に要塞として使われていたこの城塞を博物館へと変え、歴史的なものを新しいものへと命を吹き込んだ一例です。
『ノイエス・ムゼウム(新博物館)』
では次に、これで本当に最後になりますが、ドイツのベルリンにある『ノイエス・ムゼウム(新博物館)』についてご紹介します。こちらにあるのはシン ケルのアルテス博物館、いわゆる旧美術館ですが、ここにベルリン王宮が再建されます。ウンター・デン・リンデンがこちらで、ブランデンブルグ門がありま す。ですからここはベルリンの中心部となり、「博物館島」と呼ばれる地区です。現在の旧博物館を、戦前の状態と比べてみてください。戦後1950年代のも のでは、戦前にあったウィングが失われ、中心の庭園と階段が爆破されたため、廃墟も同然でした。しかしながら、ポンペイ遺跡のように、破壊された中にも無 傷で残っていた素晴らしい破片を見つけることができたのです。こちらに見えるコラムは保護され、片付けられていました。シンケルの建物の裏は、南東の角の 部分は完全に破壊されており、他にも至る所に傷跡を見ることができます。
わたしたちはこのコンペに勝ったのですが、建築のアイディアとしては、建物を後ろにやり、考古学的なオブジェクトとすることでした。古代ギリシャの 花瓶やローマの彫刻のように、模倣品は作らず、あえて補修によって傷を目立たなくすることで、完全なものへと仕上げるように挑戦しました。作業過程を見て いただきたいのですが、こちらの部屋は枠組みを安全に固定し、枠組みに使うコラムも安全テスト済みです。そして、われわれはドームを再建し、壁を新しくす るところから修復を始めました。徐々に施工が進み、完成は304年後に近づいております。私たちは他のものをコピーすることなく、破片をきれいにしなが ら 補修を続けながら作業を進めています。最終的な部屋の完成にあたり、空調も取り付けましたし、この部屋のスピリットが生き続けているような気さえします。
このプロジェクトで一番物議の中心になったのは、階段の部分です。こちらが原型のプロムナードの階段ですが、ベルリンでも最高の公共の部屋と称され ていました。しかし、戦後の姿は無に近く、本当に何も残っていない状態でした。この原型の階段を再現しようか、どうするか、一年間掛けて考えました。ソフ トな補修、いわゆる「ソフト・リストレーション」とよばれる技術があるのですが、それでもやはり模倣にならないように注意を払う必要がありました。コン ピューターのイメージを用いましたが、屋根も残っていないほど破壊された建物がご覧いただけます。こちらの壁は、特徴を捉えながら補修されました。建物は 徐々に新たな次元が加わりながら発展しています。欠けている部屋は、歴史的な部分の設計にならい、同じ比率で模倣のないように作っています。あるがままの ダメージを受け入れながら、表面はあたかも新しくデザインされたように補修してあります。コラージュのように新しいものと古い要素を混在させ、異なる層を 取り入れた空間もあります。こうした中にはすぐに理解するのが難しいアイディアも込められていますが、それは教訓というより、そのまま文字通り、見たまま に解釈するものではないということです。歴史の層がもつ質を理解すれば、それが一体となって建物が構築されている様子も分かりますし、傷跡が保護・修復さ れ新しいものとして成り立つということがお分かりになると思います。
『ジェームス・サイモン・ギャラリー』
最後にですが、われわれは現在このノイエス博物館の新しい入り口として『ジェームス・サイモン・ギャラリー』を建築しています。年間400万人もの 人が訪れる、大規模な観光地である「博物館島」の入り口にあり、人びとが集う場所として建てています。なかでも大きな規模のペルガモン博物館もあります し、この新築のギャラリーは入り口の受付的な役割をもっています。特に、ミュージアム・アイランドの他の建築にはないような要素を取り入れるのですが、例 えば講義堂でしたり、一時的な特別展を催すことができる会場、カフェテリアや書店などです。シンケルの博物館の隣、メッセル・ペルガモン博物館に連なるよ うに位置し、ドイツというよりはベルリンで最も歴史的なコンテキストにある建築だと思います。ミュージアム・アイランドにはコロナードが伸びており、シン ケルのポルティコや、ナショナル・ギャラリーのポルティコ、そしてわれわれのコロナードがその周りに伸びています。こちらに伸びている新しいコロナードで すが、ある意味ポルティコのようでもあります。ですから、私たちは歴史からアイディアを「拝借」し、新しいコロナードやポルティコ、そして階段を建ててい るのです。建物はコラージュのように、島に親近性のある要素のなかに溶け込み、歴史的な景観を作り上げています。川に向かうポディアムに加えて、コロナー ドの上にそびえる寺院のような建築として、歴史的な風景を完成させているのです。
このプログラムは、講堂やギャラリーといった機能的な要素によって、人びとが出会う公共の空間という意味合いを持ったものになりました。完成まであ と二年はかかると思いますが、こちらにある穴のようなものがコロナードの周辺を通っており、『ノイエス・ムゼウム(新博物館)』をつなぐ役割を果たしま す。建物の機能はとても複雑ですが、目的としては興味深いものとなっています。また、この建物は非常にモダニズム色の強い建築でありながら、地理的な文脈 にも適しており、調和を体現している建築とも言えるのです。
ですから、こちらの建物のエピソードで話を結ぶことができて、とても嬉しく思います。地理的な特色を巧みに利用しながら、地形や水回りに配慮し、歴 史的な文脈に適合しつつ、コンクリート素材が建築に美しさを与えています。そうした意味では、今まで私がお話しした中で登場した、全ての建築要素が詰まっ た建物だと言えます。それは建築の社会的な役割であったり、集団的で公共に開けた空間であったり、物質的にも歴史的な文脈にも合致することなどです。ご清 聴ありがとうございました。
- 『デモイン公共図書館』
- 『ノイエス・ムゼウム(新博物館)』
私がチッパーフィールド氏にお尋ねしたいのは、こうしたアイディアはどこから生み出されるのかということです。こうしたコンセプトの起源となるものは何でしょうか?チッパーフィールド:講義でも申し上げましたが、イギリス人である私が京都で最初にキャリアを始めたことで、気づかされた学びがたくさんありました。海外で仕事をすることによって思考が活性化しますし、私がここで何ができて、どんな機会があって、他の場所にはないチャンスは何であるかを考えさせられます。よくあるのは、例えばメキシコの気候についてですとか、物理的・地理的な状況について、あるいは都市的な文脈について考えることです。私の関心は、建物に自動的な質を見いだしながら、こうしたバランスをとることです。自立的と依存的な質といいますか、両者のバランスが場所的と歴史的な側面において均衡ならば、面白いといえます。しかし、もちろん歴史的な側面においては、単に模倣することは避けたいので、バランスをとるのは難しくなります。私たちは近代建築を創造しているということが大切なのですから。
馬場:ありがとうございます。あなたは歴史に基礎を定めると同時に、現代的そしてモダンであります。あなたの建築を見ると分かりますが、それぞれの建築が異なっているのです。状況によって建築のデザインを変化させることもある一方、常に「チッパーフィールド的」であるのは、非常に高い質を保ち続けているからだと思います。チッパーフィールド氏は伝統に重きを置いていると思いますが、それを非常にモダンに変化させるのです。どのようにしてそうしたデザインができるのでしょうか?そのデザインの背景にあるものは、いったい何でしょうか?
チッパーフィールド:あなたがおっしゃったように、それぞれ状況が違うということもありますし、常にアイディアを繰り返しています。同時に、それぞれのプロジェクトにおいて新しい機会を見つけることが重要なのです。かつてルイ・カーンが「われわれは建物が如何にあるべきかを判断しなくてはならない。この建物は、いったい何になるべきなのだろうか?」と言ったことがありましたが、これは毎回、実に全てのプロジェクトで私たちが投げかける質問なのです。「この建物は何になり得るのか?このベルリンの建物はどうだろうか?日本の建物はどうだろうか?」と言った具合です。
馬場:ありがとうございました。それは非常に重要なポイントだと思います。1950年以降は現代建築が発達した時代でしたが、古い建築の構造を無視してきたのもまた事実です。あなたの建築は現代にフィットし、時代と社会に適したものです。さきほどのルイ・カーンの引用からも分かりますが、建築の伝統的な面を現代的なものに包括しており、それこそが本当の意味でのモダニズムと言えるのではないでしょうか。表面的で薄っぺらなモダニストではなく、真の意味で、社会に何が必要かを考えることがそうです。それはチッパーフィールド氏が実践していることそのもので、建築にその全てが具現化されています。
われわれが建築を勉強し始めた頃は、完全に真新しいものを作るようにと学びました。しかし今では、枠組みは保ちつつ、内部を変化させるようにと主張しています。ですから今の若い世代は、それとはまったく異なる時代に生きているのであり、いずれ彼らも歴史上の違いを理解・認識し始めるでしょう。若い世代の建築家についてはどう思われますか?
チッパーフィールド:明らかにですが、モダニズムが革新を過剰に押し出したというあなたの発言は、実に正しいと言えます。革新が誠実であるとは言えない時がありましたが、建築家も本当の意味で改革をしたとは言えない場合があります。ですから、革新のイメージというものは、モダニズムや新たなイメージを作る欲望においては、危険なものとなってしまったのです。今の世代の建築家とっては、現在の建築がほぼイメージによって変化しているということが、問題になっています。それ故、プロとして自分の作品を通し、自身を「改革者」として意識することにたいする渇望があるのです。自分の作品が顕著に特徴的であれば、自身を建築家としてプロモートすることはとても容易いのです。しかし、特徴を持つということは、他の作品よりも目立ち、異なっている必要があります。また、このことは適切に建築を施工・遂行する上で、根本的に敵対するものでもあります。建築家というのは、時には静かにすべき時もあるのです。とは言っても、若い世代に関しては、目立たない静かな建築を作るのは、キャリア上賢い選択とはいえないでしょう。
馬場:私も賛成します。やはり傾向というものがありますね。今おっしゃられたことで、もう一つ強調しておきたいのは、建築家は必ずしも特定のイメージを持つ必要はないということです。同時に、建築家は優れたデザインによって社会にどう役に立つことができるかという責任、加えてその現実性について明確なヴィジョンを持つことが大切です。建築家の使命と責任は、社会に提供・還元することですが、自分のイメージだけが突き進んで行ってしまうのは危険ですし、良いやり方とは言えません。社会というものに真面目に取り組み、何が必要とされているのかを考えるのです。現実を見ることが、一番大切なのです。そうした点においては、将来を担う建築家にとってチッパーフィールド氏はメンターのような存在でありますし、彼らもあなたから学んでくれることを願います。
これまでのディスカッションから言えるのは、なにか意外性のあるものを意図的に創りだすのではなく、社会が一番必要としている要求を認識することが大切だという点です。いかにして社会に役に立つことができるかという考えを失ってはなりません。現代における現代建築には、しっかりとした土台が必要です。それが建築にとっての今日であり、未来なのです。この件について、チッパーフィールド氏はどうお考えになられますか?
チッパーフィールド:あなたの意見に賛成です。今回の講義の冒頭では、建築家にとっての責任についてお話ししました。私たちは建築のプロとして、基本的な仕事は簡単に終わらせることができます。しかし、本当の任務とは、われわれ自身に問いかけるべき疑問や期待なのです。仮に、優れたデザインの階段があったとしても、それが本当に何か大きなものを変えることはできるでしょうか。物質的なクオリティにおいて、街は実に貧しくなってきていると言えます。ですから建築家は、あえて孤立してしまうような部分にこだわって、時間をかけるべきではないのです。しかし、現にこうした傾向は少なからず起きていて、われわれは社会の独裁者のようになってしまっているのです。私たちが作るのは、美術館や鉄道の駅、そして企業の本社ビルなどです。しかし、住宅や学校のような街で普段目にしているような建築物の多くは考慮に欠けて作られていますし、飾りばかりで本質は無視されているのです。
馬場:まったくもって賛成です。建築家の使命として、社会的で美学的な役割を同時に見定めて行く必要があります。そして、もしかすると一般の人々は、こうした建築にありがたみを感じられないのではないかと思うのです。しかし、もし美しいと思える建築の美的な価値に感謝することができるならば、それは建築家の使命が達成されていると言えるかもしれません。建築家が社会的な役割と同時に、美的な役割を認識することはとても重要です。こうした役割は、クライアントに指示されるから発生するのではなく、われわれ自身が常に考えて自然に行うべきなのです。先に進むことは、この先も継続して行われることです。建築を社会に巻き込み、全体的な質を底上げすること、そして社会自体を発展させていくために、感覚を研ぎすます必要があります。それはここの会場にいる皆さんも同感なのではないでしょうか。
それでは、時間も押していることですし、どなたか質問のある方はいらっしゃいますでしょうか?
- ロンドンのアトリエにて
実際は、クライアントと建物について対話することがほとんどありませんでした。と言いますのも、これは美術館ではなく、いわばゴミ箱のようなものだったのです。それも、島にないようなものを投げ込んでいくものです。ですから、それは実に奇妙な建物でしたし、アイデンティティも曖昧なものでした。われわれが施工を始めた時には、その建物が単に機能の寄せ集めにならないように訴えました。われわれはその時から、建物を公共の部屋となるような役割として引き上げたのです。そしてある意味、全ての不要なものを下に、機能的なものは上にといった具合に、機能性というより、目的性を全面に押し出しました。このビルの目的としては、人びとが出会い、交流し合う場を持たせることです。最初の会議ではこうした目的についてきちんと話さず、機能のことばかりに集中していました。しかし、次の会議では真の目的を特定し、方向性を見いだすことができたのです。方向性のあるビルとはどんな外見をしているでしょうか。そうした疑問を問うところから、変化が生まれていったのです。最終的に、どうやって話し合っていくかであったり、歴史とモダニズムをどう調和させていくかであったりということが理解できるようになったのは、かなり後のことです。それも私がノイエス博物館で8年や10年掛けて働いた段階で、ようやく少しずつ理解し、興味をいだくようになったのです。質問者1:ご回答してくださり、ありがとうございます。日本には相撲という国技があることをご存知だと思いますが、力士たちは儀式においていつも仕切り直しをするのです。本試合を始める前に、必ずこの美しい儀式を行い、敬っています。物事をただ早めに始めるだけではなく、何度か仕切り直しをして、向上させていくのです。私が相撲で例えて言いたいことは、建築でも同じように、同じところに立ち返って仕切り直しをすることの重要性です。そうすることによって、より高度で質の高い、良い建築が生まれていくのではないでしょうか。
馬場:少し時間が過ぎてしまいましたが、他に質問がある方はいらっしゃいますでしょうか?チッパーフィールド氏にご理解いただきたいのですが、日本の聴衆は非常に謙虚です。
そこに手を挙げている方がいらっしゃいますね。最初に簡単な自己紹介をしてから質問をお願いします。
質問者2:インスピレーションの溢れる講義、ありがとうございました。私は建築学を学んでいる大学生です。先生にお聞きしたいのは、いつ、そしてどのように、素材を使うことを決められるのですか?
チッパーフィールド:もう少し説明してもらえますか?
質問者2:建築に使用する素材の決め方についてお伺いしたいのですが。
チッパーフィールド:それは良い質問ですね。実際はプロジェクトにもよるのですが、デザインの過程として、かなり早い時期に決めることもあります。一方、アイディアが変化した場合などは、かなり遅い時期に決まる時もあります。理由としてはたくさんありますが、経済的な理由によって、変更を余儀なくされることもしばしばです。その場合は素材を変えながら、更なる可能性を求めていきます。しかしもちろんのこと、理想的なのは早期に決めていくことに他なりません。私たちはビルを素材で覆っていくのですが、古い建物は素材によって建てられています。木材や石、スチールやコンクリートで建物を建て、レンガやガラスで皮のように建物を覆っていきます。素材の特性を表現していくのは非常に難しいのですが、同時にやりがいもあります。表面を覆う皮としての素材を考えた上で、現代的な建築の表面に、その素材感をうまく表現する可能性を追求しています。
質問者2:どうもありがとうございました。
チッパーフィールド:ありがとうございました。
馬場:それは非常に重要な点だと言えますね。例えば、私たちの顔の表面は皮膚で覆われていますが、その皮膚の下にはたくさんの要素が存在しています。建築にも同じことが言えるのですが、若い建築家は特にこうした点に注意する必要がありますね。どうやって注意をすればいいかというと、自分で経験し、触れ、空間感覚を身につけたりすることで、よく勉強することです。いわば概念だけでは不十分で、経験して感じ取ることによって身につけ、学ぶことが必要なのです。
最後にどうしてもという質問がない限り、この実に素晴らしい、チッパーフィールド氏による講演と対談を終了させていただきたいと思います。会場にいらっしゃる建築家の方々にとっても、今日の講義は非常に教育的で、インスピレーションに満ちあふれたものであったと思います。そして今日の講演が、建築と社会の今後の発展に結びつきますよう、心から望んでいます。皆様どうもありがとうございました。