第8回
1996年
建築部門
Tadao Ando
安藤 忠雄
打放しのコンクリートを素材として、自然を取り込んだ簡潔で独創的な建築空間を創造し、世界的に名声の高い日本の建築家。
1941年、大阪生まれ。大学へ行かず、プロボクサーとしてリングに立ったこともあり、世界を放浪して独学で建築を学んだ異色の経歴。76年、間口3メートルの小住宅「住吉の長屋」のユニークな設計で建築界に衝撃を与え、79年日本建築学会賞を受賞。主な作品には「光の教会」(1989)、「真言宗本福寺水御堂」(1991)、「直島コンテンポラリー・アート・ミュージアム」(1992)、「大阪府立近つ飛鳥博物館」(1994)、「淡路夢舞台」(2000)、海外では、ユネスコ本部の「瞑想の空間」(1995)、「ベネトン・アートスクール」(2000)などがある。95年のプリツカー賞をはじめ、受賞は数多い。97年、東大教授に就任。
阪神淡路大震数災のあとの復興に尽力、青少年の教育のための発言など、建築界のみならず、広く社会に刺激をを与えてつづけている。
略歴
安藤忠雄は自然との調和を重視した建築で、建築界のみならず、広く社会に刺激を与え続けている建築家である。
彼の代表作であり、一躍その名を有名にしたのが大阪の『住吉の長屋』(1976)。三軒続きの木造長屋の中央部分の棟を建て替えた、間口わずか3.3メートル、奥行き14.1メートルの2階建ての住宅で、正面は入口があるだけのコンクリートのミニマルな箱である。中央部には中庭があり、それを中心に部屋を配するという単純な構成でプライバシーを確保している。この構成が生活に変化を与えている。各部屋には中庭から入る形式になっているため、雨が降れば傘をさして移動しなければならない。不自由かもしれないが、中庭を配することで、現代建築にはなくなってしまった、光、風、雨といった自然を引き込み、身体で季節を感じさせるのである。「寒いときは外に出なくていい。快適なときは中庭で生活したらいい」。実に合理的な思想が根底に流れている。
近代建築の方法を踏まえ、日本の伝統建築の思想を見事に表現したこの作品は、1979年、日本で最も権威ある日本建築学会賞を受賞するとともに、安藤建築を広く世に知らしめた。
シンプルで美しいコンクリート打放しのこの作品は安藤建築の原点ともいえる。これ以後、自然を取り入れた優れた作品を数多く設計した。
水を用いた作品として、京都の『タイムズI&II』(1984、1991)がある。高瀬川に接して水面すれすれに建てられ、内部の通路は複雑で、路地を歩く感覚を蘇らせた。川面近くにはテラス状のスペースが設けられ、水のせせらぎを聞き、水とのふれあいができる。しかも、通常では粗末な材料とされるコンクリート・ブロックを丁寧に使うことで、新しい表情を与えている。
また、北海道トマムの『水の教会』(1988)は、人工湖に面し、水に浮かぶように設計されている。兵庫県淡路島の『真言宗本福寺水御堂』(1991)は、直径約40メートルの蓮池の下にお堂があり、信者はコンクリートの階段を降りて水の下に入っていくのだ。同様に岡山の『成羽町美術館』(1994)も建物に接するように大胆に水を取り入れた作品である。
また、光をモチーフにした大阪の茨木市にある『光の教会』(1988)は秀逸だ。開口部がほとんどない室内に、壁に穿たれたスリットから差し込む光の十字架が浮かび上がり、ドラマティックで崇高な場を創出しているのである。
このように安藤建築は常に自然を意識させるようにしむけるのである。安藤は近代建築の機能主義に対する批判から過剰ともいえる装飾へと走ったポスト・モダニズムの風潮に動じることもなく、自分のスタイルを貫いてきた。
安藤は1942年、大阪の木工所、鉄工所、ガラス工場などが立ち並ぶ地に生まれた。「木工所がもっぱら遊び場」だったという。
中学生のとき住んでいた長屋を近所の大工さんと一緒に増築したことから建築の面白さを知り、高校卒業後は建築家を目指し独学で勉強をはじめた。古書店でみつけたル・コルビュジエの作品集に感銘を受け、彼に会うために1965年にヨーロッパへの旅に出た。パリに着く1カ月前にル・コルビュジエは亡くなってしまったが、彼の代表作『ロンシャンの教会』(1954)の小窓から差し込む光に衝撃を受けて帰ってきた。
ボクサーとしてリングに立ったこともある変わった経歴の持ち主だ。この異色の建築家は、職人を大切にし、建築現場には頻繁に足を運び、手や口を出す。「工事現場はワクワクする。そこには完成した建築にはない面白さがある」。そうしたこだわりも美しいコンクリート打放し建築が生まれる背景となっている。コンクリート・ボックスとしてのミニマルな表情の面白さや、自然を巧みに織り込む手法といったさまざまな魅力を持つ安藤建築だが、それを成功させているのは、既成の制度や常識にとらわれない自由な発想があるからでもある。
彼の建築は日本のみならず海外にも及ぶ。パリのユネスコ本部の『瞑想の空間』(1995)は、イサム・ノグチ、ダニ・カラヴァンらの作品とともにある。スイス国境に近いドイツでは『ヴィトラ・セミナーハウス』(1993)を設計した。フランク・O・ゲーリー設計の『ヴィトラ家具博物館』と同じ敷地内にあり、平坦な土地を考慮して建物も低く抑え、敷地に埋め込まれるように建てられている。
「建築は実際に役に立ちながら、夢を追い、夢を語るのがいい」
こう語る安藤は、実際に実現の見込みがなくても建築の提案をおこなっている。たとえば大阪市の歴史ある赤レンガ建築、中之島公会堂が老朽化していることを知ると、『アーバン・エッグ』(1988)という構想を発表した。公会堂の中に新しく卵形のホールをつくるというもので、古い建築の外観を残しつつ、再生させようとするプランだった。これは行政の賛同は得られなかったが、卵のイメージは後に鹿児島大学の『稲盛会館』(1994)に結実した。
1969年に建築事務所をはじめて30年。この間、優れた作品を発表するとともに、数多くの賞も受賞、1997年には東大教授にも迎えられた。
1985年、アルヴァ・アアルト賞、1988年、吉田五十八賞、1991年、アーノルド・ブルンナー賞、そして1997年、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を、日本人としては丹下健三(1987)、槇文彦(1993)に続き受賞した。
そして、1991年にニューヨーク近代美術館、1993年にポンピドゥー・センターで展覧会が開かれている。斬新で刺激的な建築をつくり続ける安藤は、世界の建築界に大きな影響を与えている。
渋沢和彦
略歴 年表
創設50周年を記念したパリのユネスコ本部 「瞑想の空間」で床に広島の被爆石を使用する
第1回フラテ・ソーレ国際教建築賞受賞
阪神・淡路震災復興支援10年委員会の実行委員長として被災地の復興に尽力する
イギリス王立建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル受賞
フランス文学芸術勲章(オフィシエ)叙勲
主な作品
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住吉の長屋
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住吉の長屋(内部)
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直島コンテンポラリー・アート・ミュージアム
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光の教会
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真言宗本福寺水御堂
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オフィスにて