イングマール・ベルイマン

Ingmar Bergman

プロフィール

  人間の内面を鋭く探る革新的な詩情あふれる作風で、世界中に強い影響力をもつ映画監督であり、舞台の演出家、脚本家でもある。
  1918年、スウェーデンのウプサラに生まれる。厳格な牧師の家庭に育った内気な少年時代の体験が、夢や幻想となって映画に色濃く反映される。大学在学中、自作の戯曲を初演出、多くの戯曲も書く。42年、スウェーデン映画産業社に脚本見習いとして採用され、46年、「危機」で監督してデビュー。若い娘の奔放な性をみずみずしい感覚でとらえた「不良少女モニカ」はヌーベルヴァーグの映画監督達に影響を与えた。「第七の封印」(1956)、「処女の泉」(1959)には北欧神秘主義の伝統が指摘される。ベルリン国際映画祭グランプリに輝いた老いと死の不安を描いた「野いちご」(1957)で見せた、人間の心の深奥まで描ききる表現法は、どの作品にも共通している。
  ベルイマン芸術は、自伝ともいえる「ファニーとアレクサンデル」(1982)で頂点を迎える。「あまりに素晴らしい体験だったのでもう映画を撮る気はしない」と語っている。
  演劇ではストックホルムの王立劇場ドラマーテンの総監督も務める。90年には三島由紀夫の「サド侯爵夫人」を演出、来日公演している。

詳しく

  イングマール・ベルイマンの作品には、神と人間との関わりあいをはじめ、人の心の奥底に潜むものに対する尽きぬ思いが秘められている。北欧の「神秘の巨匠」は今日的なテーマを我々に提示してやまない。

  1918年、スウェーデンの大学都市ウプサラに生まれた。父が厳格なプロテスタント教会の牧師であったことが、「神と人間」を深く思考するきっかけになった。ストックホルム高校(現大学)時代は演劇に熱中したという。脚本家の見習いとして映画会社に入り、以後、40年にわたって50本余の映画を監督した。
  若い娘の奔放な性を描いた『不良少女モニカ』(1952)。『夏の夜は三たび微笑む』(1955)は16歳の少女を妻とした弁護士の愛のもつれを描いて、カンヌ映画祭で詩的ユーモア賞を受賞。ベルイマンの名を世界的なものにした。
  『第七の封印』(1956)はペストが流行した中世を舞台に、死生観を強く打ち出している。宗教に救いを求める主人公の騎士。彼が死神とチェスをさす場面は名場面として今も語り継がれている。さらに『野いちご』(1957)では、老教授の老いと孤独、愛と憎しみ、生と死に鋭く切り込んでいった。そして、ベルイマンの視線はふたたび中世を舞台にした『処女の泉』(1959)で、神への問いかけを強めていく。
  そして、「神の沈黙」三部作として名高い『鏡の中にある如く』(1961)、『冬の光』(1963)、『沈黙』(1963)にいたって、傷つき悩む人間の心に神が応えてくれないもどかしさ、非難、さらに神の存在そのものに疑問をぶつけていく。それは人と人との相互理解の難しさにも発展する。
  やがて、暗くよどんだ北欧の空に光明を見出したかのように、明るい笑いに満ちた作品も撮りはじめる。そして、ベルイマン芸術は自伝的な『ファニーとアレクサンデル』(1982)で少年時代の追憶へと進み、重苦しい雰囲気から開放されたかのように、幸福な余韻すら感じさせた。しかし、これ以後、巨匠は1本も映画を撮っていない。
  なぜか。「理由は簡単だ。この映画を撮り終えたとき、私は映画でやるべきことは、すべてやり遂げたと思った。本当に自然に、そう感じた。あの仕事のあいだじゅう、たとえようもない幸福感に包まれていた」と語っている。我々も幸福感にひたれたが、それ以後、巨匠はもう二度とメガフォンをとることがない。
いったい、あの難解な心の叫びは何だったのだろう。それこそが北欧の風土に根差した巨匠の精神の遍歴であり、限られた空間のナショナルな心の揺らぎ……。だからこそインターナショナルな普遍性をもって世界中の観客の心をとらえたのだろう。かつて映画について、こう語っている。
「映画とは、夢や魔法と同じものなのだ。そして夢がそうであるように、映画は私たちの無意識の扉を開き、そのとき、時間と場所は消え去ってしまうのだ」
だが、巨匠の創作意欲はますます旺盛と聞く。もう一本の柱である演劇の世界では世界的な演出家である。演劇界へのデビューは第二次大戦直後の1946年。スウェーデン第二の都市イエーテボリの市立劇場で、カミュの『カリギュラ』を28歳で演出。斬新な演出手法は演劇国家スウェーデンの国中をわかせたという。以後、ストリンドベリーらの近代的古典を継承しながら、シェイクスピアや三島由紀夫らの作品に独自の解釈を与えて演劇ファンを堪能させている。
  その演出作品は、日本でも1987年のスウェーデン王立劇場の来日公演でストリンドベリー作『令嬢ジュリー』、1990年の三島由紀夫作『サド侯爵夫人』が東京グローブ座で上演され、多くのファンを魅了した。ベルイマン演出はいずれも役者の肉体言語を強調して、劇を見る喜びを与えてくれた。
  とくに、『サド侯爵夫人』は能の様式を取り入れて女優の抑制した動き、また、扇を使っての繊細な手の仕草によって、人物の情感を巧みに引き出していた。能の手法は映画『ファニーとアレクサンデル』でも取り入れている。こうしてベルイマン芸術は国境を超え、言語を超越して世界中の人々に感動を与え続ける。

小田孝治

 

2007年7月30日、スウェーデン・フォール島の自宅で逝去

略歴


1918
7月14日、スウェーデン、ウプサラに生まれる

1938 ストックホルム高校(現・大学)に在学中、演劇部で自作「見知らぬ港へ」を初演出

1942 スウェーデン映画産業社に脚本家見習いとして就職

1946  イエテボルイ市立劇場で「カリギュラ」を演出。初の映画「危機」を監督

1953 映画「不良少女モニカ」

1958 「女はそれを待っている」カンヌ国際映画祭特別国際賞、監督賞。
「野いちご」ベルリン国際映画祭グランプリ

1959 「魔術師」ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞

1960 「処女の泉」カンヌ国際映画祭批評家連盟賞

1960-66 スウェーデン演劇界で最高位とされるストックホルムの王立演劇場
ドラマーテンの総監督

1962 「叫びとささやき」ニューヨーク映画評論家賞、作品賞、監督賞

1966 バルト海フォール島に移住

1982 最後の映画といわれる自伝的大作「ファーニーとアレクサンデル」が完成

1991 ニューヨーク国際芸術祭に招かれ、イプセン「人形の家」など3作を上演。高松宮殿下記念世界文化賞・音楽部門受賞

2007 7月30日、スウェーデン・フォール島の自宅で逝去

主な作品 1953  不良少女モニカ
1955  夏の夜は三たび微笑む
1956  第七の封印
1957  野いちご
1958  女はそれを待っている、魔術師
1959  処女の泉
1960  鏡の中にある如く
1973  叫びとささやき
1974  ある結婚の風景
1975  魔笛
1976  鏡の中の女
1978  秋のソナタ
1982  ファニーとアレクサンデル

主な演劇作品 1975  十二夜(シェークスピア)
1981  人形の家(イプセン)
1984  リア王(シェークスピア)
1991  令嬢ジュリー(ストリンドベルイ)